[16] 食べたいの
銀竜を睨みつけながら、瑠璃は涙を流していた。握っている手は、怒りでブルブルと震えている。
「何言ってんのよっ。あんたのせいで、九来がどれだけの思いをしてきたのか……愛してた静波との普通の生活も、何もかも諦めて……諦めきれない想いで、壊してしまった全て……永い年月……何がっ何が……あんたなんかっ」
瑠璃は嗚咽でものが言えなくなってしまった。しゃくりあげながら、もう一度ぺチッと銀竜の鼻面を叩いた。
「あんたなんでしょう、ひっくひっ……九来に替わって玉を抱く者を……犯しながら……ひっく……喰らってたのっひくっ……九来には、そんな事出来ない……」
瑠璃は、九来の手をしっかりと握った。
銀竜の長い舌が、ゆっくりと瑠璃の首筋に近寄ってくると、そのまま大きく口を開いた。鋭い牙が今にも瑠璃に襲い掛かりそうだ。
「止めろっ!!!」
九来が自分の体で覆うようにしながら瑠璃を庇った。
「瑠璃は、お前に喰わしたりしない。絶対にっ」
九来は、大きく開いた銀竜の口の中を睨みつけながら叫んでいた。
銀竜はのんびりと口を閉じた。青みを帯びた銀の目がじっと九来を見つめた。
『玉を抱く者を犯しながら喰らっていたのは、確かに俺だ。俺の中の闇の竜は、人の恐怖が好物だからな……仕方ないさ。だが、クライが最後まで邪魔したもんだ……いつも、全部喰ってしまいたかったのに、玉しか喰う事は出来なかった……最初の巫女だけだったなァ……後にも先にも人を喰ったのは、あの時だけだ……」
銀竜は、舌なめずりをしながら瑠璃を見ている。
『勿体無い……今までにない、元気のいい玉を抱く者を目の前にして、喰ってはいかんというのかっ……まあいい、俺を解放してくれたのは、その娘だしなっ喰らうのは止めておこうか……強い霊力と元気を持ってるのにな……勿体無い……』
人間で言うなら溜め息なのか、鼻から息を吐き出しながら、銀竜はブツブツと言っている。
瑠璃は、銀竜に食われるかもしれないと思う恐怖から固まっていた体を、九来から少し離して、銀竜の様子を窺がっていた。
「ねえ、あんたを解放したのって私なの?」
『そうだ、クライは人の心を取り戻した。お前と言う伴侶を得てな……』
「伴侶っ……」
瑠璃の声が裏返った。
『永遠に、その身が朽果てるまで……共にいるんだろう。そう誓った、お互いにな……おっと、こうしちゃいられないっ天界に帰らないとなっ、丁度いい具合に魔界に送る魂も手に入れたしなっ。瑠璃、お前の中にいた女の魂は貰っていく』
銀竜は、洞窟の入り口に向かって這い始めた。
慌てて、瑠璃と九来が後を追う。
「待って! 九来はどうなるのっ。あんたがいなかったら、九来はっ」
九来が、瑠璃の腕を引いた。
「瑠璃っもういいっ、あいつがいなくなれば、それでいい……」
「そんな訳に行かないっあいつがいなくなって、九来が死んじゃったらっ」
銀竜がゆっくり振り返った。
『俺が何千年も入ってたんだぞ、クライの体にも俺の力は残ってる。人一人分の一生は送れるだろうさ』
それだけ言うと、銀竜は祠の入り口から飛び立って行った。
見送る二人の目には、日の光に輝く銀色のせんにしか見えなかった。
「あんな事言ってたけど、天界に帰れるのかな? バカ竜のくせに……」
「さあな……」
九来は、小さく言った後、瑠璃の体を後ろから抱きしめた。
「まだ、生きていられる……瑠璃を愛しても良いだろうか……」
九来の声は低く震えていた。
抱きしめる腕も震えていて、瑠璃の心を切なくさせる。
「ずっと、愛していて……その身が朽果てるまで……そう誓い合った」
「ああ、誓った……愛してる、瑠璃……」
「愛してるよ、九来……んっ……ふっ」
九来は、瑠璃の唇を舐めあげ、直ぐに塞いだ。
込み上げてくる熱は、二人同じ……
今直ぐにでも、溶け合いたい……このまま……
「あのーっ俺……足、痛いっすけど……病院、連れてってもらえるのって、いつ?」
呆れたような、清の声が洞窟に響いた。
