[12] 落ちた
久しぶりに祖母の家にやって来てみると、九来が住む祠にかなり近い場所だったと改めて思った。
祖母が亡くなってから、両親でさえほとんど立ち寄った事はないであろう事は、この家の荒れた状態を見れば想像が出来る。
庭に続く細い道を入っていくうちに、瑠璃は幼い頃に遊びに来ていた記憶を思い出し始めていた。
庭には、いつも花が咲き、よく手入れされていた。平屋ではあるが、敷地は大きく家の中には部屋が何個もあった。
早くに祖父は亡くなっていたらしく、祖母は一人で広い家に住んでいた。瑠璃が遊びに来ると、嬉しそうな顔をして、お菓子を沢山出してから、色々な話をしてくれたものだった。
家の中で騒いでも怒られる事もなく、清と共によく大騒ぎをしたものだった。瑠璃と清は、いつも家の中を走り回り、一緒に遊んだ。
だが、離れにだけは、清は入れてもらえなかった。一度、二人でこっそりと入ろうとしているところを見つかって、いつもは温厚な祖母が、声を荒げて清を怒った事があった。
その離れにあったのが、仏壇と、竜の置物なのだ。したがって、清は一度もそれを見ることはなかった。
『瑠璃……いいかい、お前はいつか巫女様を、その身に迎えるんだよ……それまで、このババがっ守ってあげような……キレイなままおらんといかん……』
今の今まで忘れていた祖母の言葉が、家の玄関にたどり着いた時に甦ってきた。
瑠璃の背中を悪寒が走った。
「すっげーボロくなったよな……瑠璃のばーちゃん亡くなって何年だっけ」
「10年くらいかな……」
そう言いながら、瑠璃は玄関の扉に手をかけて開けようとしたが、鍵が掛かっているのか、ガタガタ言うだけで開かない。
「庭のほうから回ってみよう」
清に言われて、三人で庭に回った。座敷になっていた部屋の雨戸を開けて入る事が出来た。
中は埃っぽく、くもの巣が張っていて、やはりもう何年もの間誰も来ていないのだと分かる。瑠璃は、くもの巣を払いながら、離れに向かった。
そこに、竜の置物があるはずなのだ。それを見つけてどうなるのかは分からない。でも、千年前に始まった月光教は、海月を巫女として神の様に崇めていたという。そして、海月の生まれ変わりであり、玉を抱くものである自分の実の祖母が、月光教の信者であった事実は、決して見逃していいものではない気がした。
そっと離れの襖を開け、中に入った瑠璃は、またもや悪寒が背筋に走る。自分の腕を抱くようにした瑠璃の肩を、九来が後ろから握った。
「大丈夫か……何か感じるんじゃないのか?」
言い当てられて、瑠璃は九来の顔を見上げた。その顔色は白くなっていた。
「九来、あんたこそ……どうしたの……」
「ここは、多くの言霊で守られている……その言霊が聞こえるよ……」
清が部屋の中央から振り返った。
「言霊? それって、魔法みたいなもんか……」
「……近いかもしれないが、違うものだ。長い年月、多くの者の想いと言葉が、そこに留まり作用する。ここは、海月が生まれ、月光教の経が唱えられた場所だ。海月の死後も、ここで信者は待っていたんだ……海月が生まれ変わるのを……」
瑠璃は体が勝手に震えてくるのを止められなかった。九来も辛そうに顔を歪めている。
「お前ら、大丈夫かよ……おいっ、瑠璃。水崎っ」
「きっ清……私に何かあった時は……ここから、瑠璃を連れ出せっここは……まずい……」
そう言ったきり、九来の動きが止まり、体がふわりと浮き上がった。
「この手に落ちたか、クライ……永い時を待っていた至福のときじゃ……だが、お前にとっては終わりのとき……この世にとっても終わりのとき……」
そう言った瑠璃の瞳は紅く輝いていた。その瞳に、清はギョッとなって後ずさりを始めた。
瑠璃は、清の事など気に留める様子もなく、部屋の奥に歩いていくと、床の間の上にある木の箱を開け、竜の置物をなで上げた。
床の間の後ろの壁が、みしみしと軋みながら、ゆっくりと斜めに口を開けた。瑠璃は迷うことなくその入り口に向かい、下りて行った。九来の意識のない体がふわふわと後を追っていく。
清は、呆然とその様子を見つめながら、その入り口に近付いた。
中は真っ暗でよく見えないが、階段の様になっていることだけは分かる。このまま追っていこうか、それとも助けを呼ぶべきなのか、清は迷っていた。
「くそっ」
清は、瑠璃が頼れるのは自分だけだけだと言ってくれた言葉を思い出した。
「俺達は最強の幼馴染だっ」
清は、開いたままの暗闇へと走りこんで行った。
「やっべっ」
直ぐに階段だった事を思い出して、ゆっくりと足場を選んで清は下りて行った。でも、真っ暗で、古くしかも岩で出来たデコボコの階段は、今にも清の足を滑らせそうだった。
「うわっ!!!」
清は自分の不安そのままに、階段に体をぶつけながらドンドンと下に落ちていく事になった。体を丸くして、少しでも衝撃を少なくしようと頑張ったが、それでも、頭を庇うのがやっとだった。
