15.あやしき者
何を書きたかったのか自分でも分からなくなったやつですが。耽美的に書きたかったはず。
いつか改訂版を出すでしょう。
なめらかな曲線、柔らかそうな肌、しなやかな動き―――
美しさは人を惑わす。
それが故意でも偶然でも、真に美しいものならば。
向かいの家のお嬢さんは、今日も窓を開けたままで踊っている。
わたしはそれをこっそりスケッチしている。こちらの灯りを消せば、あちらは見ている誰かがいるなんて知ることもない。
あのお嬢さんの日課を知ってから、創作意欲があふれて止まらない。ああ、早くこれを絵にしたい!
線の細さは、男の骨格とは違う。肉の付き方も、それから感じる肌の弾力も。
女の美しさは、一糸乱れぬ動きで目を引く兵隊と似ている。もっとも、あの圧倒的統一の美はそうあるべくしてつくられるものだが。異なるように見えて自然と統制されているこの美には敵うまい。
種として彼女らは、一つの美を持つ“さだめ”なのだから。
しかし、それが必ずしも幸運を呼ぶわけではないとわたしは察する。なんせ、その美しさは他人を大いに惑わすことがあるのだから。かく言うわたしも、男である。女の美の優劣を、物に下すように評価したことがないとは言えない。
とはいえ、最近あのお嬢さんをこっそり盗み見ているのは、欲情とは異なるように思える。美醜で評価をつけるなら、お嬢さんの顔立ちはあまり整っているほうではないし、お嬢さんとどうにかなりたいとも、お嬢さんをどうにかしたいとも全く思わない。
思えば、わたしはお嬢さんの顔を書いていない。スケッチした人物に顔はついているが、どうもあのお嬢さんではなく、わたしの恋人のほうに似ている気がする。
ならば、わたしはあのお嬢さんの何に惹きつけられているのだろう。
数日考え、一つの結論を“こじつけた”。こじつけたと言うのは、言葉にするには表現し得る言葉が足らず、何より無粋なことに思われたからだ。それでも人間の愚かな追求心というものがわたしにもはたらき、美の原因を見つけ出せとうるさい。わたしとしては、この気持ちを一刻も早く落ち着かせたい。
「あのお嬢さんの魅力は、自分の特性を分かった上の動きだ」
ああ、こんな短い言葉であの美しさを言い表すなんて。我ながら、頑張った方だと思う。
そもそも私は絵描きだ。言葉じゃなく、絵で、あらゆるものを謳う。しかしたまには、他の表現に浸るのも悪くないな…。
さて、こうして、以前より美に対する思いは形になった。
しかし残念なことに、わたしがあのお嬢さんを観察することはできなくなってしまった。お嬢さんがカーテンを閉めるようになったからだ。盗み見しているのがバレたと思ったが、どうやら違うらしい。昼間、偶然すれ違ったお嬢さんの足には包帯が巻かれていた。怪我をして踊れないらしい。
仕方ない、今度、演劇でも見に行くとしよう。いや、やはりバレエがいいな。あのお嬢さんがいなくとも、あのような美しさを持つ者がいるかもしれないから。
今、わたしは、お嬢さんをモデルにした最後の絵を描いている。どこまであの素晴らしさを表現できるか分からないが…。きっと最高の絵となることを確信している。
「わたしはあの美しさを世に知らしめなければならない」
そんな使命感を抱いてしまうほど、虜になってしまったから。
怪しい者と妖しい者。