「お前らさ、話しは聞いてたから分かってるんだけど。そういうのは二人だけになってからして……俺にも、少しは気ィ使えよなっ」
九来は崩れてしまった祠の出口から、夜空を眺めていた。
今夜は、月が綺麗に出ていた。ふと、天界とは何処にあるのだろうかと思う。天界からやって来たといった、海神の眷属、水の銀竜は無事に戻ることができたのだろうか……。
まさか、もう一度、水晶に封じこめられて落とされることはないのだろうかと、不安を感じる。もう二度と、あの銀竜をこの身に封じ込めるのはゴメンだし、瑠璃に水晶を守らせるのもゴメンだった。
何千年もの間、自分の身体に住み着いていた者の正体が、まさか神の眷属であったとは、九来にしてみれば、予想外のことだった。
今まで、喰われ、犯されてきた跡を見、それが全て自分の仕業と思って暮らしてきたのだ……まさか、神の側の者が自分の中にいたなどと、思えるはずも無かった。
九来は、ゆっくりと立ち上がると、祠の中に入り、静波が水晶を祀っていた部屋の近くまで行った。
そこは既に崩れ去っていて、跡形もない。自分が思い続けてきたものは、何だったのだろう……静波が、闇を解き放つのを恐れて、自分の中に闇を閉じこめたのは、何のためだったのか……全て、何の意味もなかった様な、虚しさが九来の心に沸き上がる。
何のために……この身は、何のために何千年もの間、生き続けてきたのか……その答えを、九来は今、探していた……答えを見つけたからといって、それが何になるわけでもないことは分かっている……それでも、九来は見つけたかった……
「九来……」
入り口から、瑠璃の声が聞こえた。昼間に清を病院に運ぶために、救急車を呼んで、瑠璃はそのまま清と共に救急車で病院に向かった。
洞窟は崩落の危険があるため、立入禁止になり、警察や消防が色々と調べていった。その時には、九来は遠い浜辺で様子を窺っていたが、皆が立ち去った後ここへ戻ってきた。
一人で祠に入ってみて、九来は今までに感じたことのない淋しさを、味わっていたところだった……銀竜を身に封じられてから一度も感じたことのない淋しさ……だから、何のために生き続けてきたのかなどとの思いに耽っていたのかもしれない……。
「瑠璃、清はどうだった……お前も怪我の手当てをしてもらったか……」
瑠璃は柔らかく微笑むと、大きく頷いた。
「私は大丈夫、怪我も浅いって……でも、清は太股の骨がポッキリ折れてて、ボルトで止めなきゃいけなかったのよ。手術になったわ……でも、もう終わったし、大丈夫だと思う」
安心したように頷いた九来の前に、瑠璃は四角い包みを置いた。
「お弁当……有り合わせのものだけど……私が作ったんだよ。お母さんは、何処に持っていくのって聞いたけど、清の所って言ったら、難しそうな顔しながら、分かったって言ってた」
九来は、瑠璃が弁当を開ける姿を見ながら、不思議なものを見るように目を細めた。
「弁当……私は、もう何千年も人の食べるものを口にしていない……というか、食事は必要なかった……から……」
瑠璃は、九来の言葉に、驚いたように顔をあげた。
「じゃっ何も食べなかったって言うの……」
九来は言いにくそうにしながら、瑠璃の胸の谷間に指を添えた。
「瑠璃玉を……千年に一度だけ……」
九来が触れた瞬間から、瑠璃の胸の谷間は輝き始めていた。瑠璃は、九来の指に自分の指を添えて、九来を見つめた。
「食べたいの……」
消え入るほどの小さな声で、瑠璃は聞いた。九来の指が、重ねられて瑠璃の指を絡め捕って、自分の口元に運ぶと、優しく口づけた。
「食べたいの……か……そう聞かれれば、食べたくない訳じゃない……」
瑠璃の顔が、少し緊張する。
「そっなん、だ……」
九来は瑠璃の指に何度も口づけながら、瑠璃を見つめたあと……熱い舌で舐めあげ、そのまま口の中に咥え込んだ。
瑠璃は、一瞬、身を硬くした後、九来の口の中の熱に、自分の指が溶けてしまうのではないかと、不安を感じた。
「く、らい……やっ……」