[24] ゼリアの好物
森の中に入って直ぐに、シーバは九来の身体に入った。やはり、天界の住人であるシーバは、魔界にいると辛いようだった。
ゼリアが、案内するように森の中を前に立って歩いていく。ザワザワと木々が擦れあう音が聞こえるだけで、生命の動く音は聞こえてこない。
夜だからなのだろうか……瑠璃は、この奇妙に木々が重なり合った森が気味悪くて仕方なかった。
「ねっ……ゼリアさん、この森って何かいるの? えっと、例えば悪魔とか……」
ゼリアは、少しだけ振り返ると優しく微笑んだ。
「心配はなくてよ……今は、自分たちの興味をそそるものの所へ行ってしまっているのじゃないかしら……」
瑠璃と九来は揃って首をかしげた。
「興味をそそられるものとは……何ですか?」
九来が訝しげに聞いた。
「恐怖、妬み、怒り、絶望……そう言った負の感情が、この魔界に住む者たちの好物ですから……それらが多く生まれるのは、夜の間が……多いのよ……なぜかしらね」
瑠璃は、ゼリアも魔界の住人であったことを思いだし、ふと怖くなった。
「ゼリアさんも……同じ……なの……」
ゼリアは、おかしそうに口角をあげた。
「そうね、今のあなたの恐怖は、甘くていい味がするわ……クライの恐怖には苦みがある……純粋な恐怖心ではないわね……美味しくないわ残念だけど」
クククッと笑い声をあげたゼリアは、今まで以上に美しかった。
「さあ、ここの者たちが戻ってくる前に、抜けてしまった方がいいわ。速く行きましょう」
そう言われてゼリアの後を追いかけながらも、瑠璃は聞きたいことで頭が一杯だった。
「ねェ、ゼリアはどうしてシーバに食べられちゃう事を選んだの? 愛してたから?」
ゼリアは、面白そうに瑠璃の顔を見つめた。
「いいえ、始めはシーバに喰われるつもりなどなかったわ。でも……シーバが水に変わって私を包み込んだ時、生まれて初めて至福と言う感情を知ったのよ。恐怖でもなく、妬みでも怒りでもない感情……シーバは私を包み込む事で感じた、至福よ……その時に、一つになりたいと思った。決して相容れない生き物なのだとしたら、共に生きるより、喰われて一つになりたいと……そう思ったのよ、興味がわいた、それだけ……」
「なんで? 相容れない生き物なの……さっきだって、二人はとても幸せそうだったのに……」
ゼリアが声を出して小さく笑った。
「天界の住人は、幸福、喜び、慰め、労わり、そういった感情を糧に生きるの。私達とは正反対。だから、あなたたち人は、天界の者を善と呼び、魔界の者を悪と呼ぶ……真逆なのよ。でも、どちらかが正しくて、どちらかが間違っているなんて、それはあくまで、人としての見解でしかないのだけれどね……」
ゼリアの言葉を聞いていた九来の体が、ビクッ跳ねるのを瑠璃は感じた。
「九来? どうしたの……」
瑠璃が覗き込んだ九来の瞳が揺れていた。
「な、んでもないよ……」
「瑠璃、クライは自分の中にあった善と悪の間で、心が引き裂かれそうになった事が何度もあるのは聞いているでしょう……玉を抱く者を洞窟に誘い込んだ後、記憶が途切れ、気が付いた時には自分によって犯され玉を喰われた女の遺体が転がってた……」
九来の身体が硬くなった。瑠璃は慌てて九来の身体を強く抱きしめた。
「九来、大丈夫っ、私が付いてるから……何も恐れる事なんてない。今、あなたの中にいるシーバも、すぐに出て行くんだからっ」
前を歩いていたゼリアが引き返してきて、九来の頬に手を当てた。
「そうよ、クライ。あなたの中にいるのは天界の住人シーバ。魔界の住人ゼリアはここにいる。惨たらしい事を好むのはこの私。今のあなたに、そんな事は出来はしないわ……怖いのでしょう……愛するものを傷つける事が」
