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クライ  作者: 海来
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[5] 変貌

 朝、玄関を出ると、瑠璃は隣の家の清の自転車を探した。いつもある場所に、もうそれは無くなっている。

 今朝は一人で行ってしまったようだ。いつもなら、遅刻ギリギリの瑠璃を乗せて、清は自転車を漕いでくれるはずだった。

 今朝は、全てがいつも違う気がする……母親は、瑠璃に何一つ小言をいわなかったし、朝食を用意するのも忘れていたのか、台所に呆然と立ちつくしているだけだった。

 そんなにお腹のすいていない瑠璃は、そのまま出てきてしまった。元気のない様子の母が、少し気になる瑠璃だったが、学校を休むわけにもいかず、ゆっくりと歩き始めた。

 家を出て直ぐの角を曲がると、リンリンっと小さくベルの音がして、瑠璃は俯いていた顔を上げた。

「はよっ! そのまんまのんびり歩いてたら、遅刻しちまうぞっ」

 清が微笑みながら自転車に跨がっていた。

「清……」

 驚きに目を見開いた瑠璃の顔を見て、清がプッと吹き出した。

「瑠璃っ、すっげー変な顔……可愛い顔にもどさねーと、乗せないぞ」

 瑠璃は、いつも通りの清の態度に、嬉しさで一杯になった。今まで通りでいいのだ……幼馴染みのままでいてくれる……そう思うと胸に温かいものがこみ上げてきて、瑠璃の頬に涙が伝った。

「清っかっ飛ばしていこうっ」

 瑠璃は、いつもの指定席、清の後ろに乗って、その背中にしがみついた。

 清は、自分が幼馴染みのままでいることを、瑠璃が望むなら、今はまだ、それでも構わないと思った。

 それでも自分は、いつでも瑠璃の傍にいようと、離れないでいようと心に決めた。

 夏の始めの潮風の中を、笑いながら突っ切る二人は、子どもの頃のように無邪気だった。






 教室に入る前に、中から聞こえる黄色い声に、瑠璃は立ち止まってしまう。

「水崎くんの家はどの辺り?」

 軽く笑いながら、低い声が答える。

「海の近く……」

「やっだーっ水崎くんたらっ海の近くなら、この辺は全部じゃんっ。もっと詳しく知りたいのっ」

 九来がニコッと笑った。その笑顔は、何ともいえず心を引きつける魅力に溢れている。

「詳しく知って、どうしたいの?」

 周りの女子たちがキャーキャー言いながら騒いでいる。

「水崎くんの家に行きたーいっ。お母さんって綺麗なひとなんだろうなっ見てみたいよねっ」

 九来が淋しそうに首を振った。その姿も女心をかき乱すのに十分な憂いを帯びている。

「僕は……一人暮らしだから……」

 九来が、目の前の席に座っている女子に視線を向けた。

「危険かもしれないよ……」

 またしても微笑む九来の顔に、女子たちは釘付けになっていた。

 瑠璃は、教室に入らぬまま、その光景を見つめていた。

 昨日の九来とは、全く別人のような印象。女子達に囲まれた、普通の男子高校生、それもかなりもてるタイプ……自分の心の中にピリッとした痛みを感じた……九来が他の女子と話をしている、他の女子の瞳を覗き込んでいる……そう思うだけで胸の痛みは増してくるようだった。

 瑠璃はそんな自分の感情に流されまいと、首をブンッと振ってから、教室に入って自分の席に着く。瑠璃の席は九来の斜め前になっていた。九来とは反対の隣の席に、清が鞄を置いた。

