悪夢
「よし、じゃあ『ブレイブ』をかけるぞ」
エクストラマナポーションでMPを全回復させたアランが両手を俺に向ける。俺は慌てて止めた。
「いやいや、何してるの? 俺にかけないでよ」
どうもアランは何か勘違いをしているらしい。『ブレイブ』の本来の使い方を張本人が分かっていない。
俺は仕方なくアランに『ブレイブ』の正しい使い方を説明する。アランは俺の説明を口を開けてポカンと聞いていた。
「はい、じゃあ、よろしく」
一通り説明を終え、アランは若干腑に落ちないまま、言われた通りに動き出す。
部屋の中に1人で入り、デスラビットと相対する。デスラビットは可愛らしくアランを見つめている。アランは打ち合わせ通り、『ブレイブ』を使用する。
もちろんデスラビットに向けて。
金色の光がアランの身体から立ち上る。俺はそれを確認して、小走りでデスラビットに接近する。
本来であれば、デスラビットが行動を開始する距離まで行き、デスラビットが動かないことを確認した。
『ブレイブ』はその無駄に長く豪華なエフェクトにより、対象者は30秒間移動が出来なくなる。だから、デスラビットのような素早さが高く、攻撃を当てるのに苦労する敵に『ブレイブ』は非常に有効だ。
もちろん、5秒間のステータス底上げはされてしまうが、それはスキルが完了してからだ。30秒以内に倒せる見込みがあれば、デメリットはない。
俺は『ドッペル』を使用して分身し、『剛殺斬』を発動する。本来であれば、素早さが異常に高いデスラビットにため技なんて通用しない。しかし、今は十分に時間をかけることができる。
俺は溜めが完了し、刀を振り下ろす。轟音と共にデスラビットの身体は青い粒子になって消えていった。
一気にダイアログが流れ、レベルが3もアップする。さすがアルデバラン迷宮だ。雑魚敵でも経験値がかなり高い。
俺は釈然としていないアランにエクストラマナポーションを投げて渡す。最大MPを100%使用するから、毎回全回復してもらう必要がある。
ただこの方法はデスラビットが単体で現れないと通用しない。『ブレイブ』の対象は1体であるため、複数相手では他の敵にアランが殺されてしまう。
アルデバラン迷宮の序盤は敵が単体で現れることは既に知っていたので、今だけ通用するテクニックだ。
俺たちはまた通路を慎重に進む。ここに出現するモンスターは全て把握している。今、現状俺が絶対に倒せない敵がいる。それを倒すためにはこのダンジョンである装備を入手しないとならない。
曲がり角に差し掛かり、俺は角から顔を出して様子を伺う。そして、そのモンスターの姿を捉えた。
それは生物とは言えない。正八面体の紫色のクリスタルが宙に浮かんでいる。一見すると、ダンジョンの装飾なのかと思えるが、近づくと動き出して襲いかかってくる。
このダンジョンで最も強いと言っていい。まともに倒そうとすると300レベルあっても一体につき2時間以上かかる。
ダメージを与えること自体が困難なのだ。まず物理攻撃無効のスキルを持っている。更に1つ以外の属性魔法以外吸収もある。
つまり物理ではダメージが与えられず、魔法ではたった1つの属性だけしかダメージが通らない。それ以外は逆に回復をさせてしまう。
その1つの弱点属性が何か分からず、固体によって違う。更に弱点属性で攻撃を受けると、『シフトチェンジ』というスキルを使い、弱点属性を変更してくる。どの属性になったかは、攻撃するまで分からない。
弱点属性による攻撃を受けるまで『シフトチェンジ』はしない。つまり、もしこちらが扱えない属性が弱点だった場合、100%倒すことが出来なくなる。
そのため、本来の倒し方は全属性魔法を揃える必要がある。魔法使いパーティで固めるか、唯一全属性が扱えるアリアテーゼを連れて行くか、光属性だけ使えないソラリスと光属性を使えるキャラクターを連れて行くかだ。
順番にいろいろな属性の魔法を当て、弱点を探り、分かったら高火力のその属性で『シフトチェンジ』するまで攻撃する。弱点属性が変わったら、出来る限り弱い魔法で吸収による回復量を少なくしながら、次の弱点属性を探す。これを繰り返すしかない。
弱点属性を探している間にも、吸収により敵のHPが回復していくのが厳しい。ソラリスなどは魔法攻撃力が高すぎるので、初級魔法で攻撃しても中々弱点属性が当たらなければ呆気なく全回復してしまう。
このモンスターが恐ろしいのはそれだけじゃない。『ダメージ分回復』という厄介なスキルを持っている。これは敵が攻撃でダメージを与えた分、HPが回復していく。
