~皇国レミアム復活編~ 降臨
エルリック・サーガの著者、マイケル・ムアコックに影響を受けた私のささやかな作品。今は亡きチャールズ・ブコウスキーに捧ぐ。長編ディア・ミレニア始まります。楽しんでください。
神聖歴二千三百年、異世界コル・カロリ。この星は三つの大陸で構成されていた。ひとつ、インペリウス大陸に位置する世界最大の領土と国力を誇る神聖ザカルデウィス帝国。ひとつ、ライナス大陸に位置する永遠の夜を抱く吸血鬼達の大国、エギュレイェル公国。ひとつ、ドグマ大陸に位置する絢爛豪華な歴史を歩む皇国レミアム。それぞれが強大な力を持っているが故に、覇権争いは膠着状態を見せていた。小競り合いは続いていたが、それが決定的な国交断絶に繋がることもなく、ある意味では危険な、ある意味では平和であった。これは、皇国レミアムと周辺諸国の十日にも渡る戦争と、それに巻き込まれたある男の物語。そこには苦難と受難が入り交じり、その男の苦悩と大いなる悲しみが描かれることになるであろう物語。
降りしきる雨、吹き荒れる風、野には薔薇、ひとりの男がそこで眠っていた。それは数千年の歴史からついに開放され、永き封印から解かれたように眠っていた。その姿は半身が漆黒の鎧、半身が純白の鎧、真紅の外套、顔は整っており、ブロンドの長い髪といった姿であった。鎧は着用しているのではなく、肉体と一体化していた。その偉容は神々しく、誰もが見ても神のそれと変わりがなかったようにも思える。ともかく、男は眠っていた。その眠りを妨げるように、多数の足音が近づいてきた。鳴り響く金属音、剣と剣が切り結ぶ音、鎧と鎧がぶつかる音、肉体を切り裂かれる音、様々な音である。男たちの悲鳴、嗚咽、怒号、彼らは今まさに戦争をしているのであった。彼は眠りから覚めた。その眼光は黄金で、辺りを見回すと血で血を洗う状況にあるのだとすぐに分かった。野の薔薇は踏み荒らされていた。
彼は自分の名を思い出していた。戦争の渦中にありながら、彼は自分の個としての確立に努めた。己はどのような名前なのかを必死になって思い出していた。その中でふと浮かび上がったのが、“ゼイフォゾン”という名であった。ゼイフォゾン…それはどこにも属さない名であった。ただ、彼の脳裏に浮かび上がった名がそうであった。自分は果たして本当にゼイフォゾンなのか、どうなのか。それを決めるのは自分だけであった。もしかしたら違うかも知れない。真実ではないのかも知れない。しかし、彼…ゼイフォゾンにとってはどうでも良かった。その他の記憶を呼び起こそうとしたが、これ以上は無理であった。その黄金の瞳を輝かせながら、ゼイフォゾンは上半身を起こした。すると目の前でひとりの兵士が槍で貫かれ、絶命しているのが確認できた。その兵士の心臓に見事に命中している槍を引き抜いた彼は、それを支えにして立ち上がった。その景色はあまりにも惨い有り様であった。屍の山の上に、また屍の山。赤黒い血が滝のように流れ、野を埋めていた。薔薇の赤ではなく、血の赤が支配していた。そんな中で、彼だけは美しかった。何故か汚れてもいなかった。彼は混乱した。
何故自分は生きているのだろう。何故、自分だけが今そこに生まれたような姿でいるのだろう。ゼイフォゾンという名だけが自分を立てる証明でしかないのに。そもそも何故この兵士たちは殺し合っているのだろう。戦争行為を止めないのだろう。傷つけあっているのだろう。何の目的があってこのような事態に発展しているのであろう。何もかもが、ゼイフォゾンにとっては分からなかった。そもそも自分を見ていないのだろうか。襲い掛かられてもおかしくないこの惨状で、何故自分だけが狙われないのだろう。何故自分は生まれてきたのだろう。ゼイフォゾンは槍を捨てて、戦場から逃げるようにして走った。あてもなく走った。雨がゼイフォゾンの美しい顔を打ち付けていく。仕方のない事だった。逃げるしかなかったのだ。自分にはまだ何の力もない。この戦争をかいくぐる自信もない。そもそも何故自分が逃げているのかも分からなかった。しばらく走ったような気がしてきた。自分でも驚くべき速度で走っていたのが理解できた。戦場からは遠かったのだ。
