姉は死んだ、弟は生きている
帝都の城門に一人の騎士が現れた。何かを声を張り上げて主張していた。守衛がノロノロとした動作で立ち上がって、門のところまで行った。
「あんさん、まず名前を名乗れよ。皇帝は今忙しいんだ。すぐには面会は叶わない」
門番が騎士にむかって怒鳴り返す。
「俺はエイダ王の息子で、イリヤ皇太子妃の弟のレネー・ウィゼカだ。至急皇帝と話をさせてほしい」
レネーがムッとした様子で言った。
そこで、門番は仲間の兵士とゆっくりと顔を見合わせた。
「レネー・ウィゼカは死んでいる。皇太子妃も今朝亡くなって、皇帝は葬儀に列席してらっしゃるんだ。みえすいた嘘はつくな」
「バカ、通すんだ」仲間が慌てて門番を説得し出す。「レネー王子は生きていた、わかるか?葬儀に出させてやれ」
それにしても、これはどういう種類の悲劇なのだろうか。花嫁に来て数ヶ月たらずで死に、葬儀では涙する者もおらず、異国の地に葬られるとは。
メアリーは皇妃の後方、アレックスの近くで皇太子妃の眠る棺を見つめていた。
ひょっとして、これは自分の望んだことなのではないか。カリーヌが死に、アレックスは再び自由な身になった。メアリーはアレックスに恋してる。アレックスもメアリーを……。
アレックスがメアリーを振り返った。黒い喪服姿でメアリーがうつむき、目をそらす。アレックスは新妻の死に憔悴しきっていた。支えを必要としている。おそらく、メアリーの女らしく優しい支えを。
葬儀が終わり、皇太子妃の棺が運び出されようとしていた。突如として砂にまみれ肌の赤くなった騎士が、礼拝堂の入り口で棺と葬列の行手をふさぐ。
会場に悲鳴とざわめきが起こった。
「レネーだわ。生きていたなんて」
メアリーがアレックスにささやく。
「信じられない。だが……」
アレックスはそこで言葉をのみこんだ。最後の身内のカリーヌが死ぬとはあまりに残酷ではないか。
「葬儀を中断して申し訳ありません。でも姉に別れを言わせてください。国を追われて、ここに来るまで長い道のりだったんです」
レネーは平静を保って言った。
会衆は悲壮に満ちた背中が姉の亡骸に別れを告げるのを見守る。レネーはすぐ立ち上がって離れ、棺をかつぐ男たちに一礼した。
乗馬はリリィがイリヤ城を去ってからついた習慣だ。〈原っぱ〉を一周し、馬の背中から降りる。
「姫君」
レネーが来てメアリーに挨拶した。
「レネー殿、お姉様のこと残念でしたわね。素敵な方でしたのに」
メアリーが静かに言う。
「あなたは姉に仕えてらっしゃったんですよね」
レネーが疲弊しきった横顔で言った。
「ええ」メアリーが答える。「最初にカリーヌ様が倒れているのを見つけたのも私でした。奥様はご家族の死に大変ショックを受けてらっしゃいました。食事も喉を通らなくなっていたのです」
「何か姉の死に不審な点はありませんでしたか?なんでもいいんです。部屋着とか、服用していた薬とか」
メアリーは驚いて一瞬言葉を失った。レネーはカリーヌの死を他殺だと思っているのだろうか。でもカリーヌが他人の恨みをかうようなことをするだろうか。
途端に恐ろしくなった。カリーヌを殺したのは自分ではないか。最後の晩、メアリーは絶望の中にいるカリーヌを一人にした。嫉妬していたのだ。彼女が嫌いだったのだ。
「カリーヌ様は服を着替えず、靴をはいたまま、うつ伏せになって寝てらっしゃいました。でもレネー様、何をお考えですの?」
メアリーが不安になって聞いた。
「僕は皇帝を信用していません。エズラと共謀していたのなら?皇帝の援助を受けたら、僕もその内殺される。リチャードは王国とリリィを取り戻すために、兵士を貸してくれるという。僕だって皇帝を信じたくなる。だが、だめだ。信じたら殺される」
メアリーはその晩、トゥーリーンのもとにレネーを連れていった。レネーに何か希望を与えたかったのだ。
トゥーリーンはリリィに会いに行くための旅支度をしている。砂浜で、二人の男は互いを吟味するかのように見つめていた。一方は鎖かたびらに弓矢と軽やかな剣を携えた軽装、もう一方は王子らしく鎧に身を固めていた。レネーには不当な殺人に対する冷ややかな怒りが、トゥーリーンには謎めいた情熱と賢者の知恵が見え隠れする。
レネーはトゥーリーンに同行することも断った。そして砂浜を、イリヤの地から去っていったのだ。メアリーに「これは長い闘いになる」とだけ言い残して。