深き谷を越えて
「その谷底の死神っていうのは何なんだ?」
ギルバートがアランに尋ねる。アランは苦々しい表情で答える。
「噂になっているモンスターだ、谷底に踏み込んだ人間を皆殺しにする、ちなみに俺は遭遇したことがある、あれに遭遇して生きている人間はほとんどいねぇだろうな」
アランがジェノサイドと遭遇したことがあるのは意外だった。そんな話はゲームでも聞いたことがない。
「俺がガキの頃な、魔王城に行くのにここを通った、王国の最高レベルの騎士団が一瞬で壊滅させられた、俺も戦ったがやばかった、あの頃の俺よりも速かった、信じられない速度だ、それにどんなに防御力やHPがある奴でも一撃で死んでいた、俺も同じだろう、あの時はソラリスがいたから退却できたが、あいつがいなければ全滅してた」
全盛期のアランパーティの強さは異常だ。少年のアランは最強と呼んで差し支えない鬼神のような強さだった。さらに若かりしゲンリュウも次元を越えた強さを持っていた。もちろん、ナラーハも今より遥かに強く、そして、ソラリスもいた。
あのパーティで退却しかできないなんて、ジェノサイドはやはり常軌を逸している。
「レン……こんなこと言いたくないけど、やめてほしい、リンさんが大事なのは分かるわ、でも、レンには死んでほしくない」
ユキが俺を見て、強く言う。目が涙で少し潤んでいた。
「いや、俺は」
「ユキ、漢には逃げちゃならない時がある、レンの旦那を信じろ」
ギルバートがユキに告げる。ユキはそれでも不安を消すことができない。
「いやなの、レンがいなくなるのがいやなの!」
まるで子供のように叫ぶ。頬に涙が伝っている。
「だから、俺は」
「ふん、仕方ねぇ!俺も着いていくぜ、レン、お前ならあの化け物を何とかできる、俺にはそんな気がする、それに俺がいるなら少しでもレンの生き残る可能性が上がるだろ」
アランが覚悟を決めたように言う。
「うぉーん!」
タイミングよく、ポチがまるで狼のように遠吠えする。そこには俺も着いていくという強い気持ちが込められていた。
ユキは涙をもう堪えられず、ボロボロ流しながら、強く拳を握りしめた。
「お願い……レン、約束して、絶対に死なないって」
全員の視線が俺に集まる。アラン、ギルバート、ポチ、ユキ、全員が俺の次の言葉を待っていた。俺は最高の仲間を持ったようだ。
だから、俺は全員に告げた。英雄としての道を示すために。
「いや、谷底行く気ないけど」
空気が凍る。今までのドラマが全てぶち壊しになる。冷たい風が全員の間で流れた。
「だから俺何度も言おうとしたんだけどさ、ジェノサイド……谷底の悪魔か、倒すのも逃げ切るのも不可能だから、戦う気ないんだけど」
なぜ皆勘違いしたのだろう。俺がそんな危ない橋を渡るはずがない。
俺は死の谷を越えると言っただけだ。谷底を通るなんて、無謀なことはしない。
ユキは恥ずかしそうに顔を背けていた。いつも雪のように白い頬が少し赤くなっている。
「よし、じゃあ早速、元気出してやってみよう!」
「くぅーん」
俺は気まずい空気を壊すために、明るく声を出した。ポチが小さくため息をついた。ポチのため息が可愛すぎる。
「アランがいてくれて良かったよ、成功率が大幅に上がる、アラン、自分にフィジカルリフレクションをかけてくれ」
「何をする気だ?」
アランは自分に【フィジカルリフレクション】をかける。青い膜のようなものがアランを包む。
俺は位置を確認しアランに立ってもらう。これで完璧だ。あとはいくつか石を拾ってポケットに詰めていく。
全員、俺が何をしているのか理解できず、困惑していた。
「よし、準備は出来た、じゃあ、行ってくる、すぐに戻るから心配しないでくれ」
「レン……何をする気なの?」
「この谷を飛び越える」
一同が驚愕する。ギルバートが慌てて止める。
「おいおい、不可能だ、どれだけ距離があると思ってるんだ」
「まあまあ、すぐ戻るから信じて、待っててくれ」
俺は少し強がった。ゲーム時代には出来なかったことだ。失敗する可能性もある。だから、仲間を不安がらせたくなかった。
俺は崖の縁に移動し、アランに向かって走った。『ハイジャンプ』で飛び上がり、角度を調整して【フィジカルリフレクション】に刀を打ち付ける。
衝撃が発生し、俺は吹き飛ばされる。一瞬で谷へと身を放り出した。視界の下は霧に包まれた谷底だ。落ちれば命はない。
空中で吹き飛ばされた推進力がなくなり、身体が落下を始める。
向こう岸はまだ遥かに遠い。俺は『ハイジャンプ』と『エアリアル』を交互に行う空中散歩を使用して、少しずつ前進む。地獄鳥に見つからないことを祈りながら。
石が消費されていき、残りわずかになる。
「ガァァァァ!」
