表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
クライ  作者: 海来
13/30

[13] 崩れた壁

 清は九来に横抱きにされながら、太股の激痛に歯を食いしばっていた。気が遠くなりそうな痛みに全身が震える。

「痛むか……もう少しの辛抱だろう。海の音が大きくなっている」

「……」

 九来の言葉にも、清は答えることができなかった。ただ、小さく頷いただけだった。

「ねっ、海の音が近いって、どの辺りに出るのかな? 小さいころよく遊んでた場所だけど、この辺りに洞窟の続いてる様な入り口、見たことない気がするけど……」

 九来は、眉をひそめながら真っ直ぐに前を向いている。

「あるとするなら、私がいた洞窟……祠だけだろう……」

 瑠璃が九来を大きく見開いた目で見つめる。

「あの洞窟は……崩れてて、奥には続いてないじゃないっ……あの洞窟に続いてたって出られないわっ」

「ああ……そうなるだろうな」

 瑠璃は、九来の腕を引いた。その拍子に、清の身体が揺れる。

「たっ!!!」

 清は苦痛に声を上げた。

「ゴメンっ清……私ったら……でも、洞窟から出られないなら、このまま移動しても仕方ないじゃないっ。九来っどうにか出来るあてでもあるのっ」

 九来は首を振った。

「分らない……だが、この奥に行かなければならない……すべての始まりの場所が……この奥にはあるはずだから……」

 すべての始まりの場所……そう聞いて、瑠璃は、九来が水晶を壊し、静波を喰らった場面を思い出していた。夢で見たはずのその様子は、既に瑠璃自身の記憶ででもあるかのように、鮮明に思い出せる。

 その時、瑠璃の心の奥底で、何かがほくそ笑んだような気がした。嫌な感情が瑠璃の中から沸き上がる。海月の想いだろうか……瑠璃は、自分の中にいるのであろう海月の心が、分らなかった。

 喰らい尽くしてほしいとまで願った、愛する人を今度は陥れようと千年のときを待っていた。その激しい憎しみが、瑠璃には理解できなかった。

 それ程までに、人を愛したことも、憎んだこともない瑠璃だった。

 九来の後ろを黙って付いていきながら、瑠璃は再び背中に悪寒が走った。自分の中から海月が顔を覗かせる。まるで我が物の様に、瑠璃の体を乗っ取ってしまおうとしていた。

「く、ら、い……逃げてっ海つ、きがっ」

 瑠璃の声に、九来が振り返った。九来の顔を見た瞬間、瑠璃の中の海月の力が大きくなるのが、瑠璃自身にも分かった。


『クライ……』


 瑠璃の中で、海月が九来を呼ぶ……瑠璃は、海月がどれほど九来を欲しているのか、その体で感じていた。海月の呼びかけと同時に、瑠璃の体が熱くなる、九来を抱きしめて、その唇に自分の唇をあわせたくなる……海月は、まだクライを愛している……

 そう瑠璃が思った瞬間、いきなり瑠璃の体は冷え始めた。ガクガクと歯が鳴るほどに冷えていく。目の前で、九来が清を足元に下ろすのが見えていた。

 九来が瑠璃に手を伸ばしている、今はダメだ……今は、海月の憎しみの心に捕らえられそうになっている。

「だめ……九来……逃げて……」

 瑠璃の言葉を聞いているのかいないのか、九来は瑠璃の体を抱きしめた。

「瑠璃……私は逃げない。お前を置いて、逃げたりしない……」

 九来のその一言を合図の様に、瑠璃の中の海月が叫び声をあげた。

 その叫びは、瑠璃の心も引き裂くように上り詰めていく……この体をあけわたせと、海月は瑠璃の心を攻撃し始めた。

 

