アランの願い
「俺はここまでの約束だからな、最後に一杯やろうかと」
アランは酒瓶を俺に差し出す。俺は首を横に振った。
「明日は大切な日だから、今日はやめておくよ」
俺はそろそろ学習した。二日酔いで大事な日を迎えるわけにはいかない。アランが露骨に不機嫌な顔を作った。
「ふん、じゃあ勝手にやってる」
そう言って、酒瓶をラッパ飲みする。俺はもう考えるのをやめた。近くに人がいては集中できなし、正直これ以上考えても結論は変わらない。
「俺は余計な詮索はしねぇ、お前が何を隠してるのかも言わなくていい」
アランは独り言のように言う。
「ただ……お前は真剣な表情が似合わねぇな、人を小馬鹿にしたようにニヤついて、楽しみながらお前は不可能に思えるようなことを成し遂げる、そんな奴だと思ってたぜ」
ウォルフガングに言われた言葉を思い出した。彼は俺に尋ねた。なぜ笑っているのかと。
確かにその通りかもしれない。俺はこの世界に来て楽しんでいる。命懸けで理不尽な数々の無理ゲーを俺は楽しんでいた。
その気持ちは俺が英雄として、不可能を越えるのに必要な要素かもしれない。追い込まれるあまり、俺は今の状況を楽しんでいなかった。
まさかあの飲んだくれのアランに気付かされるとは思わなかった。
プロメテウス、アリアテーゼ、ネロ、俺の前にはいくつもの壁が立ちはだかっている。常人ならその壁を越えることが出来ない。
だが、俺だけはその先へ行ける。そのためには、不謹慎かもしれないが、この状況を楽しむ。追い込まれ、絶望が近づいて来れば来るほど、俺の感覚は研ぎ澄まされていく。それが英雄の本質。
「一杯もらうよ」
俺の返答にアランは嬉しそうに笑い、器を渡した。並々に注がれた酒を俺は口に含んだ。
「少しの時間だが、お前と旅ができて楽しかったぜ、良い経験をさせてもらった、それにたんまり稼がせてもらったしな」
「お礼を言うのはこっちだ、アランのおかげでここまで来れた」
「俺はここでお別れだが、また一緒に酒を飲みてぇな、絶対生きて帰ってこいよ」
「言われなくても全て成功させてくる」
「お前に言われると、なぜか本当に上手く行くように思える説得力があるな」
「まあ、俺に不可能はないからな」
「大した自信だな、だけど気をつけろよ、魔王軍幹部は常識外の化け物だ、あの筋肉だるま、全盛期の俺が倒しきれなかったからな、自分で言うのも何だが、あの時の俺の強さは異常だった、それでも倒せなかった」
「言いにくいんだけど、俺、もうウォルフガングを倒してる」
「………」
アランはごくっと酒を飲み干して、俺をしばらく見つめた。
「はあああああぁぁ! あ、ああああぁ、ありえねぇ! 嘘つくんじゃねえよ! 絶対無理、あれ倒すとか、無理無理無理!」
取り乱すアランが落ち着くまで、結構な時間がかかった。最後は納得こそしなかったが、だいぶ落ち着いた。
「まあ100万歩譲って倒したと認めてやるよ、やっぱりお前普通じゃねぇな」
アランはそこまで言って、少し何かを考えた。酒を飲む手が止まった。何かを思いついた様子だった。
「なあ……レン、もしお前が不可能を可能にできるなら、今回の件が終わったら俺の依頼も受けてくれねぇか」
真剣な表情のアランに俺は頷く。それだけの恩がある。俺にはアランの依頼に心当たりがあった。
しかし、それは英雄でさえ、成し遂げることが難しい無理ゲーだ。
「助けたい奴がいる、俺の力じゃ無理なんだ、俺がいくら強くなっても、どれだけ仲間を増やしても、助けられない」
酒が回ってきたのか、アランは弱々しく言葉を吐き出す。アランはずっと盗賊を続けながらも、成し遂げたい思いがあった。
「俺は今こんな暮らしのごろつきだ、あいつが今の俺を見たら、きっと叱られる」
叱られると言いながら、アランはそれを望んでいるようだった。
「お前に救ってほしいのは、かつての俺の仲間……」
ああ、知っているよ、アラン。俺は彼女を誰よりよく知っている。
使える仲間ランキング1位。仲間にするのが難しいランキング1位。魔法攻撃力、魔法防御力、最大MPが全キャラ中1位。
魔法使いキャラの中でアリアテーゼを含めても、群を抜いて最強の名をほしいままにする。
