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クライ  作者: 海来
8/30

[8] 疑い…

 家に入っても、やはり母親の姿はなかった。父親が先にリビングに向かい、テーブルの上から何かを取り上げているのを、瑠璃は黙って見ていた。

 手紙のようなものを握り締め、父親の手が小刻みに震え始めた。

「何をっくそっ……いったい何処に行ったんだっ」

 そう叫んで、父親は手にした物を床に叩きつけた。

「パパ?……どうしたの? これ何?」

 瑠璃は、床に落ちた手紙を拾い、広げて読み始めた。


『私は、この家を出ます。私には大切なものも、守って行きたいものもなくなりました。これからは一人で生きていきます。預金は頂いていきます。探さないで下さい』


「ママの字だ……どういう事……今朝も様子はおかしかったけど……でも、何で急にこんなっ……パパっ探そうっ、近くにいるかもしれないし、おばあちゃんの所かもしれない。電話してみて、話しなきゃっパパっ」

 瑠璃の声に、父親はハッとしながら震える手で携帯を出した。妻が行きそうな所に片っ端から電話を入れるが、何処にも行っていない。

「ダメだ……何処にもいない……どうしたって言うんだ……何が気に入らない……」

 父と母は、割と仲の良い夫婦だと思う。一人娘の瑠璃を挟んで、いつも明るい家族だったと思うし、母親は構いたがりで、夫と瑠璃の面倒を見るのが幸せだとでも言う様に、毎日せっせと家事をしていた。

 ただ、今朝だけは違っていた。朝食を作る事も忘れ、何一つ小言を言うわけでもなく、呆然としながら食卓の椅子に座っていた。気になっていたのに、父も瑠璃も自分の事に手一杯で、そのまま家を出てしまったのだ。

「今朝からおかしかったのに……」

 瑠璃が呟くと、父親は首を振った。

「いや、昨日の夜には、なんとなく変だった……でも、パパも仕事で疲れていて……気にしてやれなかった……こんな事になるなんて……」

 瑠璃は、何か腑に落ちない……何故自分の周りで、こんなにも今までと違った事が起きるのか……清との間に起こったこと、母の失踪……有り得ないことばかり……。

 ふと、瑠璃の頭に、九来の顔が浮かぶ。


『あいつが来てから……全部、おかしくなり始めてる気がする……』


 瑠璃の中で、それは確信へと変わるのに時間など掛からなかった。

「パパっ、これっておかしいよっ。ママは自分の意思で出て行ったんじゃないって思う……」

 父が訝しげに娘を見つめる。

「何を根拠に言ってるんだ……そりゃ、パパだって、ママの事を信じたいさ……でも、この手紙がっ」

「パパっ、私はママを信じてる。だから、ママを探そう……ねっママを信じて探そうよ」

 父の顔が、何かを決意するように引き締まった。

「ああっ、パパもママを信じる。一緒に探そう瑠璃っ」

 二人は揃って家を出た。

 母を捜しながら、小さな海辺の町を走り回った。日に10本ほどしか電車の来ない、小さな駅までやってきたとき、駅の横に植わっている木に凭れる様に立ち尽くす母の姿を見つけた。

「ママっ」

 瑠璃は父と共に走り寄った。覗き込んだ母の顔は、心ここにあらずといった様子で、ただ呆然と前を見つめているだけだった。

「おいっ……どうした……ママ? 何があった……ママ?」

 父は優しく話しかけるが、母の答えはなかった。瑠璃は父の後ろで、血が滲むほど唇を噛んでいた。

「パパ……ママは普通じゃないよ……とにかく家に帰ろう。ゆっくりさせて、後の事を考えればいい。ね?」

 父は、娘の言う事に同意するように頷いて、妻の肩を抱いて歩き始めた。

 捜していた時とは違って、駅からの道のりはそれ程遠くはない。あっという間に自宅に着いた。玄関を入ろうとしたとき、隣の家に車が戻ってきた。

 清の父と母が、清を伴って帰宅した様だった。瑠璃は、清に確かめたい事があった……自分が目覚めるまでの、本当の経緯……何かあったのではないか、瑠璃は疑っていた。

 今日の清の行動は、あまりにも極端すぎる……自分は男の生理などと言うものに詳しいわけではないが、いつもの清からはかけ離れている……だから、清にあんな行動を取らせた何かを、突き止めたかった。

「清っ」

 そう叫んだ瑠璃を、父親が止めた。

「あんな男に話しかけることは許さんっお前に何をしたのか、忘れたわけじゃないだろうっ」

 その声に、清の体がビクッと震えるのが見えた。清の父親が、こちらに向かって歩いてくる。

「佐々木さん……本当に申し訳ないです。うちのバカがとんでもない事をしでかしてしまって……申し訳ない」

 深々と頭を下げる清の父親に、瑠璃の父は黙って視線を向けるだけだった。今は、とりあえず妻を家の中に連れて入りたかった。瑠璃の事は、明日にでもハッキリと隣の夫婦と話し合うつもりだった。このまま隣同士でなどいられるはずもないのだから。