ドンっ
「っ!!!」
清は柔らかいものに激突して、その後一緒に数段落ちる事になった。底に着いたと思った時には、柔らかなものの重みを身体の上に感じながら、意識を失いかけていた。
清は、話し声に薄っすらと意識を取り戻し始めていた。
真っ暗だったはずの場所は、うす青い光で照らされ、その光の中に瑠璃と九来の姿を確認する事が出来る。
九来はなぜか上半身裸で、瑠璃の体をあちこち触っている。清は無性に腹立たしくなってきた。起きて、こんな時に何をしているのかと怒ってやろうと、体を動かした瞬間、激しい痛みに叫んでいた。
「あっ清っ気が付いた。……どお? 痛む?」
青い光に照らされて、いつもとは雰囲気の違う瑠璃だが、話し方も表情も清の知っている瑠璃に間違いなかった。
「るり? だよな?」
瑠璃が申し訳なさそうな顔で謝った。
「ごめんね……何か……私、海月に体使われてたみたいで、九来連れてこんなとこ入って来ちゃった。でも、上から清が落っこちて来てくれたから、衝撃で元に戻ったみたい。清、私の下敷きになって、痛いよね、ゴメンっ」
そうか、さっき気を失う前に感じた重みは瑠璃だったのかと、納得しながら清は、瑠璃を今一度見つめた。
「お前怪我は?」
「うん、ちょっと擦り傷だけ……でも、九来が血止めしてくれたから大丈夫っ」
そう言って、瑠璃は腕に巻かれた黒い布を指した。
「清のも、九来がしてくれたから。ちょっと痛いと思うけど、頑張って」
清の目に、袖だけになったシャツを手に持った、九来の姿が見えた。瑠璃の腕に巻かれているのも、見えないけれど自分の怪我に巻いてあるのも、同じ九来のシャツなのだろうと、九来が上半身裸なのを、怒らなくてよかったと、清は心の中で思った。
「この青い光は何?」
清の問いに、九来が自分の掌を見せて答えた。
「ここは洞窟だ。ここにある水分に、私の力を少しだけ移して光源にした。少しだけで、青くしかならなくて申し訳ないな……」
「九来は、海月に体を拘束されて、力も消耗してるのよ……次に捕まったら……」
清は大きな溜め息を漏らした。
「次に捕まったらってさ、捕まえたのお前じゃん……一緒にいたら、またそうなるんじゃねーの?」
瑠璃も、九来も、清の一言で黙ってしまった。十分に分かっている事だった。ただ、今は瑠璃の怪我の痛みが、瑠璃自身の意識をハッキリとさせていた。それだけが、頼みの綱だ。
今のうちに、この場所から出たかった。
「ここから出たいの……この場所は、さっきの離れより、もっと嫌な感じがする」
その時になって、清は気づいた。自分たちが降りて来たであろう階段の上には、何の光も見えなかった。離れの部屋には、壊れた雨戸から差し込む日の光があった。こんな暗闇なら、小さくても、その光はハッキリと見えておかしくないはずだった。
「入り口……もしかして閉じてんのか?」
瑠璃は、情けない顔のまま頷いた。
「閉じ込められた……でもね、九来が……この奥の方から海の音が聞こえるって言うのよ。もしかしたら、こっちから出られるかもしれない」
ゆっくりと起き上がりながら、清は瑠璃の指し示した方を見つめた。耳を澄ましても、清の耳には何も聞こえてはこなかった。
しっかりと座ってから、改めて自分の体を見て、太腿までズボンが裂いてあり、そこに九来のシャツが巻きつけてあるのを見つけた。
そっと触ってみると、激痛が走る。
「清っ、折れてるようだ……今は立ち上がることは出来ないだろう……ここには添え木の替わりになるようなものもない動かさない方がいいぞっ」
ここから出たくたって、自分は歩けない……でも、ここから出ないと、瑠璃と九来は危険だ。ならば、選択肢は一つしかないではないか……二人が言う前に、自分から言おうと口を開きかけた。
「いい憎いんだが、清……」
九来が清の目を見つめた。清は、九来の顔の前で手を振って見せた。
「いいっ、置いていけよ。俺は構わないからさっ。また、添え木になるもん持って迎えに来てよ」
強がりの笑みを浮かべる。こんな暗いところに、しかも、何か恐ろしげな者達が住んでいたのかもしれない場所に、一人置いていかれる事は、清にとって、あまりにも恐ろしい事だった。それでも、瑠璃を危険に晒しておくわけにはいかない。
瑠璃が、瑠璃以外の者になってしまうことなど、考えられなかった。
「清……私は、痛いのを我慢して貰わなければならないと言いたかっただけだぞ」
九来はきょとんとした顔で、清を見ていた。
「瑠璃の大切な者を、こんな場所に置き去りになどできるわけがないっ。でも、かなり痛むと思うから……覚悟してくれ」
清は、何もしていなくてもズキズキと痛む太腿を手でそっと触りながら微笑んだ。
「水崎……お前って、やっぱ人間なのな、安心した……」
九来がゆっくりと顔を上げた。
「え?……人間?」
「ああ、そんな事を思うのは、人間だけだ……」
九来が、小さく微笑んだ。