52
レイシー達は奇妙な形のガラスをレンズと呼ぶことにした。
ベッドの中でぐっすり眠って、遅い昼間に目を覚ました。飛び起きてお昼ごはんを並べて、全員でレンズを観察する。
「そのレンズを通すと暗い中なら風景が映るってことはわかったが、それをどうやって形に残すんだ?」
ウェインが作ってくれたミートパイを口いっぱいに頬張りながらレイシーは答える。
「日焼けの原理を使えないかな? 服を着ているとそこだけ日に焼けないでしょ? 白と黒の色しかできないけど、濃淡があればレンズで映したものを別のものに写し取ることができるかも」
「なるほどな。でもそれだと、写し取るものについても考える必要があるんじゃないか?」
口元をぬぐって指をなめながらウェインが考察する。おっしゃる通りとレイシーは頷くしかない。足元では、ぶもぶもきゅいきゅいお皿の中に顔をおもいっきり突っ込まれているから、からんからんと皿が激しく揺れている。
「それはともかく、まずは“小さな部屋”を作らなきゃ。あの部屋と構造は同じ、でももっと小さくて、持ち運びできるものじゃないとね。目指すのは手のひらよりも少し大きい程度で、中に光が入らないようにしっかり組み立てていて、それから小型にしたレンズを作ってはめ込む!」
「時間があればだが、他はともかくレンズを俺達で一から作るとなると、さすがに難しいな」
「……そうなんだよね、やっぱりここは」
ごっくん、とほっぺをへこませ、飲み込んだ。そして。
ドンッと目の前には店がそびえている。
「本職に、頼むべき、かもしりぇ……ないっ! そう、本職に頼むべきかもしれない!」
「めちゃくちゃ噛んでるな」
がくがくしている。
レイシーは腕を組んで、必死に仁王立ちするが心に体がついていかない。店の看板には盾に斜めにたてかけられた剣のマークが描かれている。ようは武器屋兼防具屋、そして鍛冶屋である。
「……結局、ここは武器屋なのか? 防具屋なのか? それとも装飾品を売っているのか?」
「まとめて全部って聞いたことがある……。プリューム村は平和だから、武器の需要はないし、防具もそうだし、でも鍛冶屋は村に一つだから誰かがしなきゃいけないし、それなら全部ってなっちゃったって。……私も、ここに来るのは初めてだけど」
ティーとノーイは屋敷でお留守番をしてもらっている。レイシーはウェインとともに店のドアを見つめてごくん、とツバを飲み込んだ。レンズを作ってもらうために訪れたのだが、いきなりやって来てお願いしますと頼んだところで、果たして引き受けてくれるだろうか?
最近はマシになってきたと思ったはずが、慣れない相手にお願いをしなければならないとなると動悸が激しい。ぜひぜひする。
「ふう、ふう、ふう……ひい」
「息が荒すぎるだろ、大丈夫なのか。というかレイシーも店主を知らないのか? そんなにでかい村じゃないし、そろそろ住人の顔も把握してるだろ」
「知ってる……けど、話したことはほとんどなくて……。いっつも無言で背中を叩かれて、すごく痛いというか」
「背中を?」
「こう、思いっきり。あと、何か、強そう、というか」
レイシーはそっと視線をそらした。すっかり口はへの字である。また引っ込み思案がでてきたらしく、ない帽子のツバを探している。
「強そうって。何をそんな。オークが百匹束になってもレイシーには敵わないだろ」
「た、たしかに敵わない、けど! いえさすがに百もいたら苦戦すると思うけど! いやそうじゃなくて、なんというか、そのっ」
レイシーの手がしゃかしゃかと動き出す。必死に手が帽子を探しているのだか、もちろん無意識である。本日の彼女の髪型は長い髪を高い位置で一つにくくっていて、シンプルでかわいらしい。
「純粋な、恐怖、というか……ッ!」
「さっきから人の店の前で何なのうるさいわよー! ……あらっ、なーんだレイシーじゃない」
「……エリー?」
「エリーちゃんだってば!」
店の扉がぱったり開いて、ツインテールのかわいらしい女の子が顔を出した。レイシーが彼女の名前を呼ぶと、ぷうっと頬が膨らんでしまった。そして、「表が騒がしいから、どうしたのかと思ったわ」とドアノブを握りながら肩をすくめている。
なぜ店の中にエリーが? とレイシーは驚いたがそういえばと思い出した。
「エリーちゃんのお家って、鍛冶屋……」
「そうよ? あっ、そうだ。今丁度お店にいるから、改めてパパを紹介するわね。パパって無口だから、レイシーとは多分ちゃんと話したことないんじゃない? パパー!!?」