「瑠璃っもう入りなさいっ」

 その言葉に、瑠璃は素直に従う振りをした。後で、電話を掛ければ済む事だ、そう思った。

 家に入り、父親に、母をゆっくり休ませた方がいいと言って、風呂の用意を済ませ、簡単な夕食を作って食べさせた。自分も風呂に入って寝ると言って、瑠璃が自室に上がったのは11時を回った頃だった。

 瑠璃は、清の携帯に電話を掛ける。2コールで清が出た。

「……る……り……」

 電話の向こうの清の声は震えていた。

「清……今から聞くことに、ちゃんと答えて、いい?」

「何?……」

 瑠璃は勢いを付ける為に、大きく息を吸いこんだ。

「今日、私が寝ているとき、服を引き裂いたのは清なの?」

 清からの返事はなかった。

「清、聞いてるのっ清なの、返事してっ」

 泣き声が聞こえてきた。小さく細く泣く声は、紛れもなく清の声だった。

「泣いてるの? きよし……ちゃんと答えて欲しい……私、あんな事になってショックだけど、でも、信じられないの……清があんなことするなんて、信じられないんだよっ」

 しゃくりあげるような声と共に、清の話し声が聞こえてきた。

「誰も……信じてくれない……俺が行った時には……瑠璃は裸で……制服は切り裂かれてた……でも、どんなに言っても、信じてもらえない……水崎いたんだ、瑠璃のベットに座ってた……」

 やはり、と瑠璃は思う。あいつの仕業だ。

「九来ね……あいつがやったのねっ」

「でも、先生達は水崎なんて知らないって……俺が嘘を言ってるっ、瑠璃は水崎を覚えてるんだ……あいつが、言ったんだ……お前の為に用意しておいたって……俺……瑠璃に布団掛けようとしたんだけど……俺……頭の中が……瑠璃の裸見たら……頭がカーッとなって……ゴメン、ゴメン……瑠璃、ゴメン……ゴメン……」

 瑠璃は、大きな溜め息を漏らした。今の話を聞いたら、被害者は清だ……九来と自分の事に巻き込まれたのは清なのだ。謝らなければならないとすれば、九来ではないか……それとも自分?

 いいやっ一体自分になんの非があるというのだ……玉を抱く者か何か知らないが、そんなものの為に、自分の大切な者たちが傷つけられるなど、許せるはずがない。

「清っ、あんたが悪いんじゃないよ……これは、私の問題。決着をつけてやるっ九来の奴っ」

 瑠璃の顔は、怒りで歪んでいた。






 真夜中、瑠璃はこっそりと家を抜け出した。なぜか、自分の前に、九来が現れると思った。何を期待して現れるのか、それとも、もっと傷つけようというのか分からないが、必ず自分の前に現れると確信していた。

 清の泣き声が耳に残っている、母の心が消えてしまったような虚ろな表情を思い出す。九来がなにが目的だったとしても、許せるはずがない。

 瑠璃は、暗闇の中で拳をキツク握り締めた。

 瑠璃が今いる場所は、昨日、清に置いてきぼりにされ、一人で帰っているとき九来に呼び止められた近くだった。

 海辺の町には、小さな祠がある、昔はきちんと祀られていたらしいが、今は時折、町の年寄りが掃除をしているくらいで、あまり近付く者はいない。その祠は、夢に見た静波が守っていた祠なのではないかと、さっき気付いた。

 九来は何千年もの間、この町と共に生きてきたのだろうか……その祠に縛られて、静波への愛に縛られて……その身に闇を閉じ込めたまま、玉を抱く者を待ちわびる日々……。

 どんなに淋しいのだろう、たった一人で永い時を過ごすのは……それとも、人でなくなった九来にとって、それは何でもないことなのだろうか……

 九来を許せないと思う気持ちと、九来の永い時を思い、ふと胸が締め付けられるような思いと……瑠璃は自分の中の相容れない思いに揺れ動いていた。

「こんな時間に……こんな所で何をしている……」

 瑠璃の耳元に、甘く低く声が届いた。九来は、瑠璃の直ぐ後ろに立っていた。近付いてきた音もしなかった。

「九来……」

 九来の腕が、瑠璃の体をキツク拘束した。

「くらっ……」

「私に会いに来たのか……私のものになりに来た……そうだ、お前は初めから私のものだ……」

「ちがっ」

 違うと否定しようと思った瞬間、九来の舌が瑠璃のうなじを舐め上げた。

「やっ……」

「さあ、お前を喰らう時だ……」

 そう言って、九来が爪を立てた胸の谷間は、淡く瑠璃色に輝き始めていた。

「う、そ……」

 

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