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クライ  作者: 海来
25/30

[25] 逃げろっ

 森を抜けると、小さな小川が見えてきた。小川の脇に、それもまた小さな洞窟があることが、九来にも瑠璃にも見えてきた。

「あそこに、海月はいると思う……魔界に生まれたばかりの者は、ほとんどがこの小川のほとりで過ごし、あの洞窟をねぐらにするわ」

「なぜですか……海月はここで生まれたわけではないでしょう……」

 ゼリアは、九来をじっとみつめながら首を振った。

「人として生まれた海月はもういない。魔界の住人となるには、魔界で生命を与えられる。元の魂に魔界の生命を与えるのよ。海月は、ここではまだ幼い子供にすぎない……どんなに力があったとしても、それを自由に使えるまでには、時間がかかるのよ」

 瑠璃は、小さく頷いた。

「魔界の住人になるための修行中ってこと?」

「ええ、自分の生きる糧を得るための、修行中と言ったところかしら? こっそり、覗いてみる?」

「ええ、覗いてみたいっ」

 ゼリアが九来の足元に闇を滑り込ませた。

「これで音もなく近づくことが出来る……」

 三人は、音を立てないように洞窟へと進み始めた。九来は瑠璃を抱いたまま、足を動かすこともなく、前に進んでいく。天界の牢を出るときは、シーバの水に乗った事を思いだしていた九来だったが、あの時は感じなかった不安と背筋を上ってくる悪寒が、堪らなく不快だった。







 瑠璃は覗きたいなど言わなければ良かったと、後悔し始めていた。

 洞窟のなかには、やはり海月がいた。それも幼い少女の姿で、あどけない顔がとても可愛らしかった。

 なのに……海月は、どこで捕まえてきたのか、小さな鬼を小枝で突いては血を流させ、その傷口に何かを擦り込んでいる。

 擦り込まれるたびに、子鬼は泣き叫び体を震わせていた。

 生まれたばかりの人の赤ちゃんほどの大きさしかない小鬼は、顔中がシワだらけで、頭には一本の曲がった角が生えている、手も足も爪は鉤の様に曲がり、皮膚は瘤だらけで決して可愛いものではないし、海月と比べてみるとその醜悪さは秀でて見える。

 それなのに、瑠璃の背筋に冷たいものが走るのは、海月を見るときだった。

 海月の瞳は、嬉しそうに輝き、小鬼が苦しむ様を楽しんでいた……いいや、味わうように時折、舌なめずりしている。恍惚とした表情の中に、海月はしっかりとした悪意を持っていた。

 見た目の可愛らしさとは程遠い、貪欲な悪意を感じた。

 目を逸らしそうになった瑠璃に、九来がそっと指をさして何かを伝えようとしている。

 瑠璃は、九来の指のさす方向を見た。そこには、淡い瑠璃色の光が浮かんでいた。何なのか分からず、じっと見つめていると、瑠璃は自分の胸がかっと熱くなるのを感じた。

 瑠璃は、瞬時にそれが瑠璃玉の光なのだと理解した。海月とともに瑠璃の身体から出て行った海月の瑠璃玉の輝きなのだと。

 その時、ゼリアが二人を後ろに下がらせ、洞窟から距離を置いた。

「海月が、瑠璃玉の力を取り込めば、いま以上の力を持ってしまう。少し、力を奪ったところで、シーバでは敵わないわっどうしたらいいのかしら……」

 ゼリアが、困惑しきった表情で俯いたとき、九来の身体の周りで水が跳ねた。

 九来の肩に手を置いて、眉間にしわを寄せたシーバが姿を現した。

「海月が幼いうちに……始末してしまえばいい……そして、ゼリア……お前が、魔界に戻ればいいんだ……それでバランスは崩れない……」

 ゼリアがシーバに駆け寄った。

「イヤよ……離れるのは……永遠に一つだと……」

 シーバは首を振った。

「ダメだ……やはり無理だった。俺は、お前まで消してしまうわけにはいかない……愛するお前を、消し去る事など出来ない……俺と一つなら、お前まで消されてしまう。耐えられない……」

