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レイシーとウェインは二人ベンチに並んでパンを食べた。
ハムとチーズが挟まれたシンプルなパンだった。レイシーは膝の上に置いた絵にパンくずを落とさないように、小さな口で少しずつ咀嚼する。その様子をウェインはじっと見下ろしていた。
「なあ、その姿絵……」
「うん。売られていたから。みんなというにはちょっと足りないけど、これが一番そろっていたの」
「ブルックスとダナか。二人とも王都から出発したからかな。じゃなくてだな、そんなにでかいものを持ち歩いて、こけたらどうする? 空間魔法を使えばいいだろうに」
「だって、使える人はそうそういないし……。あんまり街中で使うのはどうかと思って。それに宿も近かったから」
ウェインの呆れたようなため息はレイシーには聞こえない。食べることに必死だからだ。ついでに膝の姿絵を見つめた。
「……私以外、みんな似ているけど、やっぱりちょっと違うね。ウェインはもっと男前だもの」
描かれた青年は、いかにも勇者然としていてきらびやかだが、実際はもっとどっしりとした、地に足がついたような落ち着きがある。それにどうしても絵筆では描ききるものができないものもある。実際、今も彼自身には隠蔽魔法がかけられており、傍目には少しばかり地味な青年に見えるだろう。そうしなければ、広場は人だかりにあふれてしまう。
魔術の看破はお手の物であるので、もちろんレイシーには普段と何もかわらないウェインにしか見えない。
「そういうことはいいんだ」
男前、と言われた側は聞き慣れている言葉なのか、さきほどと同じ呆れたみたいな顔をして、ひょいとレイシーの膝から姿絵をとりあげて、小脇に抱えた。
「俺が持っているから、ゆっくり食べろ」
「うん」
もぐもぐと頬をふくらませる。広場の中にはゆったりとした時間を楽しんでいたり、数少ない噴水で涼を得ている子供達もいる。レイシーが旅立った一年と少し前に比べると、平和になったものだと改めて感じた。それはきっと、いいことなのだろう。
「……それで、ウェインはなんでここに?」
たっぷりと時間をかけてパンを食べ終わった後に、レイシーは小首を傾げた。「お前に会いに来たに決まってるだろう」 姿絵を抱えていなければ、いつもの通り腕を組んでじろりとレイシーを睨んでいただろう。
「それは――」
「生きているか不安になったんだ」
なるほど、の言葉だった。この一月の間に、仲間は全員散り散りとなって故郷に帰っていった。王都に残ったのはレイシーとウェインのみで、誰とも連絡をとっていない。魔術の修行なら何時間どころか、丸一日、二日でもやり通してみせるくせに、どうしても自身の自堕落さから抜け出せない。いや、自分自身に興味がない、とも言える。別に一食や二食抜いたところで、活動に影響が出るわけではないのだから。
と、いったような彼女の姿を見かねて、いつの頃からかちくいちウェインが口うるさく監視をするようになった。パンも彼が買い与えた。旅に出て痩せこけて帰ってくるどころか、わずかにふっくらとなり帰ってきたのはレイシーぐらいだ。それでも同じ年頃の娘に比べればどこもかしこも細くて、ローブから覗くレイシーの腕を見る度に、ウェインは膝を揺らした。貴族としてはあまり品のいい仕草ではないが、彼も旅の中ですっかり毒されたと見える。
じゃあ、まあ、とりあえず生きている、大丈夫――だけですむ話かと思えば、ウェインは未だに不機嫌な様子である。
「……家も引き払ったんだって? 宿にいると聞いて驚いた」
「うん。身辺の整理をしようと思って。それにちょっと、一人を体験してみたかったし」
旅の途中なら何度も泊まり歩いたものだから、それはいつもウェインの後ろにくっついてのことだ。一人で、となるとまったくの初めてで、随分不思議な気分だった。
「それでも、もっといい宿に泊まれただろう。報奨金をもらったろ?」
「だいたい寄付したよ。お金を持っていても何に使うわけでもないし」
「お前な……」
「でも、だいたいだから。ちゃんと手元に残しているから、こうして宿にも泊まることができるし」
ちらり、とウェインが持つ姿絵に目を向ける。「ちょっとした無駄遣いもできる」 ほんの少しばかり、口元は笑っていた。
「全部、終わったんだよ」
呟いた言葉は、レイシーとしても随分不思議なものだった。いつか来るべきときのために、ただ己の技量を磨いた。そうしろと命じられた。泥水をすするように生きて、残ったのはレイシーだけだ。彼女は孤児だ。魔術の才があるとして見いだされ、国一番の魔法使いと認められ、旅に出た。けれども、それは魔王という強大すぎる敵を打倒し、終わってしまった。
通り過ぎた風が、レイシーの黒髪をなで上げる。重っ苦しいローブを着た彼女には僥倖の風だ。瞳をつむると、子供達の笑い声が、随分涼やかに聞こえる。からころと可愛らしく響いていて温かいものを感じた。胸いっぱいに吸い込んで、そして――また実感した。彼女の旅も、人生の目的も、全てが終わってしまった。
静かに、柔らかに子供達を見つめるレイシーに、ウェインは少しばかり考えた。彼自身も、言葉をいいあぐねて、それでも、ゆっくりと伝えた。
「願いがないと言う言葉は、未だに撤回しないのか?」
魔王を倒し、旅を終えたレイシー達には、報奨金以外にも、それぞれ一つずつ願いを叶えることを約束されていた。それに、レイシーは首を振った。仲間達にはもったいない、と何度も言われたものの、考えたところで彼女にはなんの欲も、目的もなかったからだ。だから何もないとしか答えられなかった。
ゆっくりと首を振るレイシーを見て、ウェインは、「そうか」とそれだけ伝えた。けれども、さきほどよりさらに間をとって、静かに尋ねた。
「……俺の家に来るか?」
「えっ?」
「いや、俺の家、というよりもシェルアニク家の別宅に、客人として、ということになるが。俺は、今はどちらかというと王宮に詰めていることが多いから、あまり会うことはないと思うけれど、少なくとも安い宿屋よりもずっとマシだろう」
ちょっとだけ驚いてしまった。けれど、続くウェインの言葉に、なるほど、と頷く。もちろんそれも首を振る。
「別に、ずっと宿屋にいるというわけじゃないもの。多分、もう一月か二月くらい後には、私……結婚することになると思うから」