 お前はただの玉を抱く者、クライがお前を欲しているのは瑠璃玉のため、九来は今まで何人の女を喰らってきたと思う、数え切れない女が犯されながら喰われた。


 お前とて同じ事、許してならぬのだ……瑠璃玉を渡してならぬ。


 お前を救い、クライを倒せるのは私だけ。


 お前など、何も出来ぬ小娘の癖に……クライを己のものに出来るなどおこがましいっ


 クライは貰う、そして闇を解き放つのだ……クライに報いを受けさせる、私を受け入れなかった報いを……


 私を愛さなかった事を、後悔させてくれるっ


 お前とて、愛されてはいないのだ……この体、私に差し出せっそうすれば苦しまずに済む……さあ、差し出せっ


「いやっ……この体も、九来も……渡さ、な、い、んだからっ。みっつきっ、しつこい女は、嫌われ、るっ」

 瑠璃は大きな息を吐いて、荒い息を静めようとしていた。九来は抱きしめていた瑠璃と自分の間に、生暖かいものが流れるのを感じて、瑠璃を少し放した。

「おまえ……なんて事を……」

「痛いよ……」

「当たり前だっ」

 瑠璃は、階段から落ちたときに負った切り傷に、九来の巻いてくれたシャツの切れ端の間から爪を立て、傷口をえぐっていた。鮮血が、ボタボタと瑠璃の腕を流れ落ちていた。

 慌てて九来が、シャツの袖をポケットから出して巻きなおし始めた。

「酷い出血じゃないかっ……どうして、ここまでする……」

 シャツの袖を巻きなおしてキツク締めた後、九来は瑠璃の頭を抱き寄せた。

「九来を海月にはあげられないっこの体もあげられないっ……私は、わたしとして生まれて生きてきた。そして、私は私のままで……九来を愛したい……」

「瑠璃……」

「海月は、クライを愛してる……そして、同じ位に憎んでる。もの凄く、強い想いだったんだって分かる……でも、私だって……譲れないよ……自分の人生も、九来も……大事なんだもん……今、はっきり分かったんだもんっ」

 そう言った瑠璃の胸の谷間から、瑠璃色の光が輝き始めた。

 九来の瞳に、瑠璃色の輝きが映る……瑠璃の血の匂いが、九来の鼻腔を侵す。九来は、自分の中にいる何かが動き始めるのを感じていた。

 瑠璃玉を欲し、瑠璃の体を欲している、正体のわからぬ何か……この身を、それに明け渡せば、瑠璃は確実に死んでしまう……今までの様に、九来はただ一人残される……。

 瑠璃にだけは、置いていかれたくなかった……自分に犯され、喰らわれた瑠璃の姿など、見たくなかった……そう、大切なものを沢山持っている瑠璃だから、大切にしたかった。

 初めて、九来は自分以外に大切なものを持っている女……大切なものを守ろうとする女に出会った……そんな瑠璃を、九来は守りたかった……自分の全てを掛けて。

 銀色に変わり、また黒に戻りを繰り返しながら、揺れる九来の瞳を、瑠璃はじっと見つめていた。

 九来を信じたかった。

「九来っ人として生きてっ、愛してるっ九来」

 ギリッと九来が奥歯を噛締める音が聞こえた。体が震えている。

 大きな息を吐き出した九来の瞳は、真っ黒だった。

「九来……大丈夫だったのね……」

「ああ……今回は……瑠璃に助けてもらった……瑠璃の声が聞こえたから……私は、人でありたい……」

 九来は、清の元に行くと、再び意識のない清を抱上げて歩き始めた。






 無言のまま、しばらく進むと、今までとは様子が違ってきていた。

 始めは人の手によって造られたものだったが、歩いてくるうちに天然のものに変わっていたが、また人の手が加えられたであろうと想像できる作りになってきていた。

 和室で言うなら8畳ほどの部屋だろう、確かに大昔、ここは部屋だったはずだ。それも、祭壇だったのか、中央に竜の置きものが鎮座した岩の台座があった。

「ここは……月光教の信者が使ってたの……」

 九来は目を細め、部屋の中を見回していた。

「気づかなかった……やつらは、ここまで来ていたのか……ここは、静波が水神の水晶を祀っていた部屋だ……この部屋が、残っているだろうとは思っていたが、奴等に使われていたなどとは……」