こんな情けない自分に生きている価値はあるのだろうか。段々とそう思うようになってきた。生まれた理由も分からないゼイフォゾンは、己の価値を見出せずにいた。それも仕方のない事だった。頼むからこの馬鹿馬鹿しい現実から逃げたい。そう思っていた。現実逃避はゼイフォゾンを癒すだけでなく、徐々に傷付けていくのであった。彼はこの世界のことは何も知らないでいた。当然である。生まれたばかりなのである。しかし、現実はそう甘くはなかった。さっきの兵士たちが後方に見えた。自分を追いかけてきたのが理解できた。だが、ゼイフォゾンはこんなところで囚われの身になることを嫌がった。なので、また走った。驚くべき速度で。逃げたのである。彼には逃げるしか方法がなかった。後方の兵士たちを大きく引き離したところで、ある城塞が見えた。というよりも国が見えた。逃げ込むならここしかないと思ったゼイフォゾンはまた走った。いつの間にか雨は止んでいた。陽の光が彼の顔を照らし出した。左右非対称のその姿は、まさに神の偉容そのままであった。しかし、今の彼は無力であった。自分のその無力さに彼は物憂げな表情を隠せなかった。そう思っているうちに城塞の門まで辿り着いたのであった。
城門は固く閉ざされていた。その門が開かれるには時間がかかっていた。入門するには手続きが必要であった。自分の名と出身を言い、通行料を払わなければ通れないことになっていた。ゼイフォゾンはある種の絶望感に打ちひしがれていた。門の前は行列だった。この間にさっきの兵士たちが追ってきていたらどうなるのであろう。そう考えると、待つのは非常に心苦しかった。自分のせいで何の罪もない人々が犠牲になるのが嫌だった。彼はその場から離れようとしたのだが、そうもいかなかった。門番が順番を数え始めてしまったのだ。下手にまた逃げると怪しまれるのは明白であった。後方を見るともう追ってはこないようだった。しかし、このまま城門をくぐるのも難しい状況でもあった。生まれたばかりの彼には、通行料など払えるはずもない。ましてや出身などもってのほか、自分は眠りから覚めたばかりなのだから。でもそんなことを門番に伝えても信じてはくれまい。順番を数えていた門番のひとりが、ゼイフォゾンを不思議そうに見た。おおよそ人間を見る目ではなかった。
手続きが始まった。人々が紙に名前と出身を書き、通行料を払っていった。荷物もなにも持っていないゼイフォゾンは困った。旅人とは違うと思われては、ただでは通してくれないであろう。そもそも自分には文字が書けるのか不安でもあった。基本的な知識は己に備わっているのは実感としてあったのだが、世界を知らないので、出身の国など偽って書けるものではなかった。その事を自覚していたゼイフォゾンは、そろそろ自分の番であることも悟った。いよいよ囚われの身になるのかと思うと、彼はまた物憂げな表情になった。その時、自分の真後ろにいた戦士がゼイフォゾンに声をかけてきた。その男も簡易的な鎧に身を包んでいた。荷物は大きくなかった。身長はゼイフォゾンよりも低かったが、筋骨隆々なのは確かだった。もっとも、ゼイフォゾンが大きかっただけなのであるが。顎髭をたくわえたその屈強な男は気軽であった。ゼイフォゾンが何も持ち合わせていないことを見抜いたのである。
「私になんの用だ」
「あんた、名前は?」
「ゼイフォゾンというらしい。私には記憶という記憶がないのでね」
「らしい?あんた不思議な奴だな。俺はオーガン。いいよ、俺と一緒にこの国に入ろうぜ」
「良いのか?」
「良いさ。俺もこの国の出身でね。ここはハーティー共和国。皇国レミアムと戦争しているんで、こんな面倒な手続きをしなくちゃいけない。今こんな情勢だからな、あんた気を付けたほうがいいぜ。見たところ人間じゃなさそうだし。魔族か何かか?」
「分からない。生まれたばかりなのでね」
「へぇ……不思議な話もあったもんだ」
「そうだな。不思議だ、私も不思議と思っているよ。とにかく、助けてもらったのだ。何か礼がしたいのだが」
「何にも持ってないあんたから礼かい?そうだな……おっと順番が回ってきたみたいだ」
オーガンと名乗るこの男と共に入国することにしたゼイフォゾンは、門番のいるところまで歩いていった。門番は怪訝そうな顔をしていた。明らかに不審に思っていたのである。しかしオーガンはゼイフォゾンには堂々としてもらうことを期待していた。あまり挙動不審にされるとオーガンも困るのだった。当然である。それを察していたゼイフォゾンは堂々としていた。門番が近づいてくる。ゼイフォゾンは生きた心地がしなかった。今自分がどのような状況に立たされているのかは理解できたが、このオーガンという男を信用していいものか甚だ疑問だった。しかし、オーガンは笑っていた。何をそんなに余裕があるのかもまた甚だ疑問であったが、そのオーガンに救われるかも知れない事を願っている自分もいるのだと、ゼイフォゾンはそう自覚していた。
