第22話 必ず救う
あたしはこの都市のスラムで生まれた。物心ついたときには父親はいなかったため、あたしは家族を母しかしらない。
母は優しかった。スラムでの暮らしはとても苦しいものだったはずなのに、あたしの分の食料をなんとか確保してきては、笑って与えてくれた。
「今は苦しいだろうけど、いつか幸せになれる。だから、あなたも笑って生きなさい」
いつか幸せになれる。母の口癖だった。今は辛いとは絶対に言わない。そんなことを言ってもあたしを不安にさせるだけだから。
わかっていた。自分が重荷であることなんて。優しくしてくれる母にずっと甘えていた。
「ほら、幸せになるためには働けるようにならないとね。です、ますって丁寧に話せるようにならないと」
「そうなの?」
「そうなんですか、よ。言ってみて」
「そうなんスか?」
「ふふふふ。可愛いし、今はそれでも良いかもね」
なんて言って楽しそうに笑っていた。だからそうやって話せば母が喜んでくれると思った。
今では癖になってしまったけれど……。
あたしは足が速かった。スラムでの生活では何より重要なものだ。確保した食料を持って逃げなければならないから。
あたしが12歳になって、大体のことは自分でできるようになると、まるでそれを待っていたかのように、母の体調が崩れがちになった。
食料を自分で確保するようになると、母の苦労がよく理解できる。
毎日逃げて、逃げて、逃げて。そうしているうちに更に足が速くなった。
周囲を気にして逃げ続けているうちに、なんとなく、気配が読めるようになった。
以前からなんとなくできていたことが、あたしが母を守らなければという思いで、死に物狂いで日々を送るうちに、明確な技能として習得されていく。
どんどん自分が強くなっていくのを感じる。まるでそれに反比例するかのように、母の体調は悪くなる。
(もっと食べ物を。お母さんが元気になるように、もっと栄養を)
もっと効率良く食料が集まる場所はないのか。そこら中を駆け回っていた。
なんとか食料を確保し続けること更に1年。あたしが13歳のとき。それを見つけた。
(あんなにパンが! ここ、毎日パンが捨てられるんスかね?)
あまり来ない方面まで足を伸ばして、やっと見つけたその場所。
大きいパン屋の裏手。多少固くなっているとはいえ、まだ食べられるパンがたくさん捨てられていた。
全てかき集めて布に包んで持って帰る。これだけあれば母の体調もきっと良くなる。
流石に毎日大量に捨てられている訳ではないが、パンという主食を安定して入手できるそこは、紛れもない救いの手だった。
だから毎日足を運んだ。
それがいけなかった。
そもそもスラムに程近くあってこんなに食料が手に入るのに、誰も手をつけてないのがおかしいのだ。
そこは、スラムを牛耳るギャング共のナワバリだった。
捨てられている食料をかっぱらってばら撒き、スラムの住民を手下に加えているのだ。
そして、「あれをすれば助けてやろう」「これをすれば食料をやろう」と言って操り、悪事を働かせる。
捕まるのは、操られたスラムの住人だけ。たとえ捕まった人が証言しても、のらりくらりと煙に巻き、スラムの王として君臨し続けている。
そんな連中に目をつけられた。
いつも通りにパンを取りにきたとき、
「誰の許可を得てここの食料を取ってんだぁ?」
そう声をかけられた。
マズイことはすぐに理解できた。ギャング共の存在は知っていたから。
答えることもせず、全速力で逃げ出す。
「待ちやがれ!!」
追いかけてくる。だが遅い。あっという間に引き離し、入り組んだ路地を利用して撒く。
(余裕ッスね。スラムを牛耳るギャングといっても下っ端ならこの程度ッスか)
念のため、もうしばらく走り回ってから、住処に帰る。母が待っている。
「ただいまッス」
「おう、お疲れさん。良い走りしてんなぁ、おい」
「!?」
知らない男が住処にいた。だがその口ぶりから、ギャングの仲間なのは明らか。
逃げ出そうとする。が、
「おおっと、待ちな。母親がどうなっても良いのか?」
「くっ!」
母が人質に取られた。ただでさえ体調が悪いのに、こんな……。
スラムを牛耳るギャングだとわかっていたのだから、スラムの住人からの聞き取り調査で自分の住処を割り出されていることくらい、予想してしかるべきだった。
たとえ予想できていても、この状況を解決できたとは思えないが。
「お前の逃げ足を評価してよぉ、仕事をくれてやる。ちゃんと言うこと聞いてりゃあ母親に危害は加えねぇでおいてやるよ」
それからは連中の使い走り生活だった。あれを盗め、これを届けろ、それを運べ。
そんな生活をして1年くらい経った頃。急に連中がナワバリを移すと言ってきた。
