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 レイシーはウェインの言葉に勢いよく頷いてしまったから、しまった、とレイシーは自分自身に呆れた。

 もちろん、ウェインの言う通りに報奨金の大半を使ってしまった、と言っても、もともとが莫大な額だったから、贅沢することは難しくてもレイシー一人が生活していく分には、まだまだ何の問題もない。


「でも、それじゃあ、結局何も変わらない……」

「休みなしで生きてきたんだ。ちょっとぐらいの休暇と思ってゆっくりする方がいいじゃないか? それより」


 ウェインはどん、とテーブルに拳を置く。ちなみに先程、彼が叩いたテーブルはもともと屋敷に付属していたものだ。壊れたり、傷んだりしているものも多いが、生活できる程度の家具があるのはありがたい。そして静かに腕を組み直す。


「飯は食べているのか?」


 先程よりも、激しい圧がある言葉だった。ウェインが持ってきてくれた食糧はといえば、地下の保存庫に収納済みである。主にウェインが。整理上手な男だった。


 レイシーはその質問に待っていましたとばかりににやりと口の端を上げて、静かに立ち上がった。ウェイン、レイシーが話しているテーブルは、実は食卓である。それ以外にまともな場所がなかったのだ。ウェインからすれば机の端に埃が残っていて、まだまだといったところだが、もちろん自分は家主ではないため、ずんと席に座りながら耐えていた。彼が常に両手を組んでいるのは、実のところふんぞり返っているわけではなく、動かしたくてたまらない両手を自分自身で押さえつけているのである。


「食べているわ」

「……ハッ、どうせ、二日、三日に一回だろ」

「ううん。一日二回」

「レイシーが、誰にせっつかれることなく、一日二回……!?」


 ウェインは翠の瞳をあらん限りに見開き、封印されていた両手も思わず自由にさせのけぞるように驚いた。レイシーは目的のものを探しながら満足げに笑う。そう、この反応が見たかった。レイシーといえば、食べない、寝ないのないないづくしの女である。


 ウェインとレイシーが出会った頃、ウェインは今よりずっと貴族らしい男だった。十七歳で、青年とも、少年とも呼べない年の頃で、レイシーは十四歳。彼女も今よりもずっと卑屈で、黒いローブのフードを上げることなく、声が聞こえるのは呪文の詠唱をしているときぐらい。馬車の中で小さくなり、森の中をよたよた歩き、食事のときでも魔術の鍛錬を欠かさない。


 なんだこいつは、と眉をひそめるようなウェインの感情が、俺がいなければ死ぬのではないだろうかという焦燥にじっくり変わって今に至る。


「すごいじゃないか。こりゃ偉すぎるな」


 だから手放しで褒めた。

 レイシーも、決してウェインの口うるさい説教が心にまで届いていなかったわけではない。優先事項が違っただけだ。けれど、しっかりと生きていきたいと決意した手前、変えなければいけないことも理解している。まずは、食生活。


 隅に置いたままにしていたカゴを見つめて、両手でかかえ、そっとテーブルの上に置いた。山盛りのニンジンだ。「……これは」 ウェインは静かに声を落とした。レイシーはない胸をそっとはる。


「近所の男の子にもらったの。ちょっとした手伝いをしたから」

「……ああ、さっき、開墾作業をした、と言っていた子か。もう近所付き合いもしているのか、すごいな」


 褒められる内容ばかりが増えていく。


「このニンジンを食べているの」


 ウェインにとって、とても遠い言葉のように聞こえた。まるで同じ言葉を話しているようには思えなかった。


「茹でてか」

「ううん。そのまま」


 ばりぼりと。

 もちろん皮はむかない。ウェインは言葉を失った。目の前には、きらきらとした瞳をしているレイシーがいる。カゴに手を当て、ふんふんと嬉しそうに鼻から息を吹き出している。


「……馬か!」


 腹を壊すぞと叫んだ言葉を皮切りに封印されていたはずの両手がほどかれていたものだから、ウェインはナイフでニンジンに皮をむき、切りそろえて鍋に火をかけ茹でていた。そうすると、部屋の中の惨状にも我慢ができなくなってくるというものである。時間が足りる限り、水回りの掃除を始めた。


 始めはレイシーも素早く動くウェインの姿をただ呆然と見つめていたものの、こんな場合ではないとハッとして彼を手伝った。その日が過ぎていった。茹でたニンジンはうまかった。




 次の日の朝、立派にこしらえた朝食を終え、それじゃあとウェインは片手を振った。


「もっとゆっくりしていけばいいのに」

「そうしたいところはやまやまだが、あんまり長く休暇がとれなかったんだ」


 レイシーが未だに暁の魔女と呼ばれるように、ウェインも魔王を倒した勇者である。求められる場所はどこにでもある。「魔族の残党が見つかったんだ。ここからそう遠くない」「そう……気をつけてね」 けれど、ウェインの表情は明るいものだ。これからは、新たな魔族が生まれることはないのだから。


 レイシーは両手で帽子のつばをひっぱりながらウェインを見上げた。


「いいか、レイシー。お前がいい歯をしていることは十分にわかったから、ニンジン以外もちゃんと食うんだ。次来たときに今以上に痩せていたら、一生ニンジン以外しか食べられない体にしてやる」

「それは困るからがんばるわ」


 レイシーはトマトでもなんでも、赤い食べ物はだいたい好きだ。あとはウェインが持ってきた食糧を、きちんと氷結石を定期的に入れ替えて、温度を下げること。薬草は魔力を浸した水につけて、長持ちをさせること、水回りは特に念入りに掃除すること、と注意事項が続いていく。


「……旅をしているわけじゃないし、多分、薬草を使うことはないと思うけど」

「何があるかわからないだろう。一人暮らしなんだから、念には念を入れなさい。わかったな」


 まるで遠出をする母からのお小言のようだ、と少しだけ思って、頷きつつもぼんやり意識を飛ばしていたとき、「最後に!」とウェインが語彙を強めたので、びくりと顔を上げた。


「その帽子、かわいいな」


 レイシーの背に合わせるように、ちょっとだけ屈んでくれた。

 彼女が服装を変えるときといえば、たまにある元婚約者との面談くらいで、いつも黒のローブを身にまとっていた。でも、そんな自分も変えようと思ってのことだったから、にこりと笑った。


「ありがとう」

「どういたしまして」


 さっくり礼を言って、軽く受け止め合う。

 別れはあっさりしたものだった。


 ウェインが去ったあと、屋敷の中に入ってみると、ひどくからっぽなような気がした。それがなぜなのか、考えてもよくわからなかったから、厩舎を掃除する。そして、屋敷の端から端までを見渡した。「うん、なんていうか、その……」 まあ、言葉にはできない惨状だった。一人のときならこんなものだろう、と思ってはいたものの、人の目を通すとなると、真実が見えてくるというものである。


 広々とした、部屋の数の把握すらもできてないお屋敷だ。レイシー一人では手にあまりすぎる大きさで、管理をするのも難しい。だから手が届く、狭い範囲のみせめて生活できればそれでいいだろう、と思ってはいたけれど。


「……さすがに放置をしすぎるのも問題ね」


 考えてみれば、別に掃除をする方法はレイシーの小さな手のひら二つのみではない。ゆっくりと、杖を掲げた。



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