赤毛のあの娘
「私にしてみたいことがあるとすればね、それは恋よ。侍女たちだってみんな恋してるのに、私はまだ一度もしたことがない」
義兄との乗馬中、リリィが唐突に言った。
昼下がり、太陽がまぶしくて目を細める。春の匂いがした。〈競技場〉近くの中庭の、道脇に黄色いたんぽぽの花が咲いている。リリィは横掛けの婦人用の鞍には乗らず、跨って乗馬していた。馬の蹄の音と、腹にくる振動が心地いい。
「お兄さまは恋したことがあって?」
リリィがはにかんで聞く。
アレックスはいつにましてもハンサムだった。こんがりと焼けた肌と、優雅に馬を乗りこなす姿。太陽に目を細める仕草だっていい。
皇子は最愛の妹と乗馬に来れて上機嫌だ。最近はリリィと過ごそうとしてもヘレナの邪魔が入ることが多い。皇妃はアレックスもリリィもそれぞれ別に憎んでいたけれど、二人が仲良くするのはもっと許せないことらしい。リリィはアレックスと一緒にいたことが伝わると、わざわざ皇妃本人に責め立てられるのだった。アビゲイルでさえ皇女がアレックスに会うのを止めようとする。
「恋は喜びや幸福よりも苦難の方が大きい。リリィの考えているようなものなんかじゃない。砂糖菓子のような……。全然違うんだ。こんなこと話してもわからないだろうけど!」
アレックスの顔に苦痛のかげがよぎった。だが、リリィには兄が幸福そうに見えた。恋の痛みなど愛し愛されることの悦びと比べたらないも同じ、というように。進んで愛の生贄に身をささげていたのだ。
リリィは胸が痛くなった。アレックスには愛する女がいる。それもきっとメアリーではない……
「じゃあ今愛する人がいるのね?」
さりげなく探りを入れる。
「いるかもしれないさ」
アレックスが弾んだ口調で言う。まるで今恋していることを暴露しているのと同じ返事だ。
「逆にリリィにも恋してる相手がいるのかい?」
「まさか、いないわ。でも侍女たちが自分たちの恋人のことばっかり話すから」
リリィがしどろもどろになって答える。なぜアレックスの質問がそんなに恥ずかしいのか分からなかった。恋した本人というわけでもないのに。
「それはちょっと興味深いな。侍女たちにそんなに秘密の恋人がいるなんて」
「あら、秘密にしてるわけじゃないと思うの。だって悪いことは誰も何ひとつしてないんだから。ねえ、お兄さまは侍女たちのうちだったら、誰を恋人に選ぶかしら。教えてちょうだい」
アレックスが悪戯っぽい顔をした。妹からこんな質問がきたのが面白かったのだろう。
「みんな素敵なお嬢さんさ。彼女たちに交際を申し込んだところで、継母殿に差し止められるのがオチだろうけれど」
アレックスはのらりくらりとして、中々《なかなか》答えない。
「仮定の話よ。たとえばメアリーなんか。可愛いし舞踏会では引っ張りだこじゃない?」
リリィは親友の一番の秘密を露呈させるのではないか、と胸がドキドキした。うまくいけば恋のキューピッドになれるのだけど……
「メアリー?」
アレックスの面持ちが変わった。戯けた調子がなくなって一瞬考え込むような顔をしたのだ。
「赤毛のあの娘……。そりゃあメアリーは魅力的だよ。残念なのは僕と親しすぎることくらいだなぁ」
「赤毛が好きじゃないの?今はメアリーだって金髪よ」
リリィが悲しそうな声を出す。
「赤毛は好きだよ、母上の命に誓って。だけど、メアリーと僕は合わない。彼女だって崇拝者に囲まれて、相手は《《よりどりみどり》》だ。僕のことは眼中にないし、別に魅了する必要もないだろ。ジョンなんて婚約者がいるのに彼女に熱を上げている」
なぜかアレックスは後ろめたそうな顔をした。