 瑠璃は、席に着いて直ぐに、自分に向けられるキツイ視線を感じていた。

『九来が見てる……』

 感じるだけで、背中が熱くなってきて、頭が痛くなった。

「瑠璃? また頭いたいのか?」

 清がそっと瑠璃の頭に触れて、撫でてくれる。優しい動きが、今の瑠璃にはとても心地よかった。

「清……ありがと……」

 その時、周りがいきなり騒がしくなった。

「瑠璃……僕のものの癖に、他の奴に触らせるな……汚い手垢が付いた女はいらない」

 耳元で、九来の低い小さな声が響いて、瑠璃は身体を硬くした。

 そこには、優しく微笑む漆黒の瞳の九来の顔があった。

「お前は、僕のもの……他のものなどいらないはず……」

 甘い誘惑の言葉に聞こえる……他の女子には言わない特別な魔法の呪文のようだった。

「おいっ水崎っ。瑠璃はお前のものなんかじゃないっ瑠璃のことを物あつかいすんなっふざけたこと言ってっと許さねーぞっ」

 清が、瑠璃と九来のあいだに立ちふさがった。

 九来が声を上げて笑った。

「お前っ昨日、瑠璃に振られたくせに……まっ仕方ないか、あんな下手なキス……瑠璃もヘタクソだって呆れてたしな……本当の口づけはこうするもんだ……」

 キャーっという悲鳴を周りに聞きながら、九来の唇は瑠璃の唇に重なると、直ぐに舌が口腔内に入り込んできて、瑠璃の舌に絡んでくる。

「やっ……はっ……」

 思わず上がる自分の声の、あまりの甘さに、瑠璃は身震いした。

 九来に感じている……皆がいる前で、瑠璃は九来の唇を受け入れる自分の熱を押さえきれなくなっていた。

 やっと放されたとき、瑠璃と九来の唇は濡れてお互いに糸を引いていた。

「水崎くーん……瑠璃と付き合ってるの? ショックぅ」

 女子からはブーイングの嵐だ。

 物欲しげな声が周りから上がる……九来は、他の女子にも口づけるのだろうか……ぼんやりとした意識の中で、また胸がツクンっと痛んだ。

 九来が笑う……瑠璃をその腕に抱えるようにしながら、可笑しそうに笑っている。

「付き合ってないよ……」

「え〜っ水崎くんって付き合ってなくても、キスしてくれるのっ私もっ〜」

 何人ものクラスの女子が手を上げた。

 九来は困ったように肩をすぼめる。

「君たちっには悪いけど……瑠璃だけなんだ……君たちと仲良くできない……瑠璃が怒るから、ごめんね……昨日、約束したんだ……」

「付き合ってないのに、おかしいわよっなんでェ……瑠璃って卑怯だったんだっ抜け駆けって言うの、こういうのっ」

 九来の悲しそうな顔が、女子たちに悲しみを伝染させていくようだった。瑠璃はその様子を九来の腕の中から見つめていた。

「瑠璃の肌は特別に美味しいから……その為だけに、瑠璃との約束……守らなきゃ……」

 女子の中から、ひそひそと話し声が上がる。九来に対する不満ではなく、あからさまな瑠璃に対する非難……。

 男子は、遠くから好色そうな視線を投げてきていた。今の自分は、男子から見るとどう写っているのだろう……九来に口づけられ、確かに息は上がり、熱を持っている身体の女を、男子は……そして、清はどう見ているのだろう……。

 清は、瑠璃から視線をそらし、奥歯を噛みしめていた。

「や、めて……九来っなんで、なんで嘘なんかっ……何企んでるのっ」

 瑠璃は九来の腕を引き剥がし、立ち上がった。

「本当の事、言ってるのに……酷いのは瑠璃だよ……」

 淋しそうに肩を落として、九来は教室を出て行った。後に残った瑠璃は、クラス中の偏見の目に晒される。

「ねェ瑠璃……水崎くんと、もうやったの……だから、自分のものみたいな顔してるんだ」

「あんたなんかっ、たいした事ないくせに調子こくなっ」

「水崎くんは、皆のだからねっ。あんたになんか大きな顔させない。大体、あんたには清がいるじゃないっ清だってイイ男なのに、なんで瑠璃バッカもててんのよ」

 どんっと瑠璃の肩を押した女子の腕を、清が振り払った。

「やめろっ……瑠璃は悪くないじゃないか……お前ら、水崎がいいなら水崎に引っ付いてればいい。瑠璃に構うなっ……瑠璃は、あんな奴に何の関係もないっ」

 清は、瑠璃の肩を抱き寄せて、大きな声でそう言い切った。

「お前ら、クラスメイトだろ……ずっと一緒にやってきたのに、昨日来たばっかの水崎の話だけ信用すんのかよ……おかしいじゃん、それって」

「清……ありがと……」

 そう言って、瑠璃は清の腕から逃れて席に座った。清の言葉をどう理解したのか、しなかったのか……クラスメイト達も、それぞれに席につき始めた。

 でも、瑠璃を見る視線には温かいものはないと、瑠璃自身が感じていた……隣に座る清以外には……


 教室の外でドアにもたれていた九来は、ちっと舌打ちして、清を睨みつけていた。

 






 やはり今日も、頭痛は酷かった。二時間目には瑠璃は保健室に来ていた。付き添いには清が来てくれて、休み時間中も傍にいてくれている。

「瑠璃、そんなに酷いなら、一回は病院に行った方がいいんじゃないか? 一人で行くの怖かったら、付いてってやるし、な?」

「清は、昔っから優しいね……朝の事だって……清だけは知らん顔しなかった……庇ってくれた」

 清は、瑠璃の頭をそっと撫でながら、微笑んだ。

「俺は、瑠璃が好きだ……瑠璃が、俺を幼なじみとしか思えなくてもいい……ずっと傍にいてやる……傍にいたいと思ってるんだ。気にするな……」

「ありがとう……」

 瑠璃は涙が溢れて止まらなかった。心の中で、九来を求める自分がいるのは間違いない。それが静波の記憶であろうが、玉の記憶であろうが、既に自分は九来の影響を受け始めている。

 いつの日か、自分は九来に全てを捧げねばならない……そんな気がするのに……それでも、今まで一番傍にいてくれた、清の優しい手を放したくないと思ってしまう。

 たとえ、男として見られなくても、その優しい手を放したくなかった。清を愛する事が出来れば、良かったのに……ふと、瑠璃はそう思った。

 そして、もしかすると……九来が現れなければ、自分は清を好きになっていたかもしれない……静波や玉の記憶がなければ……心の中は違っていたのかもしれない……そんな風に考えていた。


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