いよいよである。この場を乗り切れば、自分は助かるかも知れない。その時、門番の長らしき者が出てくるのが見えた。不審に思った門番のひとりが上に報告したらしかった。その状況だけは読んでいなかったのか、オーガンは少し驚いていた。“ハーティー共和国、魔族の立ち入りを禁ず”と書かれた看板を掲げて出てきたのであった。ゼイフォゾンは参っていた。こんな事になるならもう少し走れば良かったと後悔すらしていた。自分は魔族なのか、それとも何なのかも分からないまま、時が過ぎていくのを待った。オーガンが論じているのが見える。何か取引でもしているのだろうか。ゼイフォゾンがこのままだとオーガンも国へ入れないという事を、もしかしたら言ってくれているのかも知れない。自分の都合のいいように考えを集中させるべく、ゼイフォゾンは努めた。そうでもしないと心を平常に保てない。時間は刻一刻と過ぎていく。後続の旅人たちはゼイフォゾンとオーガンを抜かして次々に手続きを済ませて入国していった。その旅人たちの目は、いかにもゼイフォゾンが入国できませんようにと祈っている様子でもあった。そんな目線を気にしてか、ゼイフォゾンはため息を大きく吐いた。
これからどうやって身を立てていこう。そんなことばかり考えていると、オーガンが戻ってきた。その様子はとても楽天的で、悪く言えば何も考えていないのではないかと思えた。しかし、その明るさがゼイフォゾンにとっては救いだった。奇妙ではあるが、彼はオーガンに対して友情みたいな気持ちを抱きつつあった。その気持ちの方向性がまったく理解できていなかったが、彼はそういう気持ちを抱かざる得なかった。この笑い方には何か裏があるのかも知れないとも思っていたが、裏があってもオーガンはオーガンなのだと自分に言い聞かせた。オーガンは彼に伝えた。
「許可が下りたぞ。金は払っておいたから安心しな。悪いな、手間取って」
「そんなことはない。私の責任だ、しかし……」
「ん?」
「ありがとう、オーガン」
「いいってことよ。これからあんた、ハーティー共和国に入ってどうするんだ?予定がないなら俺と一緒に行動しねぇか?その姿じゃ怪しまれて終わりだぜ?」
「わかった。私はお前の言うことを聞こう。オーガンよ」
「じゃ、決まりだな!」
かくして入門が許されたゼイフォゾンとオーガンは、通行料と書面に名前と出身を書き、ついにハーティー共和国へと入国した。城塞都市ハーティー共和国は魔族や他の種族を一般的には受け入れないことで有名な人間の国だった。なのでオーガンの言われた通り、ゼイフォゾンは出身をハーティー共和国と偽って書いた。字は記憶の中、知識の中にあったので問題なく書けた。この入国が、彼の運命、またはオーガンの運命を大きく変えていくことになろうとは、今はまだ知る術もなかった。ここから始まる苦難と受難は、ゼイフォゾンにとって全てを変えていくことになる。このハーティー共和国は、小国であったが、国力は充分であった。ごく一般的な小国であるが、兵の練度は高く、また高級な絨毯を貿易に使って財力を成していた国であった。絨毯はこのハーティー共和国の名産品であった。オーガンはゼイフォゾンを連れてある家に向っていた。そこには一人の女性と子供が待っていた。オーガンを待っているようだった。
オーガンの話によれば、ハーティー共和国には妻と一人の息子がいるという話であった。それかも知れないとゼイフォゾンは感じた。妻と思われる女性は特別美しくなかったが、可愛らしい印象を与える女性であった。子供はもう大人に近い年齢だと思われた。オーガンと同じく簡易的な鎧を身に纏い、腰には剣をぶらさげていた。ハーティー共和国の戦士としてはまだ新米なのだろうが、筋肉はそれなりにあり、腕も悪くないと思われた。妻と思われる女性はゼイフォゾンの姿を確認すると、警戒し始めた。その反応は当然と言えば当然であった。魔族と間違えられてもおかしくない。それ以上の化け物と比喩されても仕方のないことだった。しかし、オーガンは二人に対して終始笑顔で接した。オーガンはゼイフォゾンが魔族ではないが人間とはまた別の存在であること。そして、ゼイフォゾンは家族に絶対に手は出さない信頼に足る者であることを説明した。妻の名前はイゼベル、息子の名前はガトランという。オーガンとガトランはハーティー共和国の百人の精鋭スパルタンに所属する戦士だと言った。
「ガトランはスパルタンでも最年少でな。まだ女を知らないから、まだまだの所もあるが、頼りになる男に成長した。俺に似て剣の腕もある。ほら、ゼイフォゾンだ。挨拶しな」
「ガトランっていうんだ。宜しくな、ゼイフォゾン」
「宜しく、ガトラン。君の実力はその身体を見ていれば分かるよ。毎日訓練しているのだろう。オーガンも強いわけだ。私は無力だが、君の迷惑になるつもりはない」
