血の婚礼船
安らかな夜だった。リリィは船室の寝台のエズラの隣でぐっすりと眠っていた。不意に船室が大きく揺れ、物音がした。リリィがハッとして目を覚ます。天井からさがったランプが危なっかしげに揺れて炎が消えた。とっさに枕元の短剣を握る。
「エズラ、起きて。来たわ!嘘じゃないのよ」
夫を揺り起こそうとする。
エズラが薄目を開けた。
乱暴な音がして扉が開く。男が二人入ってきた。暗闇の中、男たちは背がとても高く見える。
「先に男だ」
そういうが早いが、1人が剣を持ってエズラに襲いかかってきた。リリィが悲鳴をあげ、男の肩に短剣を突き刺す。男が驚いてうめき声をあげた。リリィが続けざまに首を刺し、胸をさし、腹を刺し、滅多刺しにする。
エズラが立ち上がってもう1人の男の胸ぐらをつかむと、そのまま首をしめ殺した。
リリィは男が絶命し、生温かい返り血を浴びるまでになっても滅多刺しをやめない。恐怖で気がおかしくなっていたのだ。ぐったりとした男の体がリリィの膝の上に倒れていた。
「リリィ、もう死んでいる。もう刺すな」
エズラがリリィの手首をつかんで言う。リリィは泣きながら夫に寄りかかった。エズラが強くリリィを抱きしめる。
「向かいの部屋に妹がいる。起こして一緒に逃げろ。フレドという男がボートに乗って待っているはずだ」
エズラがリリィを離すとそう言った。
「いやよ。あなたと残る。あなたから離れたくないわ」
リリィが泣きながら言う。
「リリィ、ヘレナの手紙の話が本当なら俺の妻はここにいるべきじゃない。フラニーと一緒に近くの要塞に行くんだ。わかったか?俺たちが行くまで要塞を出るな」
エズラが厳しい口調で言った。
リリィはただ頷くことしかできない。
船には断末魔の叫び声が満ちていた。エズラが妻や妹に襲いかかってくる連中を剣の一振りで殺してゆく。リリィはただただ恐ろしかった。
「それで、お前がイリヤ城を発ってすぐにエズラ・トワニーの船が襲われたらしいな」
リーが夕食の席で、ちらりと娘の顔を見て言う。静寂の中、食器がふれあう音だけが聴こえた。
メアリーはエル城の領主館で真っ青な顔をしている。
「ええ、お父様。姫君は無事なんですか?」
「何も言えまい。だが、テリー公が皇太后殿の陰謀だとして彼女を逮捕したそうだ。姫君もおそらく無事だろう」
リーが無関心な口調で言う。
「リリィさまは無事ですよ、メアリー。皇女は強い方ですから」
アビゲイルが涙ぐみながら言った。メアリーが仕方なしに母の手を握る。
食事は味がしない。広間は冷え切っていて、何から何まで灰色だ。もう冬だというのに暖炉さえまともに使っていないらしい。
毛の長い大型犬が入ってきて、メアリーたちの座るテーブルの近くにやってきた。うるうるとした目でメアリーを見上げてくる。犬の鼻息が膝にかかると、心臓を鷲掴みにされたような気がした。トラウマになってしまって、犬はどうしても受け付けられないのだ。
「もうお腹がいっぱいで。先に失礼します。荷解きをしないといけないんです」
メアリーがそぞろ歩きで席を離れながら言う。
リーもアビゲイルも顔を上げもしなかった。
部屋に戻るとさっそく長持ちの上に座る。窓を開けるとりんごのかぐわしい匂いがした。
リリィが心配だ。ヘレナの陰謀なりなんなりが成功してリリィが救い出せればいいのだけれど。
翌日の昼頃、エル城に予期せぬ客が現れた。レネー・ウィゼカである。しかも、彼はトマス卿ではなくメアリーに用事があるようだった。
贈り物に絹のハンカチをもらう。二人は〈りんごの園〉を歩いた。
「山脈をこえた向こう側で男たちを集めました。妻を取り返せそうなくらいに」
レネーが切り出す。
メアリーは目を丸くしてレネーを見つめた。帰ってきたリリィを拒絶したのはレネーだというのに。
「それじゃあ、まだリリィのことを妻だと思ってるんですの?」
「彼女以外、妻に考えられなかったんです」レネーが苛立ちながら言った。「あれがエズラに酷い目に遭わされているかと思うと耐えられない。妻のことは赦しました。子どもも自分の子として引き取りたい」
レネーはまったく晴れやかな口調で言った。
彼は山脈の向こうの荒くれ者たちの土地で自分に従う戦士を募っていたのだ。ゆくゆくはそこに領地をもち、王国を建設するつもりだった。今のところは妻を取り返したいのだが。
「でも、リリィを救うつもりなんですか、レネー殿?一体どうして私にそんなことを相談するんですの?」
メアリーは当惑するばかりだった。