九来は、顔を振ってゼリアの手を払いのけると、その頬を瑠璃の肩に埋めた。
「クライ、あなたの今感じてる恐怖は、とても美味しい……でも……勿体無いけれど、その恐怖は全くお門違いだと教えてあげたでしょう……あなたが瑠璃と交わっても、瑠璃を傷つけたりはしないわ……」
ゼリアの言葉に息をのんだのは瑠璃だった。九来が、そんな事を思い悩んでいたなど、思ってもみなかった。確かに、瑠璃も九来との初体験を思うと、色々な不安がこみ上げてくるが、それは決して恐怖というのではなく、普通の女の子が持つ不安と何ら変わらないものだった。
でも、九来は違ったのだ。
九来が瑠璃を求めるとき、自分自身が愛するものを傷つけ喰らってしまうかもしれない恐怖を抱いていたのだ。分かってあげられなかった、気付く事が出来なかった後悔が、瑠璃の心を締めつけていた。
「九来……ごめんね……何も分かってなかった……九来は、そんなにも私を大切に思って、そんなにも恐れていたのね……ごめんね……」
瑠璃は、九来の恐怖が少しでも軽くなる事を願いながら、その背中を強く抱きしめた。
瑠璃の胸の玉が、一層輝きを増した。そのまま九来を包み込み、九来の身体に光は吸い込まれていくようだった。
「るり……お前がいれば……僕は大丈夫。もう、何も恐れる事など無くなった……ゼリアありがとう……」
ゼリアは、ククッと笑った。
「お礼なんていらないのよ。私はずっと、あなたのその恐怖を糧に生きてきたのだから。シーバがあなたの中に簡単に封じこめられたのはなぜか分かる?」
九来は怪訝な表情を見せた。
「いいや……ただ、他にシーバを閉じこめておける器がなかったからだと……」
「確かに無かった。でも、シーバはかなりの力のある銀龍なのよ……静波の能力が強かったにしても、封じ込めるのは簡単ではないわ……クライ、あなたとシーバは似てるのよ。人の姿になったときのシーバは、あなたに似てるでしょう……あれは元から、そうなのよ。特別に似せているわけではないわ」
「そうなのっ、もしかして親戚だったりしてね、九来?」
「まさか、天界の住人に親戚はいないわ。ただ、波長がとても似ているって言う事なの。だから、九来の感じている苦しみや、罪悪感もシーバは同じ様に感じていたし……私は、二人分の恐怖や苦しみ罪悪感を味わっていられた……特に、愛するシーバの罪悪感は美味だった……」
「なんだか、ゼリア歪んでる……シーバが苦しんだり、悲しんだりしてるのを喜んでるみたいに聞こえるわ」
瑠璃は、眉間にしわを寄せながら反論した。
「喜んでるのよ。シーバが苦しめば苦しむだけ、絶望が大きければ大きいだけ、私は満足できる……その私の満足感が、シーバに至福を与える……とても不思議だけど、とても合理的な関係だわ。理想の伴侶だと思わないこと?」
瑠璃と九来は二人で同時に首を振った。どうしても、人でしかない二人には、ゼリアの考えは理解できなかった。
「シーバも幸せなのよ……」
ゼリアが、不満げに言って、さっさと歩き始めた。
九来は瑠璃を抱いてその後を追った。やはり、瑠璃の胸の玉の輝きを隠すように、九来と瑠璃の胸はぴたりとくっついたままだった。
「九来……怖くないなら……もう、怖がってないないなら……私を抱いてくれる……」
震える声で、瑠璃は聞いた。
「…………」
九来は無言のまま歩き続けている。
「ねっ、九来っ聞こえた? 返事はっ」
「瑠璃……こんな格好の時に……そんな事、いっ言わない、でほ、しい……」
ちょうど森を抜け、月明かりに浮かび上がる九来の顔は、赤くなっている気がした。
ゼリアが、前方でクスッと笑った。