攻撃力は異常に高く、基本的に盾役の高レベルキャラでないと一撃死する。一度でも攻撃をもらえば、HPがほぼ全回復されてしまう。せっかく弱点属性でコツコツ削っても、たった一回攻撃をくらえばリセットだ。
だから、一撃ももらわずに、先ほどの弱点魔法探しをしていかないとならない。その難易度は想像を絶している。
あの八面体の身体を縦横無尽に変形させ、あらゆるレパートリーで攻撃してくる。剣のようになって切りつけてきたり、散弾銃のように散らばってきたり、無数の小剣になって竜巻のように切り裂いてきたり、斧になって地面に衝撃波を放ったり、ムチになってしなりながら打ち付けてきたりする。
最大4つに分裂して、上記のような豊富な攻撃パターンをバラバラに行ってくる。それを全て回避しなくてはならない。
間違いなく味方NPCの回避能力では回避不可能。だから、プレイヤーが最前でヘイトを稼ぎながら、その猛攻を全回避して、魔法使いキャラに弱点属性を探らせて行くことになる。
このモンスターを作ったスタッフは、もはや倒させる気がない。プレイヤーをいかに苦しめるしか考えていないのだろう。
実は楽に倒す方法もいくつかある。一番手っ取り早いのは、ソラリスが遠くから精霊魔法をぶっ放せば良い。精霊魔法は無効が無効という矛盾した性質がある。これは吸収も無効になるので、一撃で倒せる。
雑魚敵一匹倒すのに、精霊魔法が必要なんてゲームバランスがおかしいとしか思えないが。
俺はその通路の奥の部屋を見つめる。あの部屋に行けば、目当てのアイテムが手に入る。しかし、それにはこの通路を突破しないとならない。
いくら英雄の回避術があっても緊張する。今までで戦った中で一番回避が困難な敵だ。
俺はその宙に浮かぶ正八面体を見つめた。ゲーム時代を思い出す。何度こいつに殺されたか分からない。
回避こそが英雄の本領だ。俺なら必ず全て避けられる。一撃死は確定している。ポチの『ワンモアチャンス』で一度だけ死ぬことはできるが、それを当てにしてはならない。そんな気持ちでは避けきれない。
俺は恐怖を受け止めながら、最大の脅威に向かった。
アルデバラン迷宮で最も倒すのが困難な敵。そして、このLOLで2番目に回避が難しい敵。ナイトメアに向かって、俺は走り出した。
アランには事前に打ち合わせを行い、俺が指示を出すまで隠れていてもらう。『ブレイブ』を使うわけにはいかない。確かに30秒の足止めが出来れば、奥の部屋に行くことは可能だ。しかし、その後の5秒間が生き残れない。
ただでさえ回避が困難なナイトメアの攻撃を、素早さ2倍にされたら間違いなく避けきれない。そんなリスクは負えない。
範囲に入った。ナイトメアが急速に身体を変形させていく。槍のような形状になり、凄まじい速さで向かってきた。
俺はワンステップで軌道から身体を逸らす。俺の真横を通過していた槍は一瞬で2つのチャクラムになり、軌道を変えて曲線を辿って俺に向かう。
前に進みながら、身体を思い切り倒して地面に手を着く。後頭部のスレスレを1つのチャクラムが通過していく。
同時に身体を跳ね上げ、側転のように地面についた手を軸に回転する。その瞬間、俺の胴体があった場所にもう一つのチャクラムが突き刺さった。
素早さの数値が本当にギリギリだ。もう少し素早さが高ければ余裕もあるが、今は少しでも間違えれば死ぬ。
ナイトメアは10本のナイフに変わり、そのそれぞれが不規則に回転しながら俺に向かってくる。
俺は全速力で地面を蹴って走る。それでもナイフの方が速い。俺は飛び交うナイフを先読みに近い体捌きで
全て回避していく。
ナイトメアが2つに分身した。1つは大剣に変わり、もう一つはモーニングスターに変わる。同時に襲ってくる。
大剣の振りをバックステップで回避した瞬間、大剣がぶれて更に分身する。3つ目はムチになり、不規則な動きで俺を狙う。
ムチが一番回避しづらい。軌道にランダム要素が多く、常に視界に入れていないと避けられない。あとのモーニングスターと大剣は最悪見なくても未来予測と音で回避できる。
次の部屋に入った瞬間、もう一匹の敵がいた。巨大な黒い甲冑だ。それは俺を視認し、剣と盾を手に襲いかかってくる。
これも計算済みだ。ここにいるのが、デスラビットなら詰みが確定するが、俺はここにブラッドアーマーがいることを覚えていた。
ブラッドアーマーも攻撃を仕掛けてくるが、もはや俺の敵じゃない。ナイトメアに比べれば回避は容易い。そうは言ってもナイトメアの攻撃を回避しながらだから、難易度は跳ね上がっている。