魔王城での出会い
____________捕らわれの少女____________
身体を動かす。鮮明にイメージして、あの人の動きをトレースする。
私はあの時のレンの動きを忘れられなかった。邪龍と戦った時、初めは私と同じような動きだったから、私でも出来ると自信を持っていた。
だけど、後半、私が脱落した後、レンの動きはどこまでも洗練されていた。体力的に辛くなるはず、それにも関わらず、私には真似が出来ない次元での回避だった。
見惚れてしまった。芸術的にも思えた。踊るように滑らかで、時に激しく、無駄が一切ない、まるでどこに攻撃が来るかを決められている演舞のように、レンの回避術は美しかった。
だから、私は嫉妬した。近づいたと思っていた存在は、まだ遥か遠くにいた。
私は動きを止める。汗が額から滴った。今回も私は足を引っ張っるだけだった。
朝のランニングをしていた時、その男は現れた。魔王軍幹部プロメテウス。レンから話を聞いていた私はすぐに逃げ出した。戦って勝てる相手ではない。
だけど、逃げることさえ出来なかった。私は呆気なく捕らえられた。私を人質にプロメテウスはレンに無理難題を押し付けているのだろう。
並び立つはずだった。けれど、現実は私がレンの足を引っ張っている。
これではあの頃から何も変わっていない。あの時、私は強くなると誓ったはずなのに。
私はもう一度、イメージトレーニングを開始する。架空の邪龍を作り出し、あの時のレンの動きを真似る。
武器も取り上げられ、私に出来ることはこれくらいしかない。
待遇は悪くなかった。宮殿のような豪華な部屋に天蓋付きのベッドがある。ここが魔王城なのだろう。
食事も美味しく、ここを出れない以外に不自由はない。だからこそ、今はトレーニングをしたかった。弱い自分を少しだけでも変えたかった。
「おいおい、女、何を変な踊りをしてんだ?」
ドアが開き、大柄な男が現れる。金髪の髪をツンツンとがらせ、人を威嚇するようなきつい目つきをした男だ。
頰から首にかけて、トカゲような鱗に覆われている。革製のファーのついた上着の前は開け放たれ、鍛え上げられた腹筋が見えていた。悪趣味な金色のネックレスがジャラジャラと音を立てている。
私は動きを止めて警戒に入る。
「あなたは誰?」
男は自慢げに腕を広げた。
「俺様は魔王軍幹部、ドラクロワ様だ!」
その言葉を聞いて、私は身構える。しかし、あのウォルフガングやプロメテウスと対峙した時の、全身が震えるほど強者の威圧を感じなかった。
「嘘はいけないですよ、ドラクロワ様」
大柄なドラクロワの後ろに隠れていて気づかなかったが、小人のような男がいた。ニット帽を深く被り、辛うじて目を出している。
浅黒い肌をした小さな男だ。歳が判断しにくい外見をしている。鼻が異常に高いのが不気味だった。
「私はぺぺと申します、ドラクロワ様の部下です」
ぺぺと名乗った男は丁寧にお辞儀する。そして、もう一度ドラクロワに声をかけた。
「嘘はいけません、ドラクロワ様は魔王軍幹部ではありません」
ドラクロワは怒りでワナワナと震えている。
「うるせぇ、俺は次期幹部候補だ! 俺は強い!」
「お言葉ですが、この前、機嫌が悪いプロメテウス様に喧嘩をふっかけてボコボコにされていたように思えたのですが」
「あれは中々良い試合だったな」
「試合というか一撃もプロメテウス様に入れてないですよね、一方的にボコられていて、死んでないのが不思議なくらいでした」
「まあな、俺は防御力が高いからな」
「いや、別に褒めてないのですが」
2人の軽快な会話を聞いていると、少し拍子抜けしてくる。
「まあとにかくだ、俺はプロメテウスの野郎が嫌いだ、あの野郎ウォルフガングの旦那が死んだって抜かしやがった、旦那を殺せる存在がこの世にいるはずがねぇ」
ドラクロワが近づいてくる。
「だから、俺はプロメテウスが嫌がることをしたい、たとえば、大切な人質を殺すとかな」
一気に空気が変わる。ドラクロワの身体が急激に動く。
「……!?」
私は辛うじて、放たれた拳をかわした。速い。少なくともシャドウアサシンより遥かに速い。
私はレンの教えを意識する。攻撃は単発ではない。だから、常に次の回避のために体勢を維持しないといけない。
伸ばした拳をそのまま捻り、裏拳が飛んでくる。私はその軌道を予測して、完璧に回避する。
行ける。今まで戦った相手で一番速いが、回避出来る。
そう、慢心した瞬間、私は後悔した。
ドラクロワの蹴りが側頭部に迫っていた。裏拳が避けられる前提で蹴りを既に繰り出していた。
その威力は私の頭を粉砕するのに十分だと、一瞬で知覚できた。
「やめなさい」
寸前でドラクロワの蹴りが止まる。風圧が私の髪を揺らした。
ドラクロワが、足を下ろす。振り向くと、部屋の入り口にまた別の男が立っていた。
「客人に失礼なことはしてはいけないよ、ドラクロワ君」
穏やかな声だった。ドラクロワは舌打ちして、足を下ろした。