迷宮に住むと言う。何をふざけたことを言っているのか。そう思ったが、連中は本気だった。
「お前には毎月ノルマを課す。迷宮で良い感じの獲物を見つけたら、金になるもの奪って来い。だまして7階のアジトまで連れてきても良い。とにかく稼げ」
「それから1年、今も奴らこの迷宮にいるッス。お母さんを連れて……」
「その連中から母親を救い出して欲しい、と」
「はい。そのためなら、どんな対価も差し出すッス。あたしはどうなっても良い。だから……」
エイミーが頭を下げる。
「助けてください……」
そう言って頭を下げている。涙が落ちていくのが見える。
いくつか疑問はある。が、それは今は良い。
「2つ、言いたい事がある」
「はい」
「まず1つ。お前の母親はお前を大切に想っている。スラムの苦しい生活でも一言も弱音を吐かず、お前を育て上げたとても強い人だ。そんな母親が、自分が救われた代わりに娘が酷い目に遭うのを見たとき、果たして救われたと思うか。母親を救うためには、お前も救われなきゃ駄目だ。自分はどうなっても良いなんて言うな」
「で、でも、あたしに支払えるものなんて……」
顔を上げて反論してくるのを遮り、言う。
「2つ目」
対価なんてなくて良い。目の前に苦しんでいる子がいる。だから、
「任せろ。必ず救う。今まで良く頑張ったな」
「あ……」
エイミーの目からまた一滴、涙がこぼれ、床を濡らした。
今はこらえろ。この怒りを噴出させるのは、ここじゃない。
協会に登録したとき、冗談めかして「感情を隠すことが苦手」なんて書いた。あれはよく自分の考えを読み取られるからそんな感じかなぁ、なんて曖昧な理由で書いたものだ。
だが、今自分の顔が怒りに歪んでいるのがはっきりと自覚できる。やはり感情を隠すのが苦手だったらしい。
『いえ、マスター。感情を隠すのが苦手なのは関係ないです』
『……そう。わたしたちだって、怒っている』
(お前らが怒っているところなんて初めて見るな)
『マスターが怒っているところだって、わたし初めて見ますよ?』
(そうだったか?)
確かに、今まで悪という感じの人がいなかった。故郷にいた頃は覚えていないが、旅を始めてから、いや修行中も含めて、怒ったことはなかったかもしれない。
(そうだな。少なくともこんなに怒りを覚えたのは初めてだ。アジトに着くのが待ち遠しくすらある)
現在俺たちは6階を進んでいる。エイミーの案内で最短を進んでいるため、そう時間がかからず連中のアジトに着くはずだ。
「アジト近くの部屋で奴らは仕掛けてくるッス。最初に不意打ちでナイフが飛んでくるので、それを驚いた様子でギリギリ回避してくださいッス」
「回避した後はどう出てくる?」
「部屋に大人数で入ってきて囲んでくるはずッス。でもお兄さんの実力なら大丈夫ッス。敵にお兄さんより強い奴はいないッス」
「お前を守りながら戦えと?」
信頼が嬉しいね、まったく。
「いえ、あたしは一応奴らの仲間扱いなんで、奴らの包囲に混ざるッス。戦ってる風を装いますけど、攻撃しないでくださいよ?」
「どうかな? 間違って攻撃しちまうかもなぁ」
「ちょっと!?」
エイミーをいじって気を紛らわす。顔に怒りを浮かべてアジトに行ったらエイミーの裏切りがばれてしまう。なんとか隠さないと。
「……お兄さんに伝えておくことがあるッス」
「なんだ?」
「連中、髪の色に紫が混じり始めてるッス。多分、一度も迷宮から出ずにずっと悪性魔力を浴び続けたせいッス」
さっき感じた疑問の1つ。そんなにずっと迷宮に篭ってて大丈夫なのか、ということ。
やはり大丈夫ではなかったか。紫の髪というのがどういう状態かはわからないが、何か良くないものなのは確かだろう。
「あたしもどんな影響が出ているのかわからないッス。さっきはお兄さんなら大丈夫って言ったけど、もしかしたらすごい強化されてたり……」
ここに来て、俺を巻き込む罪悪感が増してきたか?
「任せろって言ったろ? 大丈夫だ、心配すんな」
そう言ってエイミーの焦げ茶の髪をぐしぐしと撫でてやる。
「……はい。お願いするッス」
7階への階段が見えてきた。いよいよ連中のアジトがある階層だ。
エイミーによれば規模は30人程度。武器は大したことないその辺で売っている安い剣や槍、弓。防具はなし。ただの服を着ているだけ。魔法は未知数、ってところか。元は焦げ茶髪の奴ばかりだったらしいが……。
紫髪の影響が気がかりだが、今考えても仕方がない。必ず救う。それだけだ。
今まで登場したスラム出身者が2人とも(ジーンとエイミー)気配を読むことができるので、スラム出身者は全員そんなことができるのかと勘違いされそうですが、もちろんそんなことはありません。この2人が特別なだけです。