更に地獄鳥が俺を見つけた。こちらに向かってくる。俺は向こう岸までの距離を目算で測る。
今、谷のちょうど半分に来たところだ。【フィジカルリフレクション】の吹き飛ばしと今までの空中散歩でやっと半分だった。やはり【フィジカルリフレクション】があっても、空中散歩で向こう岸に渡るのは不可能だった。
そして、俺の最後の石がなくなった。もう俺に空中に止まる方法はない。
地獄鳥は俺を射程圏内に捕らえた。攻撃モーションが見える。
俺は身体に重力を感じ、谷底へと落下を始めた。遠くでユキの悲鳴が聞こえた。
俺は手を突き出して、魔法を発動する。手からまばゆい光が発生する。その光線は真っ直ぐに向かっていく。
地獄鳥ではなく、別の方角へ。
急に空中に黒い穴が生じた。俺はその中に吸い込まれる。地獄鳥の鉤爪が迫っていたが、すぐに視界から消えた。
そして、俺はオバケ大木の目の前にいた。
無事に谷を渡り終えることができた。
オバケ大木はスキル『滅多撃ち』のモーションに入っている。
今はポチと距離が離れすぎている。『ワンモアチャンス』の発動はない。更に『滅多撃ち』は範囲攻撃であり、ポーションを頭上に投げても破壊されるので、お手玉エスケープを使えない。
一撃喰らえば終わりの攻撃が雨のようにこの後降ってくる。
俺はジャンプと同時に振り下ろされる太い枝に集中した。英雄として、体内時計は正確な自負がある。
俺はタイミングを見計らって、スキルを発動した。
『流水の構え』ゲンリュウも使用できるカウンター技だ。あまりにタイミングがシビアなためほとんど成功しない。しかし、それは一般人だからだ。英雄ならピンポイントでそのシビアなタイミングにスキルを合わせられる。
枝が俺をおしつぶした。入った。
完璧なタイミングでインパクトの瞬間にカウンター発動フレームを当てられた。身体が勝手に動き、攻撃モーションへと移行する。同時に俺の身体は後ろに吹き飛ばされていく。
カウンターの攻撃が空振る。そんな俺に容赦なく次々に枝が襲う。
『滅多打ち』が終わり、俺は無傷でオバケ大木から距離を取った場所にいた。
これが通称『流水エスケープ』という技だ。
LOLでの『流水の構え』は回避用のスキルとして定着していた。このスキル、カウンターが成功するとスキル終了まで無敵時間があるのだ。カウンターが成功してもダメージを受けてしまえば、そのまま死んでしまうので、このような仕様になっているのだろう。
そもそも攻撃用として『水流の構え』を使う価値がない。ダメージ補正もあまりないから、普通に攻撃した方が早い。ただカッコいいだけだ。
無敵時間はあまり長くない。そのため、連打系の技では無敵時間が終わった後、攻撃をもらう場合がほとんどだ。
しかし、空中に浮いた状態でカウンターを成功させると、無敵時間の間、吹き飛ばされることができる。無敵時間中、連撃をもらえばもらうほど、吹き飛ばされて範囲内から逃げることができるのだ。
だから、俺はジャンプをした空中でカウンターを成功させた。簡単に言っているが、実際はかなりタイミングが難しい。俺も完璧に使いこなせるまで10時間ほど練習したことがある。
俺はオバケ大木を見据えた。こいつのおかげで俺は死の谷を越えることができた。
オバケ大木は初見殺しである。地面に根が張っていて動けないので、プレイヤーは攻撃が届かない遠距離から攻撃をしようと誰もが考える。
しかし、これが罠であり、オバケ大木のリーチより外側からの攻撃を受けると、【イビルゲート】という闇属性の魔法を使う。これにより、強制的にオバケ大木の目の前に移動させられる魔法だ。
同時に【滅多打ち】をセットで放ってくる。このコンボは強力で、水流エスケープを会得していなければ、間違いなく殺される。
今回はその性質を利用した。俺の最も射程が長い攻撃は【セイントレイ】だ。全ての攻撃の射程は頭に入っているし、目算で距離を測れる。
谷を半分と少し渡れれば、【セイントレイ】は向こう岸のオバケ大木に届く。だから、俺はそこまで到達すれば良かった。
ゲームでは透明な壁があって、この方法は出来なかったが、現実になった今ならできると確信していた。
フランバルト大樹海で本来は降りることが出来ない枝の下に移動できたからだ。シリュウやリンは透明な壁に阻まれたが、俺はそれを通ることが出来た。
あとは簡単なお仕事だ。
俺は手をクロスさせ、右手に斬鉄剣、左手に妖刀村正の柄を握る。
オバケ大木を切り倒せば、谷に橋がかかり、仲間達もこちらへ渡ることができる。
ここからは裏技などない。純粋な強さでオバケ大木を倒す。俺は300レベルを超え、ソードマスターにもなっている。武器も現状考え得る最高の業物だ。
俺はもう十分に強い。
地面を蹴り、オバケ大木に向かって疾走した。