来訪者
俺はシチューを頬張りながら、ギルバートとリンに詳細を説明した。ギルバートはため息をついて肩を竦めた。
「おいおい、俺は本気でレンの旦那に魔女が乗り移ったと思って、途方にくれてたんだ、勘弁してくれ」
リンは私は気づいてたけど、とイタズラっぽく笑った。
「それでユキ、メアリーの意思はまだあるのか?」
俺はユキに一番気になっていたことを尋ねる。ユキはまだ目に涙を溜めたまま、答えた。
「大丈夫、私が眠れば、彼女の人格と交代できるわ、あえて今まで私が眠ろうとは思わなかったけど……レンの頼みならそうする」
ユキは何故かかなり素直になってくれている気がする。それに若干視線が熱を帯びているようにも思える。
しかし、俺はこんなことで勘違いしない。今までそうゆう勘違いで多くの痛い目に合ってきた。俺はただ彼女を無力化し、名前を付けて、シチューを食べさせただけだ。
こんなんで、女の子が俺に惚れてくれるはずがない。女の子はもっとこう、ロマンティックで非日常的な何かがないと恋に落ちない。俺は漫画とゲームでそれを学んでいる。
俺は鈍感系主人公ではないが、勘違い系主人公でもない。リアリストだ。
「レン、じゃあ、私は少し眠るから、彼女と代わるわ、でも……また出てきてもいいかしら?」
ユキが心配そうに尋ねる。
「もちろん、上手く交代してくれ」
ユキは嬉しそうに笑って、目を閉じた。白い髪がギルバートと同じブロンドに変わっていく。
そして、メアリーは目を開けた。瞳の色も赤から茶色に変わっている。
「パパ!」
ギルバートに飛びつくように抱きついた。ギルバートは優しくメアリーを抱擁する。
「メアリー、本当に良かった、また君を抱きしめられて、本当に嬉しいよ」
ギルバートの瞳から涙が溢れていた。俺はその様子を見て、自分の選択が間違いではなかったと確信した。
ギルバートは名残惜しそうに娘から離れ、そっとメアリーの髪を撫でた。メアリーはくすぐったそうに目を細めた。
「レンの旦那……」
ギルバートは立ち上がった。そして、真剣な目で俺を見たあと、片膝をついた。
「旦那、俺の娘を救うために、ここまでしてくれてありがとう、この恩は一生忘れない、俺は旦那のためにこの身を捧げると誓おう」
いつもの飄々とした雰囲気などまるでなかった。それは紛れものない忠誠だった。
「顔を上げてくれ、仲間を助けるのは当たり前のことだろ、それに俺のために身を捧げるな、メアリーのためにギルバートはこれから生きるんだよ」
そう、彼には守るべき人がいる。俺が欲しいのは部下じゃない。
「ギルバート、これからも俺の旅に同行して欲しい、これは命令じゃない、お願いだ、俺はお前と対等な仲間でいたい」
ギルバートはしばらく俺の目を見て、立ち上がった。
「ああ、俺も旦那の旅に同行したい、これからもよろしく頼む、仲間として」
俺とギルバートは握手を交わして、笑い合った。
そこへメリダが現れる。俺は混乱しているメリダに向け、状況を説明した。もう魔女は魔法が使えないこと、身内を殺し続けていたこの村の慣習はもう終わったことを伝えた。
「わしらは……もう殺さなくてもよいのか」
メリダは憑き物が落ちたように椅子座っていた。責任から解放された彼女はただのどこにでもいる老女に見えた。
俺たちはメリダの家に今夜は泊まることになった。ユキが眠り、雪は止んでいた。俺はこの村で晴れた夜を見たのは初めてだった。
皆が寝静まったあと、俺は外へ出て、高台に登った。まだ少し寒いが、随分と暖かくなった。不可能を超えた興奮が俺の眠気を消していた。
空には無数の星々が煌めいていた。俺はただその星を眺めた。
「眠れないの?」
俺の横にリンが腰掛けた。彼女も起きていて、俺が外に出たのを気づいたのだろう。
「まあな」
リンが俺の横顔を見つめているのが分かった。
「レンは……やっぱりすごいと思う、いつも一番理想的な結末に持っていってる」
改めて言われると恥ずかしく、俺は無言で空を眺め続けた。
「私もレンのおかげで強くなれた、きっとこれからも強くなれる」
「ああ、強くなるよ、リンは」
リンはしばらく無言になった。そして、まるで独り言のように小さな声で呟く。
「多分さ……レンは私が助けを求めたら、あっさり助けてくれる」
「助けるよ、大切な仲間だからな」
「だから……私はレンに助けを求められない」
俺には彼女が何を言いたいのか分かっていた。彼女の固有イベントのことだ。
俺はゲームでリンを使っていなかったので、彼女の固有イベントをクリアしたことはない。だが、どのような内容かは聞いたことがある。