元魔法協会総帥にして、かつて魔王を封印した勇者パーティの1人。
「ソラリスを救ってくれねぇか」
大魔導ソラリス。ゲーム時代での俺の最終パーティの1人だ。
その道は限りない不可能に覆い尽くされている。しかし、俺の返答は決まっていた。
アランに頼まれたからではない。既に避けては通れないことだと理解していた。
「ああ、引き受けよう」
元から俺はソラリスを仲間にするつもりだった。俺の方針は変わった。この世界でのんびりと平和に生きていくことなど出来ない。
理不尽と絶望が蔓延したこの世界で、大切なものを守るためには力がいる。
プレイヤーが介入せずとも、勝手にイベントは進行し、世界が破滅に向かう。それだけこの世界は脆弱だ。
だから、俺は最強になることを決めた。あらゆる理不尽を払い除ける為には圧倒的な力がいる。
その為には大魔導ソラリスを仲間にすることは絶対条件だ。他にも強力な仲間を集め、ポチも覚醒させ、俺自身も力を付け、紛れもない最強にならなくてはいけない。
「ありがとな、お前なら本当にやってくれそうな気がするぜ」
アランは満足そうに酒を煽った。俺も器の酒を飲み干す。
ダンテに言った言葉は、そのまま俺に帰ってくる。目の届く仲間を助けたい。その為に俺はどんな不可能だって越えてみせる。
「こんな所にいたのか?」
後ろからギルバートがユキとポチが連れて現れる。結局1人にはなれないようだ。
「ユキがな、レンがこの森に入っていくのを見たと言っててな、いっ!」
ユキがなぜかギルバートの足を踏みつけていた。
「それで見たところ、酒盛りをしてるようだが…」
ギルバートは呆れたように肩をすくめた。
「まあ、俺たちはそれでいいかもな、下手に緊張するより、普段通りがいい」
そう言って、俺たちの横に腰掛けた。ポチやユキも腰掛ける。結局パーティ全員が揃った。
「さっき露店で買ったんだ、宿に戻って食べようと思ったが、ここでいいか」
ギルバートが最果ての村の名物料理の数々を並べ始める。アランはツマミが出来たと歓喜していた。
どれも彩りが乏しく、白っぽいか灰色っぽい料理だが、意外にスパイシーな良い匂いがした。
「レン、明日は私も頑張るわ」
ユキは少し、頬を赤らめながら、俺に宣言した。
「ああ、期待しているよ」
俺はそう言って、彼女の腕にあるものを押し当てた。
「ポチ」
俺の合図でポチが小さく鳴いた。
「わん!」
スキルが発動され、彼女の腕輪が地面に転がり落ちた。
ユキは驚いた表情で、腕輪を見つめた。
「え……どうして?」
俺を見上げる。瞳が僅かに潤んでいた。
「ユキを信じることにした、だから、頼むよ、世界を氷漬けにしないでくれ」
迷っていたが、決めた。ポチの『ワンデーパス』で施設料金を無料にし、ポケットロザリオで髑髏の腕輪を解除した。
プロメテウスやアリアテーゼのいる魔王城に乗り込むことを考えると、ユキが裏切るリスクがあっても解放したメリットの方が高いという打算的な考えもある。
ただ、俺は信じられると思った。ユキは俺達を裏切らない。
「ありがとう、レン、必ずこの力、あなたのために使うわ」
強がっているが、頬に涙が溢れていた。よっぽど魔法が使えるようになるのが嬉しいのだろう。
ユキは髑髏の腕輪を大切そうに仕舞う。
「もうそれ捨てていいけど」
「……これは、初めてのプレゼントだから、大事にする」
ユキが小さい声で何か言っていたが、俺はよく聞き取れなかった。
俺は串に刺された白い肉を手に持つ。口に運ぼうとすると、もう1人の仲間が俺の肩を叩いた。
彼は真剣な目で俺を見つめている。その目には強い意志が含まれていた。
「分かっているよ、俺たちに言葉はいらない」
仲間として、俺には分かった。彼が何を言いたいのか。俺は右手を差し出した。
ポチは嬉しそうに、右手に持った白い肉に食いついた。
肉を食べたいという強い意志を持っていたのだろう。本当に美味そうに肉を食べている。
「よし! 明日の成功を祈って! あと一杯だけ飲むぞ!」
俺は仲間たちと決行前日の酒盛りを楽しんだ。明日はここにリンも混じっている。
俺はそう信じている。