[21] シーバ?
暗く閉ざされた空間は、瑠璃と九来の間に会話をさせないほどに重く沈んでいた。
瑠璃は、さっき美しい金髪の天界人に連れられて入って行った宮殿を思い出していた。白と銀に輝く大きな宮殿は、幻の様にユラユラと揺れながらも、現実にそこに存在し、今なお自分たちが囚われているこの牢の上に鎮座しているはずであった。
通された宮殿の大広間には、柔和な微笑を浮かべた年配の男が、沢山のクッションに埋もれるようにして座っていた。
『よくきた、玉を抱く者よ。おお、耳にしたよりも強い輝きを放っておるのう……そなたの、力があれば魔界にどんな者が現れようと、負けはせんな』
満足げに頷きながら、老人は言った。海月はやはり強い力を持っているのは間違いなかった様で、銀竜とでは天界と魔界の力のバランスが崩れてしまうらしい。特に、銀竜はその力を九来に残しているため、余計に力が弱っていると言うのである。
替わりに瑠璃が天界に残れば、バランスは保たれる……どんな地位がいいか、選ばせてやろうとまで言われた。
全知全能の神、神々の父以外の地位ならば、どれでも与えようと、それこそ神々の父、目の前の老人が言った。
『それとも、ワシの愛妾にでもなるかの? 若い娘は良いものだ……』
神様にしてはイヤらしい目つきをすると、瑠璃は背筋が寒くなったが、その瞬間に九来のほうが動いていた。九来が手を振りきった瞬間に、神々の父の周りのクッションは中から羽が飛び散り、バラバラになったあと神々の父は、背中をラグの引いてある床に打ち付ける嵌めになった。
『瑠璃に対して、二度とそのような目を向けるなっ絶対に許さないっ』
九来の叫び声が、広間に響き渡った。勿論、九来の力は瑠璃の力によって増幅している。その声も、天界中に聞こえるほどに大きかった。宮殿の外の天使像の滝で水浴びをしていた銀竜にも、それはハッキリと聞こえてきて、ビクッと体を振るわせた事など、瑠璃も九来も知る由もなかったが……。
いかに九来の力が増幅していて、瑠璃も一緒だったにしろ、所詮、多勢に無勢……神々の父に無礼を働いた九来は投獄されることとなり、それを阻止しようとして暴れまわった瑠璃も、同じ様に牢に入れられてしまった。
唯一、助かったのは、二人の手を離す事ができなかった為、同じ牢に入れられたことだった。
二人にも、手が離れない理由は分からなかったが、二人を包み込む瑠璃色の輝きから考えれば、玉の力なのは間違いなかった。
「九来……これからどうなるのかな……ごめんね、私があのバカ竜の嘘話に乗らなかったらこんな事にならなかったのに……ほんと、ゴメン……」
九来は、ほっと溜め息を付いてから瑠璃を引き寄せ抱きしめた。
「もう、話をしてくれないのかと思った……あんなバカな真似をして、お前まで危険な目に遭わせてしまったから……僕には、お前を守る力など無いのに……」
瑠璃の体を抱きしめている九来の体は、ほんの少し震えていた。
「後悔? あのスケベジジイを退治してくれたのに?……九来が許さないって言ってくれて……嬉しかったよ。相手は神様のボスなのに……立ち向かってくれた」
「だから、僕は大馬鹿なんだ……瑠璃だけなら、せめてこんな所に入れられたりせず、安全だったのに……」
瑠璃は、九来から体を少し放し、九来の瞳を覗き込んだ。九来の瞳は、潤んでいた。
「泣いてる? 後悔の涙なんか流しちゃダメ……九来は私を守ってくれた。それでいい……」
瑠璃は、九来の唇に自分のそれを重ね、何度も啄ばむように口づけた。
何度も繰り返される口づけに、九来も少しずつ答え始める。
濡れた音がするほどに口づけが深くなる頃、小さなカシャリと言う音が聞こえた。
