コミュ障は第8話しかけられない
コミュ障は話しかけられない。
教室ではちょうど2限の授業の最中だった。
「三楓さん、やっぱり俺は3限から入るよ」
「なに言ってるの紅葉くん! まだ10分だから今行けば出席扱いになるんだよ!」
俺が言いたいのはそこじゃないが……。
授業中に教室に入って目立つことすら嫌であるし、増してや男女2人で入ったら絶対なにか思われるはずだ。
彼女は気にしないのだろうか。
結局三楓さんの圧に負け、一緒に入ることになってしまった。
「すみません遅れました!!」
三楓さんは教室の前の扉をガラリと開けるや否や、教室の後ろの方にも聞こえるであろう大きめの声で先生に遅刻を宣言した。
目立つからやめてほしい。
「またか三楓……。おや、えーっと転入生の……紅葉も一緒か。なにかあったのか?」
この人は現代文の先生である。
名前はまだ覚えてない。
「おいおい、1日でもう女を作ったのかよー」
案の定、教室の後ろから野次が飛んだ。
声を発したのは茶髪の男子。
髪染めは校則違反のはずだが深く考えてはいけない。そういうものなのだ。
多分三楓さんもこの作品が書籍化されたら髪色はピンクとかになるだろう。
「わわわ、違います高川先生。えっとえっと紅葉くんとはそんなんじゃなくて……!」
そして三楓さんはなんでそんなに慌てているのか。
仕方がないので俺が説明する。
「慣れない通学路だったので遅刻しました。三楓さんとは教室の前で偶然会っただけです」
「えっ……。は、はいそうです。偶然です」
三楓さんも俺に調子を合わせた。
「そうか、今後は気をつけるように。特に三楓」
「は、はいっ」
この人、遅刻常習犯なのか……?
確かに想像はつく。
登校中も思ったが、三楓さんとはあまり関わらない方が良さそうだ。
「紅葉くん。早く座ろうよ?」
……そうだ隣の席だった。
新年度なので座席は出席番号順、すなわち50音順だ。
あ行の俺と、ま行の彼女は本来隣にならないはずなのだが……どうも紅葉、三楓と誤って読まれてしまったという。なんだこの学校。
一番後ろの席なのは人と関わりたくない俺にとって幸いである。
「あっ、教科書忘れちゃった! 紅葉くん見せてくれない?」
関わりたくないことをいくら地の文で訴えても目の前の人間には届かない。
俺は教科書を鞄から取り出す。
そして違和感に気づいた。
……これ前の学校の教科書だ。
俺は三楓さんのことを馬鹿できる立場の人間ではなかったらしい。
ひょっとしたら今日の授業で使うのと同じ単元がないかと目次と黒板を見比べる。
羅生門、羅生門……ない。
羅生門が載ってない高校の教科書ってどうなんだ?
「紅葉くん?」
「……っと、ごめん。俺も教科書忘れたみたい」
「仲間っ……じゃなくて、うん。忘れちゃったなら仕方ないよ。この学校初めてなんだし」
こういう場合はどうすべきか。
普通は前の席の人に借りるのだが……顔も名前も知らない人にわざわざ話しかける度胸がない。
まあ今回は三楓さんが話しかけてくれるだろう。
そう思って左を見るが、三楓さんはなんか……硬直していた。
「三楓さん……?」
「えええっとえっとえっと、紅葉くん……教科書あるフリしない?」
三楓さんが小声で言う。
「いや、ほら、前の……」
前の人に借りようと言いかけるが、三楓さんはフルフルと首を小刻みに振り拒否の意を示す。
な、なんだこいつ。さっきまであんなに饒舌だったのに。前の人と仲が悪いのだろうか。
では三楓さんの左隣は……というとさっき野次を飛ばしてきた茶髪である。なんかこっちをチラチラと見てきている気がする。
借りる以前に彼も教科書を机の上に出していない。見た目通り不真面目なのだろう。そういう生き方はある意味羨ましい。
仕方がないので俺は首を縦に振って三楓さんの提案にうなずいた。
教科書のあるフリは俺も得意だ。
「……では次の段落をー、三楓。読んでくれ」
「ひゃうっ!」
──もちろん当てられなければの話である。
「うえっ、ええっと……」
先生に指名され、反射的に立ち上がってしまった三楓さんはどうすればいいか判らずにもじもじとしていた。
本来助け船を出すべきは俺である。
しかし俺だって前の席の名前も知らない人に話しかけたくはない。