「ひいっ、エリーちゃんいいよ、いいから! またにしますごめんなさい!」
「逃げるな逃げるな」
ウェインがレイシーの首根っこを確保してじたばたしている間に、のしん、のしんと大きな足音が地響きのようにやってくる。
そして巨人がやってきた。のっそりとドアをくぐり、一歩いっぽ足を出してレイシーとウェインの前に立っている。よく日に焼けた褐色の肌に、つるりとした禿頭。両手にはなぜか斧を持っていてぽたりぽたりと血がたれている。
「……こんにちは」
地を這うような声である。ウェインも一般的には背が高いはずなのだか、目の前の大男と比べると、大人と子供のようであり、レイシーなんていわずもがな。巨人の大人と小人の子供である。
「…………」
「…………」
「こんにちは」
巨人は礼儀正しく挨拶を繰り返した。レイシーとウェインは無言のまま巨人を見上げた。「ちょっとパパ!? なんで斧なんて持ってるのよ! しかも血だらけだし!?」「鶏……料理を、頼まれて……」「ママなの!? 犯人はママなの!? だいたいそれなら斧は二本いらないわねっていうか、斧じゃなくてもいいわよね!?」「慣れた……得物が、いいかなと」「よくないわよ!?」
「……ブルックスと戦ったらどっちが強いかな?」
「……そんな、ウェイン、あの人は一般人よ、冒険者じゃないわ」
言葉を区切り返答しつつもレイシーには答えが見いだせない。しかし、でもでもだってとゆっくりと繰り返す店主に、「ドラァ!」と娘の飛び蹴りが炸裂した。あっけなくふっとばされてころん、ころんと店の中に転げていく。エリーは激しく肩で息をしながら、勢いよくレイシーを振り向いた。
「はあっ、はあっ、ごめんねレイシー! パパ、すごくかっこいいんだけど、すごく誤解をされやすいっていうか! やり直してくるから!!」
「え……そんな、謝られることは。というか、やりなおし?」
「待っててェ!」
どたどた、どったん。勢いよく閉じられた扉の中で一体何が行われていると言うのか。やって来た店主はもちろん両手には斧は持っていないし、飛び散った血も綺麗になっている。しかしさらに変わっている場所があった。なぜだか禿頭であったはずの頭から髪が生えている。しゃらんらと輝く銀髪が腰まで伸びて美しいが、どう考えてもカツラである。
「くぅっ……!」
「く、んぐう……!」
レイシーとウェインは同時に店主から視線をそらした。唇を激しくかみながら眉根のシワがおそろしく深くなっている。襲い来る笑いを必死に噛み殺しているのである。
「……エリー……さすがに、カツラは、やはりやめた方が、いいかと」
「ええっ、素敵なのに。今度はもっと違うのを作るね。セドリックさんみたいなのはどうかな?」
「考慮する……」
考慮してしまうのかとさらにレイシーとウェインの唇を噛みしめる力が強くなってしまう。店主が大きな太い手でカツラをとってくれたから、なんとかまっすぐに目を合わせることができた。がっしりとした大きな体躯、分厚い指だ。
「あの、こんにちはテオバルドさん、こっちはウェイン・シェルアニク。ええっと、私の友人です」
「勇者殿のことは存じている。俺はテオバルド。お初にお目にかかる」
「はじめまして、ウェインといいます。よろしく」
「レイシー殿も、先日は娘が世話になったとうかがっている。礼を言う……」
「いやいやそんな! こちらこそエリーちゃんには助けてもらいましたから……!」
無事にウェインとテオバルドが握手をしている姿を見てほっとしているときに頭を下げられ、レイシーは慌てて首を振った。なんだかこの流れ、以前のアレンと双子のときと似ているぞとこっそりレイシーは首を傾げた。
それはそうと、エリーの父、テオバルドは見かけはいかついが案外温厚的な性格のようである。隣ではエリーがテオバルドの隣で「ふふーん!」と腕を組んで胸をはっている。よっぽど父を紹介できるのが嬉しいのだろう。
「それはそうと、何か用があって……うちに来たのでは……」
テオバルドがゆっくりとレイシー達に問いかける。レイシーとウェインは顔を見合わせた。自分が言うか、とばかりにウェインが合図をしてきたから、レイシーはいっぱいに空気を吸い込んで、頬をぷくっと膨らませた。何をしているんだとウェインは苦笑しているが、ただの気合の表れである。レイシーが願ってここまでやって来たのだ。それならレイシーがきちんと伝えなければいけない。
「あの、テオバルドさん。いきなりやって来て、不躾なお願いを大変申し訳ないです、その、すみません、できればお力を借りたいものがありまして……」