九来が、瑠璃を庇うように中腰になり身構えた。二人で、辺りに意識を集中させる。
「そんなに、警戒するなよ……ここにいる……」
壁に背を預け、小首を傾げているのは、今度会ったらただでは済ませないと瑠璃が心に誓った相手、銀竜だった。
相変わらず、九来によく似た人間の顔をニヤ付かせている。
「あんたっ、自分が何をしたか分かってるのっ! 分かってて此処にきたの……」
そう言うと、瑠璃はスカートのポケットのファスナーを開けて水晶玉を取り出した。
「この中に閉じ込めてやるっ」
銀竜は慌てて自分の前で手を振った。
「待てっ!!! こんなはずじゃなかったんだって……お前らが暴走しなけりゃさ、今はもう魔界に行って海月って女の力を取り上げてたんだよっ」
九来の瞳がすっと細くなった。
「どういう事か説明しろっ海月の力を取り上げる? そんな話じゃなかっただろう」
銀竜は、はーっと大きく息を吐き出した。
「本当のこと言ったら、お前ら来てくれないだろうが……瑠璃が天界人にされるかもしれないなんて言えなかった……ただ、神々の父のもてなしを受けててくれれば良かったんだ。その後に、俺と魔界に行ってくれたら、全て上手くいくはずだった……瑠璃が海月の力を奪って、天界を離れれば、神々だって諦める。天界と魔界のバランスがとれればいいだけなんだからなっ」
九来も瑠璃も、疑わしそうに銀竜を睨んでいる。
「誰がそんな嘘話を信用するのよっバカにしてんじゃないわよ。バカ竜っ」
銀竜は、ふんっと鼻を鳴らした。
「お前ら何か忘れてるだろう……瑠璃が天界人になったら、俺はどうなると思ってるんだ……消えるしかないんだぜっ。そんな俺に、この選択以外の、どんな選択があるってんだよ……俺と同じ位の力になりゃいいんだよ、あの女の力がなっ……それで俺は消えなくて済む……」
銀竜は、自分の事をじっと見つめている二人から眼を逸らした。
「もういいっ信じられないなら構わんさっ瑠璃は神様にでもなんでもなりゃいい、九来は空の塵にでもなりやがれっ……俺も一緒に消えてやるさ……」
そう言ったまま、銀竜は何も言わなくなった。
どれ程の時間、銀竜を見つめていたのか、九来に名前を呼ばれて、瑠璃ははっと我に返った。
瑠璃が天界人になれば、銀竜は消えてなくなる……その話には真実味がある、天界と魔界は大昔からそのバランスに非常に拘っているのは明らかだし、瑠璃が天界に残ったとして、銀竜までいたのでは、数のバランスが合わないのも確かだ。
「分かったっ……で? ここから逃げる方法は? まさか、何も考えずに来たなんて言わないでしょうね……バカりゅっ」
「俺の名は、バカ竜じゃねーよ。シーバだ……」
「シーバ……何か犬みたい……」
瑠璃はぷっと笑ってしまった。
「犬じゃねーよ……でも、犬以上に鼻は利く……此処を出る方法だって考えてあるさ……神様達は案外とずぼらだ……のんびり優雅に過ごすのが好きだからな……」
「そうなの?」
「ああ、魔界の奴等の方が、よっぽど勤勉だろうさ。奴等には欲がある……その分、よく働くってことだ。此処の奴等は、必要な時だけしか動こうとしない。流れる時に身をゆだねるのが好きなんだ。それが一番の好物なんじゃねーか? 俺はこの天界では俗物なのよ……だから、早く処分したいのかもな」
瑠璃はくすっと笑って九来と眼を合わせた。九来も笑っている。
「僕は、俗物の方が信用できる気がする」
「そうね、私も俗物だもん……バカ竜……いえ、シーバを信じてみましょう、もしもの時は閉じ込めちゃえばいいしね」
シーバは目を閉じた。
「閉じ込めないで下さい……信じろよ……もう、嘘はねーから……」
また、瑠璃と九来が一緒に笑った。