「さっき、レンはギルバートに対等って言ってたよね」
俺は頷く。
「私もね、対等でいたい、いつも助けられてばかりじゃ嫌だから」
そう、リンはそうゆう性格だ。生真面目というのかストイックというのか、彼女はただ助けられるお姫様じゃない。
十分リンには助けられているよ、その言葉は言えなかった。それは彼女が望んでいる言葉じゃない。彼女は自分が足手まといになっていると思っている。
それは事実だ。俺はいつも一番大事な場面では自分の力だけで乗り越えてきた。まだリンは英雄の横に立つには役不足だ。
「私はいつか、レンの横に立つから」
それは俺に向けた言葉ではなく、まるで自分に告げているようだった。
「だから、もう少し待ってて」
少女の誓いはきっと現実になる。空に一筋の流れ星が見えた。俺の目には、いつか2人の英雄として、不可能を越える光景が見えていた。
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翌朝、俺は目を覚まし、階下に降りた。既にメリダが朝食の準備をしていて、メアリーが横で手伝っていた。
ギルバートはコーヒーを淹れている。ポチはまだ床で伸びて寝ていた。
リンの姿はなかった。きっと早朝から走り込みでもしているのだろう。
今更ながら、昨日はもしかして良い雰囲気だったのではないかと思い始めた。星空を見上げる2人、ロマンティックな展開だ。もしかしたら、ついにリンがデレてくれたのかもしれない。
俺は若干テンションを上げて、リンの帰りを待っていた。
「ごはん、できたよ」
メアリーが皆に声をかける。これは私が作ったの、とギルバートに自慢している。
「ねえ、食べる時、ユキちゃんと交代していい?」
「メアリーはユキと自由に交代できるの?」
俺が問いかけると、メアリーは頷いた。話を聞くと、ある程度記憶は共有できるらしい、また2人で心の中で会話が出来るようだ。
どうもメアリーが作った自慢の朝食をユキが食べてみたいと呟いたらしい。
メアリーは目を閉じる。そして、髪の色が雪のように白く染まっていく。
「おはよう、レン、メアリーが絶対美味しいから食べてみてって言うから、出てきたわ」
少し照れながら、言い訳するようにユキは言った。俺は苦笑いしながら、窓の外を見た。
朝食はリンを待ってからにしようと思った。
ちょうどその時、ドアがノックされた。俺は汗を流したリンの姿を想像しながら、ドアに向かった。
そして、ドアを開く。眩しい陽光が溢れ出した。まだ溶けていない雪に陽光はきらきらと照り映える。
朝の光を浴びていたのは、リンではなかった。
俺は動けなかった。体中が筋肉が強張っている。言葉は口を出ることなく、体内で霧散する。
非現実的な光景がそこにあった。
若い男は紺色の軍服を身につけていた。背中側が燕尾服のようになり、膝まで伸びている。腰には軍刀が提げられている。
黒く艶やかな髪はウェーブがかかり、前髪が綺麗に右側に流れていた。
白い肌に理知的で切れ長の目、その目に重なる黒縁のメガネ。
作り物のように整った容姿の青年だった。しかし、顔に浮かべられた笑みは、本心を隠す仮面のように不気味に見えた。
俺は徐々に我を取り戻す。俺は彼をよく知っている。常々思っていた。
どこの乙女ゲームのキャラだと。乙女ゲームに出てきそうな腹黒ドSメガネという言葉がぴったり当てはまる容姿をしており、性格も相応に捻くれている。
「おはようございます、あなたと少し話をしたいのですが、お時間いただけますか?」
俺は頭を急速に回転させる。今、何が最善かを思考し続ける。ここで間違えれば、俺は死ぬ。
「やめろ、ギルバート」
ギルバートが俺の様子を見て、銃を抜こうとした。俺は音だけでそれを察知し、制止する。
無駄だ。ギルバートが攻撃しても無意味、いや、逆効果になる可能性が高い。
今、この場のイニシアチブはこのイケメンメガネホストにある。
それだけの実力差がある。彼がその気になれば、ここにいる全員、あっさり殺される。
「……話を聞こう、賢王」
俺の言葉を聞いて、彼はふっと笑った。
「私のことを知っているとは驚きですね、あえて目立たないようにしてるつもりなんですが」
眼鏡をくいっと右手の中指で押し上げる。切れ長の目から鋭い視線が俺を突き刺した。
どこまで俺は無理ゲーに巻き込まれる運命なのだろうかと自分を呪う。
男は改めて、丁寧な仕草でお辞儀をした。品性を感じさせる仕草だが、俺には気味が悪いとしか思えない。
「名乗り遅れました、私はプロメテウスと申します、以後お見知り置きを」
プロメテウスは妖しい笑みを浮かべていた。