16.害
苛立ちが強いかな。鬱的だけど、鬱じゃないですよ。
「あれ、ここ間違ってるよ。」
クラスメートが私のノートを覗き見てそう言った。プリントを回す時に偶然目に入ってしまったのだろうか。だとしても、不躾だ。
私は不快さをこらえて首を傾げる。
「この字。」
そこには、“障害者”の文字。
「黒板通り、障“がい”者って書かなきゃ。」
音で、彼女が言いたいことが分かった。
「―――いいんだよ。これで。」
私は答える。
「えーダメだよ。今ドキこういうのは気を遣わなきゃ。失礼じゃん。」
私は思わず“わらって”しまう。
「まさか。本人にとっては確かに“害”なんだから。…それより、その発言こそ失礼だよ。気を付けてね?」
「??」
「ほら、先生がこっち見てるよ。」
そう言って無理矢理彼女に前を向かせる。
私が私に気を遣わねばならないなんて、そんな馬鹿げた話があるだろうか。
そうだ、私だって障害者。ちょっとやそっとで分かるような障害じゃないけれど、確かに私は健常者ではないんだ。
きっとクラスメートは、誰一人として、私が障害者であることを見抜いていないだろう。知ったとして、どれほどの“理解の姿勢”を見せてくれる?同情か軽蔑か、自分の努力は他人に正しく届くものではないと知ってるから、私は期待なんてしてやらない。
私にとって障害は重荷だ。だから障害という表記に間違いはないと思う。たとえそれが、元は別の意味で作られ、漢字が当てはめられた言葉でも。
失礼などと考えて“障がい者”という表記を主張する奴は気付いていないんだろうな。それが誰にとっての障害か。「社会にとって」なーんて言う奴は…分かるよね?
障害者の皆さん。
障害という言葉に不快を感じる必要はありませんよ。障害という言葉は所詮、健常者目線で作られたもの。その障害とどう向き合うかであなたの世界は変わるはずだから。
“失礼”の意味をよく考えろ、健常者め。
……なーんて。障害者同士だって分かり合えないからなぁ。