「ふん、てめぇに逆らうほど、俺は馬鹿じゃねえ」
憎々しげに男に言い放ち、ドラクロワは部屋を出て行く。
「ぺぺ、行くぞ」
ぺぺは畏まって、現れた男にお辞儀をした後、ドラクロワの後を追った。
「怪我はないですか?」
男はゆっくりと歩み寄ってくる。痩せた初老の男だった。ブラウンのカーディガンをゆったりと羽織っていて、丸メガネをかけていた。長い灰色の髪を丁寧に後ろで縛っていた。優しい表情のおじさんだった。
「あなたは?」
私は警戒を怠らないように身構える。
「安心しなさい、私は君に危害を加えたりしないよ」
声のトーンが独特で、人をリラックスさせるものだった。自然と心が落ち着いていった。
「私はただここに住まわせてもらっている居候だ、名乗るほどの者じゃない」
そう言った後、少し申し訳なさそうに続けた。
「本当は助けてあげたいんだが、勝手なことをするとプロメテウス君に怒られてしまうからね」
男はこちらに背中を向けて、ドアの方へと歩き出す。
「良かったら、お茶でも飲まないかい?」
私は頷いて、彼の後について行く。穏やかな人に見えるが警戒は怠らない。もし味方になってくれたら脱出の可能性が上がるという打算もあった。
ただ者じゃないことは分かる。あの気性が荒そうなドラクロワが一声で言うことを聞いた。それに魔王城に住むことが許されていることが並大抵の人物ではない。
不思議だったのは、ウォルフガングやプロメテウスのような肌を刺すような威圧を全く感じないことだ。強者なら自然と発してしまう風格というものが、彼には全くなかった。
私は彼の後に続いてしばらく歩く。歩きながら、彼は優しく私の身を案じてくれた。ドラクロワにはもう何もさせないから安心してほしい、何か欲しいものがあったら用意してあげようと親切に声をかけてくれた。
「ここが私の部屋だよ」
連れていかれた部屋を見て私は思わず、息を飲んだ。そこは広い温室だった。天井から太陽の光が差し込み、緑豊かな庭園が広がっている。色とりどりの美しい花が咲き乱れていた。
「すごい……綺麗」
思わず溢れた言葉に、彼は嬉しそうに笑った。
「ありがとう、ここに住む子達には花の美しさが分かってもらえなくてね、少々寂しかったんだ、ここには1人女性もいるんだが、彼女は魔法の研究で使える植物だけしか興味がなくてね、花を愛でることを知らない」
私はレンガの小径の上を歩き、中央にある白いティーテーブルに座った。
「この温室は私の唯一の趣味なんだよ、植物を育てるのが好きでね、綺麗に花を咲かせてくれると、とても嬉しい」
手際よくティーポットを用意し、私の前にオレンジ色の紅茶を注いだ。爽やかで甘い香りがした。
「ここで採れたハーブを使ったお茶だ、毒なんて入ってないから安心して飲みなさい」
そう告げて、彼は毒がないことを証明するように先に口をつけた。私も口をつける。今まで飲んだ何よりも美味しかった。優しい味だった。
「君の身の安全は私が保証しよう、プロメテウス君はちょっと捻くれてるところがあるけどね、私が説得するよ、あの子はもう少し思いやりを持った方がいい」
紅茶の効果か彼の声が原因か分からないが、私の心はすっと落ち着いていった。だから、今度はこちらから質問する。少しでも情報を得るために。
「プロメテウスは何をしようとしているんですか?」
彼は困ったように眉をひそめた。
「私も知らない、私は誰にも口出しはしないし、内容も聞かない、ただこの庭園を手入れしているだけだ、だけどね、大事なお茶仲間は守れるぐらいの力はある」
そう言って朗らかに笑う。私も釣られて笑ってしまった。
「あなたはなぜこの城に住んでいるの?」
「他に行く宛てもないからね、それに私の子供がここで眠っているんだ、だから、起きるまで近くにいてあげたい」
彼の目に微かな哀愁が滲んだ。
「病気か何か?」
「似たようなものだよ、けれどね、私はこのまま目覚めなければいいと思う時もある、その方があの子は幸せなんじゃないかと思う」
私がどう返したら良いか分からず戸惑っていると、彼は続けた。
「私はね、争いが嫌いなんだ、憎しみは憎しみを生み、その連鎖は終わらない、世界平和なんて絵空事を私はかつて本気で求めていた」
風が吹き込んできて、庭園の葉を揺らした。葉の揺れに合わせて、木漏れ日も震えた。
「けれど、私にはその理想を実現できなかった、それだけの力がなかったんだ、初めから不可能なことだったのかもしれないね」
不可能という言葉が私の心に、すっと染み込んだ。だから、私は言った。この人の理想を叶えたいと思えた。
「紅茶のお礼に、私が頼んであげる」
私は知っている。もし本当に世界平和なんていう絵空事を実現できる人がいるとしたら、あの人しかいない。
あの人なら、きっとありとあらゆる手を駆使して、絶望的な困難を乗り越えて、望んだ未来を手に入れる。
「私は……どんな不可能も超えていく最高の英雄を知っているから」