大沼愛⑤
「大沼さん、おすすめのマンガ面白かったよ」
放課後、光と部室に向かう階段の途中で声を掛けられた。
「よ、よかった」
え、もう読んだの? ってか本当に読んでくれたの?
おすすめのマンガを教えてからまだ三日も経っていない。
期待せずに教えたから、感想が聞けるなんて思ってもいなかった。
「久しぶりに恋愛もののストーリーを読んだよ」
「そ、そうなんだ。この間の本、恋愛ものじゃないの?」
「あ、あれ? 珠玉のミステリー小説だよ」
「そ、そうなんだ」
あのタイトルでミステリー小説なのか。読んでみようかな。
「っていうより、マンガが久しぶりだった。マンガ読むの苦手でね」眉をひそめ頭を掻く佐井君。
「そ、そうなんだ。無理させちゃった?」
なんか私の受け答えが馬鹿の一つ覚えみたいになっている気がする。
「いや、そういう事ではないよ。ほんと面白かったし」
「それならよかった」
「うん。いったん休憩したらまたマンガのおすすめ教えて」
「わ、わかった」
佐井君は三階で「また明日」と言って去っていった。
三階には図書室がある。寄って帰るのだろう。
「愛ちゃんっていつの間に佐井君と仲良くなったの?」
隣の光が驚いたような表情でこちらを見ていた。
「こ、この間、教室にマンガを忘れた時に……」
その時の一連の流れと、その後におすすめのマンガを教えたことを話した。
「そ、そうなんだ」
「うん。まあもうないと思うけどね」
「どうだろうね」
光は多分不機嫌だ。
こんな光を見たことがない。
私と佐井君に何もない。何もないのに光を不機嫌にさせてしまうなんて、不本意だ。
それに佐井君には彼女がいる。私がどうこうできる相手ではない。
だけどここで何もないよとか変な言い訳をしたら余計に怪しまれる。
不本意だけど、この件はこれまでにして、いつも通りを演じるしかない。
今後の私の態度で、たまたま起きたランダムイベントだったということを証明するしかない。
部室に着いて画材道具を広げる。
いつもはおしゃべりをしながらなのに、今日は無言。先輩たちがまだいないせいもあって静かだ。冷たくて重い部室だ。
その日の部活は絵も思い通り描けないし、マンガにも集中できなかった。