 瑠璃は、九来の切ないような表情を見ていて、胸にチクッと痛みを感じた。静波にヤキモチを妬いているのだと、瑠璃自身にもはっきりと分かった。

 九来は、抱いていた清をそっと下ろし、部屋の壁に触れ始めた。その様子に、瑠璃の瞳に涙が滲んでくる。

 九来は、今、静波との思い出の中にいるのだと、自分には入る事の出来ない遠い想いの中にいるのだと……でも、瑠璃は知っている、九来がどれほど静波を愛していたか……その身を喰らって転生させないで置こうとしたほどに、九来は静波を愛していた。

 転生して、他の男のものになる事を許せないほどに……強く想っていたのだ。

 今、瑠璃をそれ程に愛してくれているとは思えない……、悲しかった……切なかった……それでも、瑠璃は九来を愛している……だから、九来の過去も、何もかも全てを受け止めたかった。九来が、人として生きていけるために、静波への想いが必要ならば、ずっと想い続けても構わない……瑠璃はそう思った。

 その時、九来がしゃがみこんで、壁に耳を当てた。

「ここだろうな……」

 不思議そうに首を傾げた瑠璃に、九来が微笑んだ。

「ここを崩せば、外に出られるだろう……もしかすると、もう一つ壁を崩す事になるかもしれんが……やってみる価値はあるようだ」

 瑠璃は、九来のいるところにゆっくりと歩いて行った。

「九来……今、部屋を眺めて、壁を触ってたのは……外に出るため?」

 九来は何を今更とでも言うような顔で、瑠璃を見ている。

 瑠璃の大きな目から、涙がポロリと落ちた。

「瑠璃? 何で泣いてる……」

 瑠璃は、九来にしがみ付いた。

「九来が……静波との想い出に浸ってるんだと思った……私には入れないっ……九来の大切な人だから……」

 九来の腕が、瑠璃の背中をそっと抱いた。

「そうだ、静波と過ごした想い出の部屋……そして、ここが全ての始まりの場所だ……でも、私はここを終わりの場所にするつもりはないっ……瑠璃をここから連れ出す、瑠璃の大切な清と一緒にな……それ以上に大切なことは、何もない……」

「九来……」

「瑠璃……私の大切な者……失いたくないんだ……瑠璃……」

 九来の声に反応したかのように、瑠璃の胸の谷間から発した瑠璃色の光は、洞窟の壁に向かって強く輝いた。

 轟音と共に洞窟が揺れる。九来は瑠璃を庇いながら清に手を伸ばした。

 一瞬の出来事。

 もうもうと立ち込める砂塵と埃にむせ返りながら、瑠璃は目を凝らそうとしたが、洞窟の中は真っ暗闇になっていた。九来が水に力を注いで照らしていた、青い光はなくなっている。

 瑠璃は、不安になって自分の横にいるはずの九来を手探りした。

「九来……」

 暗闇の中、九来の声が瑠璃の直ぐ横から聞こえた。

 ぼーっと青い光が灯る。そこには、崩れた洞窟の岩壁を支えながら、瑠璃と清を守るようにしている九来の姿があった。

「無事か……瑠璃、清を見てくれ……私は、こっちを何とかしないと動けないから……」

 人ではないと言っても、九来の背中からは血が流れていた。歪んでいる顔を見れば、きっと痛みもあるのだろうと直ぐに分かる。

「九来っ大丈夫……」

 頷く事も難しく、全身で岩を止めている九来だった。

「力を、少しずつ使って岩をどけるから、清を頼む……小さな欠片が落ちるかもしれないからな」

 微笑んだ九来の顔に汗が噴出していた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