しかし最後はごにょごにょと声が小さくなっていく。ちゃんとテオバルドに聞こえているのか少し謎だ。エリーがちらちらと視線を動かし、様子をうかがうようにレイシーとテオバルドを見比べている。喉の奥が詰まって、ぎゅっと締め付けられているみたいだ。
「力を、借りたい、か……」
返ってきたものは重々しい口調の返答だった。びくりとしてレイシーは肩をすぼめた。「少なくとも、店先でする話ではない、な。……中に、入ってくれ」 そう言ってテオバルドはあっさりと背中を向け、ドアをくぐり抜けて消えてしまう。レイシーは、もう一度ウェインと顔を合わせた。小さな不安が大きくなる。レイシーにとって大切なものが、他の人にとってもそうなのだとは限らない。だから、怖い。レイシーは人との関わりが怖い。できればいつだって逃げ出したい。けれど、だからこそ尊さだって感じている。――そして現在の状況に頭も抱えている。
「思い出を、切り取る道具か……! いい、面白い、な……! 必要なものは、これと似たガラス、いや、レンズということか……! 箱もいるが、そちらは難しくなさそうだ」
「いいねえ、おっさん話が早い! たしかに箱については中に光さえ入らなきゃなんでもいいと思うんだがな」
「それより、日焼けの原理を利用するんだったな? ならば箱だけではなくて、箱を固定させる台もいるんじゃないか……? 長時間同じ状態にして太陽の光を吸い取らなきゃならんから、手で持ってはぶれてしまうだろう……」
「なるほどたしかに! でも高さが固定されるんじゃ困るよな……こう、三本足で、広くしたり、せまくしたりして高さの調節ができたらいいんじゃないか?」
「その考え、もらった……!」
ばちん! とテオバルドは指を鳴らしたが、指が太くて大きすぎて、何らかの攻撃と勘違いしそうになった。どこかのブルックスを思い出す。あちらはあちらで生きる筋肉である。
「…………」
「レイシー、とりあえず飲み物でも持ってくる?」
「エリー、ありがとう……」
少女の思いやりに頭を下げて、コップに入れられた水をちびちび飲む。
こうしてレイシーはただ無言のまま部屋の端でうなだれてウェインとテオバルドが盛り上がる様子を見守るしかなかった。
初めは、ちゃんとレイシーがたどたどしくもテオバルドに話していたのだ。店のカウンター越しになるほど、とテオバルドは頷いていて、レイシーの想像の何倍も好意的に食いついてくれた。しかし、食いつかれすぎた。やはりものづくりを生業にしているからか、新しいものを作るということに目がない様子で、最初はほんの少しの口出しをしていただけのウェインが、いつのまにかメインにすり替わり、今や男同士熱いトークを繰り広げている。
なるほど、高さ調節。その発想はなかった……と納得しつつも、レイシーは勢いよく首を横に振った。こんなことをしている場合ではない。エリーからもらった水を勢いよくあおって飲み込み、息を吐き出す。そしてもう一度彼らに食らいついて行こうとする。負けてたまるか。
「あの、それならレンズは、テオバルドさんにおまかせしても大丈夫でしょうか!?」
ひっくり返った声で二人に声をかけた。ウェインとテオバルドはぴたりと声を止めた。そしてレイシーを見て、テオバルドは力強く頷く。
「レンズについては似たようなものなら、作ったことがある……ようは、ガラスを細かな砂で研磨してやればいい」
「もはや鍛冶屋というよりも雑貨屋だな」
「依頼を受ければ、底が空いた鍋でも直してみせるぞ……」
プリューム村では、きっと剣よりも鍋の方がよく売れるのだろう。そうならざるをえなかったのだろうか。
「店はエリーに任せるし、急ぎの仕事もない……。できれば、俺もその“思い出を切り取る道具”を見届けたい。まかせてほしい……。だからこそ気になるんだが、切り取った風景を、何に写すんだ。日焼けと同じように、と言っても、まさか人の肌に焼くわけにはいくまい……」
「あの、そこはまだ、考え途中なのですが、日に当たって、反応しやすい何かをガラスの板で挟んでみてはどうかなと」
両手をばたつかせながら答えると、テオバルドとウェインは二人して何かを考え込むように口を閉ざした。そして顔を上げたのはほとんど同時だった。「「銀か!」」「え?」 ぎん? とレイシーは目をしばたたかせるしかない。
「そうだ、銀だな。なんですぐに気づかなかったのかね、銀の装飾をつけているときに光の魔術を使うなってのは冒険者の基本中の基本だ。すぐに真っ黒になっちまうからな」