この膠着が行き着く果ては、2人揃って教科書を忘れたことがクラス中に知らしめられることである。
だがやはりこれは三楓さんの問題だ。
自分でなんとかするのを待とう。
駄目だったらその時はその時だ。
「教科書来い教科書来い……」
三楓さんがぶつぶつつぶやくのが聞こえた。
駄目だこの人。おまじないに頼りだした。
「どうした三楓? 教科書忘れたのか?」
なんとか川先生が声をかける。
「えっ? ひゃっ、ひゃいっ、そうです」
「紅葉、見せてやれ」
来そうだな。俺の番が。
とりあえず息を深く吸いこむ。
前の席からスッーとなにかが差し出された。
現代文の教科書だ。
前の子が背中の方でそっと小指を立てる。
よくわからないが、救われたらしい。
あとでお礼を言うのが面倒だが……。
さっそく該当のページを開いて三楓さんに渡そう。
そう思って三楓さんを見ると、持ってた。
教科書、三楓さん、持ってた。
「えっ!? ほんとに来たっ……じゃなくて、先生。教科書見つかりました!」
「そ、そうか。分かったから早く読みなさい」
三楓さんは最初から教科書を持っていたらしい。
馬鹿馬鹿しい……。
「えーっと……『何故かと云うと、この23年、京都には、地震とか辻風とか火事とか饑饉とか云う災がつづいて起った』」
「二三年だ。二十三年じゃない」
「はっはい。『そこで洛中のさびれ方は一通りではない。旧記によると、仏像や仏具を打砕いて……(中略)……足ぶみをしない事になってしまったのである』」
三楓さんはようやく音読を終えた。
「では次の段落を……紅葉」
今度は俺が当てられる。
「『その代りまた鴉がどこからか、たくさん集って来た。昼間見ると、その鴉が何羽となく輪を描いて、高い鴟尾のまわりを啼きながら……(中略)……ぼんやり、雨のふるのを眺めていた』」
無事、読み終え席に着いた。
「ではその次を黒空、読んでくれ」
先生がそう述べると、俺の前の席の女子が立ち上がった。
俺に教科書を貸してくれた子である。
隣の人に見せてもらってはいない様子だが大丈夫だろうか。すぐに返した方が……。
「『作者はさっき、「下人が雨やみを待っていた」と書いた。しかし、下人は雨がやんでも、格別どうしようと云う当てはない。ふだんなら、勿論、主人の家へ帰る可き筈である。所がその主人からは、四五日前に暇を出された。前にも書いたように、当時京都の町は一通りならず衰微していた。今この下人が、永年、使われていた主人から、暇を出されたのも、実はこの衰微の小さな余波にほかならない。だから「下人が雨やみを待っていた」と云うよりも「雨にふりこめられた下人が、行き所がなくて、途方にくれていた」と云う方が、適当である。その上、今日の空模様も少からず、この平安朝の下人の Sentimentalisme に影響した。申の刻下りからふり出した雨は、いまだに上るけしきがない。そこで、下人は、何をおいても差当り明日の暮しをどうにかしようとして――云わばどうにもならない事を、どうにかしようとして、とりとめもない考えをたどりながら、さっきから朱雀大路にふる雨の音を、聞くともなく聞いていたのである』」
黒空さんはなんと教科書の類を一切見ずに該当の段落を全て読み上げてしまった。しかも俺や三楓さんと違って……(中略)……を使わずにである。
あらかじめ予習し、暗記していたのだろうか? 考えにくい話だが……。
すごいものを見たなと思いながら教科書のページをめくると、次のページにメモ用紙が挟まっていることに気づいた。
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授業後 私の机の上に置いて
お礼不要 黒空 无夕
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いちいち顔を合わせずともお礼なしで返していい、ということか。
お礼や無駄なやりとりが苦手な俺には喜ばしい話だ。彼女も人付き合いは嫌いなのか?
それにしても、无夕とは変わった名前である。
まあ俺も人のことは言えないが、黒空という名字も珍しいな。
本来、紅葉より出席番号が後なので席の位置関係がおかしいのだが、誤って黒空とでも読まれたのだろうか。なんだこの学校。