「シーバ……あなたの心は理解できない……でも、最後の時まで、私はあなたのこの苦しみと悲しみを味わい続けていたいのよ……だから、離れるなんて言わないで……」

 自分たちからみれば、どこまでも身勝手なゼリアの言葉に、瑠璃と九来は首を振りながら、シーバとゼリアの口づけを見つめていた。

「別れなければ……もう二度と……会うこともない……ゼリア……」

 シーバの銀色の瞳から涙が零れた。ゼリアは、その涙を舐めとりながら、シーバの瞳を見つめ続けている。

 その時、洞窟から海月が飛び出してきた。

「誰っ! そこにいるのは誰よっ……こんなに美味しそうな悲しみを、独り占めさせないっ」

 どうやら、海月はシーバの悲しみの感情を嗅ぎ取ったようだ。暗がりの中、海月の目が瑠璃、シーバとゼリアに向けられた。

「人? それに天界の住人? ここで何をしてるの……」

 海月の鋭い視線が、瑠璃のうえで止まっていた。

「瑠璃……お前がここで何をしている。天界の銀竜とそれに喰われた愚かな闇の黒竜を伴って、まさか私を倒しに来たなどと言うつもりではあるまいなっ」

 海月の瑠璃を見つめる瞳が、赤く燃えるように輝いたと思った時、すでに海月の手から黄色の稲妻が放たれていた。稲妻は真っ直ぐに瑠璃目掛けて飛んでくる。

「ぐっ……」

 瑠璃は稲妻が身体を貫くと思った瞬間、自分の目の前が真っ暗になって、直ぐに目の前に崩れ落ちる九来の姿をスローモーションを見るように見つめていた。

 瑠璃の前に崩れ落ちた九来の肩は、赤黒くただれ煙を立てていた。

「九来っ」

 瑠璃は慌てて九来を抱えるように抱き起こした。

「大丈夫っ、ああ、どうしようっ……九来、九来? ねっ返事してっ」

 九来は薄く目を開くと、ゆっくりと微笑んだ。

「瑠璃……大丈夫か……怪我は……」

 そう言いながら、自分で身体を起こし、もう一度、海月と瑠璃の間に自分の身体を置いた。

「海月っお前に瑠璃を傷つけさせたりしないっ」

 海月の真っ赤な瞳が一瞬細くなった。

「クライ……お前も来ていたのか……今まで気が付かなかったのは、瑠璃に守られていたせいか……今度はお返しに守ってやったのか?」

 そう叫んだ海月の身体は、黄色の光が包み込み、怒りを露わにした瞳が九来と瑠璃を睨み付けている。その身体はだんだんと変化して、幼子から女性へと変わっていく。

 変化を終えた海月の姿は、真っ直ぐな艶やかな黒髪を腰まで伸ばし、纏っている衣は薄くその中身を見せ付けるように揺らめいていた。

 妖艶と言っていい美しい海月の姿に、瑠璃は息を呑んだ。その紅く濡れた唇が薄く開く。

「クライ……こちらへおいで……そんな人の女など構っていないで、私のところにおいで……さあ、抱き合いましょう……この身体で快楽を見せてあげる……」

 誘うように差し伸べられた手に、そして海月の身体に、九来の瞳が吸い寄せられるのが瑠璃にも分かった。

 九来を引き寄せて、することはただ一つ、さっきの小鬼の代わりにするだけ。いたぶって楽しみ味わう。もしかしたら、身体を重ねるのかもしれない。でも、それも九来に苦痛を与える事しか考えていないはずだ。

 瑠璃は、頭では分かっている、海月が力を使って九来を引き寄せている事ぐらいは。でも、それを見るのは辛かった。自分の事を愛していると、守ると言ってくれた九来が、海月に惑わされる姿を見るのは、我慢がならなかった。

 瑠璃の目に涙が浮かんだ。どうしたら海月の力に対抗できるのか、自分の力をどう使ったらいいのかすら、今の瑠璃には分からない。悔し涙を止める術すら思いつかなかった。

 その時、涙にぼやける視界の端で、瑠璃色の輝きがユラユラと揺れているのが見える。

 瑠璃は、悔しい気持ちをぐっと歯を食いしばって耐えながら、スカートのポケットから水晶玉を取り出した。


『こっち……こっちに来て……九来を愛した瑠璃玉でしょ。私のところに来て、九来を守ってっ……お願いっ』


 瑠璃は、心の中で強く念じていた。

 海月の横の瑠璃玉は、すーっと瑠璃の方に移動して来るものと思ったが、九来の前でピタリと止まった。

 瑠璃玉の光を受けて、九来の瞳が細められた。

「い……行かない……海月、お前のところへなど行くものかっ。僕は瑠璃のものだっ」

 そう叫んだ九来の身体を背中から瑠璃が抱きしめた。

「そうよ、九来は私のものっ私は九来のものっ! 海月、そしてあんたの瑠璃玉、九来を守るものっ今のあんたには必要ないんでしょうっ。だから、取り込めなかった。今のあんたには、九来を守ろうとする愛の心はないんだものっ」

 瑠璃は、海月のものだった瑠璃玉の輝きを、水晶玉に導きいれてしまった。

 水晶の中で、瑠璃色は輝き続けている。愛しい愛しいと囁くようにくるくると輝きは水晶のなかで回っていた。

「皆っ逃げるのよっこの瑠璃玉があればなんとかなるっ逃げるのっ海月に捕まったらお仕舞いよっ!!!」

 瑠璃が叫んで、皆が後を追い始めた。ゼリアが闇でみなの姿を隠す。闇に紛れて魔界側の泉のほとりに戻ってきた。

 ゼリアが闇を解き、全員が森の入り口に目をやると、そこには真っ白な衣をなびかせながら追ってきたであろう海月の小さな姿が見えていた。


『命の泉は守られねばならぬぞ。ゼリア分かっているのであろうな……』


 鷹の顔をした大天使がジロッと皆を睨んだ。

「はい、分かっております。私共は、直ぐにいなくなりますゆえ……ご心配には及びませんわ」


『今夜は首尾よく進んだか』


「さあ、私には分かりません。この玉を抱く者のみが知っております。では、これが最後かもしれません。大天使様……あなたの事は、忘れませんわ」

 ゼリアはじっと鷹の大天使を見つめた後、シーバの中に滑り込んだ。

「さっ、泉に飛び込めっ」

 シーバが叫んだ。


『銀竜……黒竜を頼んだぞ。この泉の中にいれば、そなた達は生きられるのだから……二人仲よくな……』


「ありがとうございます。お達者で……」

 言うが早いか、シーバは泉に飛び込んだ九来と瑠璃を水になって包み込んだ。

 瑠璃と九来の耳に、海月の叫び声が聞こえてきた。

 九来も、シーバもシーバの中のゼリアにも、瑠璃の考えている事は分からなかった。


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