「けれどウェイン、銀にそのまま写すというのは……コストが、かかる。そして、写した風景も、放っておくと、少しずつ日常の光を取り入れて、黒に変色してしまうだろう……」
「銀は粉のようにして、スライム液に浸す。それからガラスの板で挟むってのはどうだ。スライムは種類によっては擬態能力を持つものもいる。死んでからもその能力はある程度は続くが、時間が経つにつれて力は失われる。つまり、銀として日焼けしたなら、そのままの状態で固定される」
それだ! とテオバルドはさらに大きな声で、そして勢いよくカウンターを叩いた。
気づけば、どんどんと形になっていく。こんなものがあればいい、とレイシーが考えていただの夢物語のような道具が形作られていく。
「えっと、あの、うんと、あの……」
今度こそ、と思ったのに、相変わらずレイシーは勢いに飲み込まれたままだ。「つまり、あの……?」 おろおろとウェインとテオバルドを見た。エリーはトレイを脇に挟んで、男二人に呆れたようにため息をついている。「そう、つまり……」 テオバルドは、ゆっくりと続けた。
***
「ひ、ひひ、ひええええええ!!!!」
「ちゃんとつかまっとけよ、レイシー!」
レイシーはウェインの背中にしっかりとくっついた。なにか以前、これと同じようなことがあった気がする。爆走するブルックスを馬で追いかけ、あちらは人、こちらは馬なのにいつまで経っても追いつけなかった。ブルックスには及ばないものの、ウェインも人ひとりを抱えているはずなのに、中々のスピードだ。隣ではノーイが爆走していて、ティーはレイシーの頭上を滑空している。
――スライム狩り
それが、ウェインとレイシーに課せられた任務だった。とにかく、スライムの液体が必要になる。それも擬態能力を保有したものだ。
そういったスライムは鬱蒼とした森の中に生息するため、ウェインの愛馬は使用できない。人の足でしか踏み込めないような狭苦しい場所が大好きなのだ。
通常、スライムを退治する際には振動魔法を使用する。スライムは力の弱い魔物だが、物理的な攻撃はほとんどきかない。だからこそ、体の中の水分を振動し蒸発させ、むき出しになった核を破壊するのが定石である。しかし、今回はスライムの液体がやまほど必要、となると通常の方法は使用できない。
「回収はレイシー頼みだからな、任せたぞ」
「……はあい」
頼むと言われると、なんだか自信がなくなってきてしまうのがレイシーである。
そして二人と二匹は森の中に飛び込んだ。スライムの森、と言われるほどにスライムが生息している森らしく、村の人間は滅多なことでは足を踏み入れない。ただの木だと思ったら何百匹が集まったスライムだったという話もあるらしい。
「……ぶも!?」
ぴくり、と短い耳をノーイがぴくぴくとさせる。そして助走をつけ、勢いよく飛び出した。目の前にあるのはただの岩だ。がっつんっ! と思いっきり頭突きを食らわせノーイの体は跳ね返った。しかし、同時に岩が忽然と崩れ落ちた。ばらばらとスライムが崩れ落ちて丸い体が宙を浮く。
「ティー!」
「キュウウウオオオオ!!!!」
スライムは本能的に炎を嫌がる。つまりフェニックスはスライムの天敵だ。慌てて逃げ出そうとしていた体をティーの雄叫びでぎくりとこわばらせる。ほんの一瞬だ。けれども、致命的な時間でもあった。レイシーを背に抱えたまま、ウェインはすぐさまスライムと距離をつめた。一閃。五匹のスライムが全て真っ二つに裂け、核をむき出しにしている。
短くレイシーは詠唱した。氷の刃に核が貫かれた瞬間、スライムはただの水に成り果てる。回収はレイシー頼み、ということで水の魔術も使用する。水には水を包んでやればいいだけだ。スライムの水分を封じ込めた泡をふわふわと浮かして、レイシーはため息をついた。
「……なんとか五匹ね」
本来なら魔法使い三人とさらに幾人かの護衛が必要とするハントだ。スライムをただ倒すだけなら単純だが、液体の確保となるとスライムの核を表に出し破壊する役、水分を確保する役と忙しい。複数の魔法を瞬時に使用できるのはレイシーだからこそである。
持っている瓶の中に液体をつめていると、ウェインが満足そうに頷いてレイシーを見ていた。
「腕はなまってないみたいだな?」
「なんとかね。それよりスライムの水分を力技で削ぎ落とすなんて荒業ができるのはウェインとブルックスだけよ……普通は時間をかけて魔術を使って弱らせたところで核を狙うんだから」
「効率的でいいだろ?」
そう言って、にっかり笑っていた。




