矢野口光②
「お前またきもちわりぃ絵描いてんのかよ」
男子の一人が私のノートを許可なく取り上げる。ぱらぱらとめくり、イラストを見ては「きめぇ」とか「だせぇ」とか言っている。
好きな女の子に男子は意地悪をするというけれど、私の受けているこれはその類ではない。
単なる嫌がらせ。いや、もしかしたらいじめなのかもしれない。
でもこんなことでは私の心は折れたりはしない。信じるものがあるから。魔法少女はこんなことでは倒れない。
これを口に出したらまた男子からなんか言われるのも分かっているので、心でぐっとつぶやくだけだ。それだけで力になるはず。
「返してよ……」
でも本当は怖い。男子が怖い。魔法少女が強くても、今の私はただの中学生。男子は怖い。小さい声でお願いするしか手段がない。
「うるせぇ」
男子数人が私のノートを回して見ている。見せるために書いているわけではない。恥ずかしい。やめてほしい。
「お前も見るか、佐井」
「え、何を?」
「矢野口のノートだよ」
「ノート?」
佐井君が私のノートをめくってみている。
「すごいね。俺こんなの描けないよ」
ノートを見ながら佐井君が言う。
「だよな、きもいよな」
「きもくはないんじゃない? お前描けるの?」
「え、いや、描けねーってかこんなの描かねーし」
「じゃあ描ける矢野口はすごいじゃん」
「は、何言ってんの?」
佐井君の思わぬ反応に、戸惑っている様子だ。
「俺、絵描くの上手くなりたかったんだよ」
「しらねーよ」
「確かに言ってなかったな」
まさかの展開に変な空気になる男子。佐井君って空気読めないのかな? いや、この状況は私にとっては助かっているんだから、そんなこと言っちゃ悪いか。
「あ、そうだ。そんなことより、今日俺の家でゲームしない? 姉貴がスマブラ買ったんだよ」
佐井君が話を変える。ゲームと姉貴、男子の食いつく話題だ。これはすごい技術。
「マジで、行く行く」
やはり食いつく男子。単純だ。
「じゃあ学校終わって荷物置いたら来て」
「おっけー」
男子が去っていく。勢いがすごいな。ついていけないよ。
「矢野口、お前のノートだろ」
佐井君が後ろから私のノートを差し出す。出て行ったんじゃなかったの?
「あ、ありがとう」
「お前すごいな。今度絵の描き方教えてよ」
「う、うん」
「じゃあ今度な」
「う、うん」
佐井君が先に出て行った男子を追いかけ教室を去る。
救われた。佐井君に救われた。私にとってのヒーローだ。かっこいい。
それにしても今度っていつだろう。絵の描き方ならいくらでも教えられる。
でも希望を持つのはやめよう。ただ気を遣っていってくれただけだろう。どうせその程度だ。
まあ感謝はしている。素直に認めよう。うん、救世主だし。
だけどあまり期待はしないようにしておこう。実現しなかったときに落ち込んでしまうかもしれないから。
それでもやっぱり嬉しかった。それは事実だ。揺るがない真実だ。
ああ、だめだ。否定と肯定を繰り返してしまう。
一旦忘れよう。今日は助かった。それだけだ。佐井君の事は一旦忘れよう。