「イゼベル、ゼイフォゾンだ。挨拶してやってくれ」
「宜しくお願いしますね、ゼイフォゾン。門番の件については主人に聞きました。大変だったでしょう?さぁ、中に入って。あまり外で喋ると周りにどう思われるか分かりませんから」
妻のイゼベルの対応は冷たかった。外聞を気にしてか、ゼイフォゾンを中へと入れたら固く施錠した。もしかしたら閉じ込めておくつもりなのかも知れない。それも仕方のないことだった。息子のガトランはゼイフォゾンの事を気に入っていた。その偉容はただの風格ではないと思っていた。実際は逃げてこの国までやってきた経緯については、彼は口にしなかった。夢を壊すのを躊躇ったからであった。家に入った彼はオーガンとガトランに促されるがまま、部屋に入った。そこで、彼は世界の情勢について、知識について全てを語ってくれた。
まずは世界のことについて語ってくれた。ここはコル・カロリと呼ばれる世界であること。そしてこのコル・カロリという世界には三つの巨大な大陸が存在しているということ。そしてこの世界には三つの大国が存在しているということ。まずはドグマ大陸、ハーティー共和国も存在しているこの大陸こそがドグマ大陸であるということを教えた。そしてインペリウス大陸、そこには世界最強と謳われる超大国、神聖ザカルデウィス帝国が存在しているということ。更にライナス大陸、そこには神聖ザカルデウィス帝国に比肩するほどの大国、エギュレイェル公国が存在するということ。エギュレイェル公国の領内は常に暗黒に包まれていて実態は分からないが、吸血鬼という魔族しか住んでいないということを教えたのだった。そして一番大切なのはこのドグマ大陸の現在の状況である。オーガンは語った。ドグマ大陸には数千年前に神聖ザカルデウィス帝国とエギュレイェル公国に対抗できる大国、皇国レミアムという国が存在したと。しかしその数千年前に突如消え去り、ハーティー共和国を含む周辺諸国は復興を遂げたが、ここ最近、皇国レミアムが国と領土ごと突如復活した。そしてハーティー共和国を含む周辺諸国、詳しくは、ハーティー共和国、ゲイオス王国、ティア王国、シュテーム連邦王国がその復活を確認し、それに対抗するために協力体制を取ったがまとまりがなく、そのまま皇国レミアムと戦争状態に突入。その戦争が始まってからまだ二日しか経っていないことを明かした。要するにドグマ大陸は皇国レミアムが復活したと同時に平定を恐れて戦争に至ったというわけである。そればかりか、もうゲイオス王国は皇国レミアムに屈したと言われていると話していた。
何せ皇国レミアムという国は錬金術で発展した国であるという。その技術は神の領域にあるとされ、生み出せるものは何でも生み出せるという。そして恐ろしいことに、その国力と領土は他の二大国に引けを取らず、それだけでなくその軍団の強さは圧倒的であるということ。そのことに関してハーティー共和国も苦慮しているところであると話した。ゼイフォゾンはその錬金術という言葉が気になった。その神の領域に踏み込んだ皇国レミアムになら己の出生の秘密を明かしてくれるかも知れないと考えたのだ。ゼイフォゾンは心の中で決めた。皇国レミアムを目指すと。旅の目的はできたのだから、このハーティー共和国で自分はいったい何をすればいいのだろうかと思案した。そこにオーガンやガトランの言葉は求めないことにした。この件は自分で解決しようと決めた。それにはやはり助言がいる。金もなければ旅の準備もない今の状況で何をすればいいのか。まずはオーガンに聞いてみた。言葉は求めないが、それは己の旅の目的であって、今ではない。ガトランも何か知っていると踏んだ。
「まず、私はこの国で何をすればよいか?」
「稼げる場所を見つけないとな。ガトラン、何か知らないか?」
「スパルタンの訓練場で見張りの仕事があったはずだな。俺から口添えしておこうか?」
「頼む。すまないな、何から何まで」
「いいんだ。今日だけとは言わず、ここで過ごしてくれ。俺も話相手ができて嬉しいよ」
「ありがとう」
ゼイフォゾン…彼は何故この世界に生まれたのか。それを知る術は全て皇国レミアムにある。少なくとも彼はそう考えていた。それにはまずハーティー共和国で生計を立てる必要があった。彼には目的があった。生き抜くこと。それだけである。だがこの日を境に悲劇の幕が上がる事など誰も知る由もなかった。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。次の執筆を楽しみに。ではまた!