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湖に浮かぶ城

 ある日突然、湖に浮かぶ城が見える。近くはあしの草の生えた湿地だ。湖は泳いでわたるには広く、湖面こめんは油断なく動いている。城の方からひとりでに小舟がやってきた。


「迎えの船だわ」

 リリィが疲れ切った顔に微笑みを浮かべて言う。


 トゥーリーンは渋い顔をした。なんだか不気味だ。湖の上に城を建てて橋もつくらないとは、よほどの世捨て人なのだろう。トゥーリーンは城の主人からの招待を受ける気にはなれなかった。だが、隣のリリィは身重な体で今にも倒れそうだ。雲行きも悪かった。嵐が来そうだ。


 扉は重々しい音を立てながら、ひとりでに開いた。無人の広間がある。暖炉の中には赤々とした炎が燃えていた。木の肘掛ひじか椅子いすにはエメラルドグリーンのつやつやとしたドレスが掛かっている。


 猫が広間をいったりきたりしていた。真っ白な猫、ミャーミャーと鳴くばかりの子猫、ふてぶてと太った猫、黒ぶちの猫、毛の長い、気取った猫、リリィのドレスのすそにり寄ってくる甘え猫。たくさん猫がいた。どの猫も毛並みはつややかで、両の目は緑色だ。


「ごめんください?誰か人はいないのかしら。あなた達が屋敷のあるじなの?」

 最後は猫たちにむかって言った。みんな知らんぷりだ。


 二人は取り敢えず暖炉近くの椅子に座ることにした。温めたミルクとクッキーがテーブルに置かれている。リリィは舌鼓したづつみを打ってクッキーを食べた。クリーム色の毛をした猫がリリィの膝にのって甘え声を出す。どうやらミルクが飲みたいらしい。リリィはトゥーリーンに笑いかけると、猫にミルクをあげた。


「かわいい猫ねぇ。一体誰が面倒を見ているのかしら」

 リリィが元気を取り戻して言う。


「猫は私のお友だちなの」

 

 見ると暗い廊下へと続く戸口に貴婦人が立っていた。黒いまっすぐな髪にアーモンド形の緑の瞳。エメラルドグリーンのゆったりとしたドレスに腰の低い位置に、輪っかのつらなった銀の飾りをつけている。


「失礼を許してほしい。船がやってきて扉がひとりでに開いたのです」

 トゥーリーンが慌てて立ち上がって言った。


「私が船を送ったのよ。それで扉も私が開けた。だからトゥーリーン殿、謝ることなんてありません。どうか私の館でくつろいでいってください、もちろんリリィ様も」

 ミルドリスはそう言って二人にお辞儀した。



 女主人の用意した浴槽よくそうにつかる。お湯は温かく、疲れが芯からとれていった。食堂では豪勢な夕食が、寝室では清潔でふかふかなベッドが待っていることだろう。夢のようだった。


「猫たちがあなたを好いているの」


 ミルドリスが着替えの下着を持って入ってきた。さっきリリィの膝元でミルクを飲んでいた猫がするりと浴室に入ってくる。


「素敵なお友だちね」

 リリィがにっこりと笑って言った。


「ええ、可愛くて忠実なお友だちよ。それにしても猫たちはね、トゥーリーン殿のことを決めかねているの。彼が良い人か、悪い人か。正直者か、偽善者か。人殺しか、騎士なのか。壁の隙間すきまから、彼の様子をうかがってるわ」

 ミルドリスが声をひそめて言う。


「トゥーリーンは良い人よ。悪い人たちのところから救ってくれたの。私を守ってくれるわ」

 リリィがすぐさまトゥーリーンを擁護した。実際彼を信じていたのだ。


「本当に?怖い人じゃない?」

 ミルドリスがなおも言う。


「ええ、本当よ。怖い人じゃないわ」

 リリィがきっぱりと言った。


「ならその通りなのね。私、男の人って怖いわ。夫が戦争に行ってしまって、お城のまわりを湖で囲むしかなくなった。だって毎晩、求婚者たちがやってきて城の扉をおので壊そうとするのよ。『あなたの夫はもう死んでしまった』って言ってね。そんなこと知ってるわ。でも死んだ夫に恋しちゃいけないなんて法はないでしょう?」

 ミルドリスがしぼんだ薔薇の花を浴槽に浮かべて言う。

 お湯に浮かんだ薔薇はみるみる瑞々《みずみず》しさを取り戻していって、花開いた。


「まだ恋してるの?」

 リリィがたずねる。


「ええ、毎日夫と話してるわ。朝目覚める度に恋に落ちてね。あなたはトゥーリーンを愛してる?」

 ミルドリスがうっとりとした顔で言った。


 トゥーリーンは夫ではないのだと説明する。お腹の子どもも別の男のものだと。


「そう。なら出産が終わるまで、ここに泊まっていればいいわ。私は人間のお友だちができるし、あなただって悪者たちにわずらわされることもない。彼はちょっと退屈するかもしれないけれど」


 素晴らしい提案だと思った。だが、トゥーリーンは浮かない顔をする。無理もない。ミルドリスの言う通り、ここでは退屈なのだ。女主人はあらゆる武器という武器を嫌った。狩りもするところはない。


「レネーが迎えにくるまでずっとここで暮らすのか?もしエズラが来たら、ここは灰の山になるだろうけれど」

 

 トゥーリーンの発言は的を得ていた。

「それか皇子殿下に知らせをおくって護衛をつけることもできる」

 彼はなんとかリリィの希望に添おうとして言う。



 リリィはミルドリスや猫たちとの別れがつらくならない内に湖の城を出ていくことに決めた。ミルドリスはリリィ達が去った後も、夫の幽霊や猫たちや魔法と共に完璧な暮らしを続けることだろう。

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