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無理ゲーの世界へ 〜不可能を超える英雄譚〜  作者: 夏樹
第2章 英雄の成長
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私の好きなもの




______________孤独な魔女の独白____________



私という存在は何のためにあるのだろう。



ずっとそう思ってきた。私には名前もなければ、親もいない。自分の歳さえも知らない。



永遠にも思える時間を雪山の古い家で過ごしていた。気がついた時には、既にここで暮していた。私は歳をとらなかった。どれだけの月日が経っても姿は変わらない。



雪が止むことはなかった。植物も動物も生きていけない環境の中、私だけが生きていた。生命のない死んだ白の中に、たった1人だけ。



私の家には本が多くあった。そこで私は誰かが経験した外の世界を知った。この世に雪の降らない世界があることを始めて知った。緑の植物が生えているらしい。私は凍った黒い苔しか見たことがない。



食事という概念も初めて知った。人間は食事をしないと生きていけないらしい。私はどうも歳を取らないだけではなく、飢えというもので死ぬこともないらしい。



もしかしたら、私は自覚がなく当たり前になっていただけで、実はずっと飢えているのかもしれない。



他には魔道書が何冊もあった。私はそれを読み、理解した。膨大な時間があったから、何度も読み込んで、全て頭の中に入れた。



そして、私には魔法の才能があることに気づいた。他の人と比べることが出来ないが、私は氷の魔法を使えるようになった。他の属性は何度頑張っても使えなかった。



私は外の世界に出て行こうと思った。緑の植物というものを見てみたい。食事というものをしてみたい。単純な好奇心だった。



私は山を降り始めた。どこに向かえば良いかも分からない。目的地も分からない。ただ歩いた。



長い時間が経った。ひたすら何もない雪山を歩き続けた。もう元いた家にも帰れない。



きっと人間なら、食事が出来ず、寒さに耐えきれず、死んでしまうのだろう。しかし、なぜかそんな弱い人間が少し羨ましく思えた。



そして、私はようやく人に会うことが出来た。姿形は私と同じだった。多くの目が私を見ていた。そこは小さな村だった。



山の中から姿を見せた私はその村の人に連れられて、暖かい屋内に向かった。



私は彼らの言葉が分からなかった。何を言っているのか分からない。でも、私を暖かく迎えてくれていることは分かった。



壁の穴に炎が燃えていた。あれは部屋を暖かくする設備なのだろう。炎も本で読んだだけだったので、初めて見た。



初めて食べたシチューという料理はとても熱かった。でも美味しかった。美味しいという感覚は初めてで、食べた後、身体が楽になったのも初めてだった。お腹が空くという感覚も分かるようになった。



その家の少年は甲斐甲斐しく私の世話をしてくれた。言葉は通じないが、必死でいろいろ教えてくれた。



その少年と過ごす時間が一番幸せだった。彼の名前も覚えた。イワンという名前らしい。彼は手を握るのが好きだった。私も手を握ると暖かくて嬉しかった。



しかし、幸せは長く続かなかった。



雪が降り止まなかった。農作物は枯れ果て、料理も粗末になっていった。



そして、村人の誰かが私に指をさして、何かを喚いた。言葉は分からなくても、彼が何を言っているのかは予想できた。



この女が来てから雪が止まない。



私はきっとその通りなのだろうと思った。私は人間とは違う。私がいると迷惑をかける。



私はその夜、静かに村を出た。入り口で深く頭を下げた。この村で美味しさを知った。手の温もりを知った。いろいろなことを知った。だから、感謝した。



それから、私はまた雪山を彷徨った。孤独というものを知った。今まで当たり前だったから、何も感じなかったが、孤独はとても寂しいものだった。



雪山を歩き続けて、私は飢えた。何も口にしなければ、それが普通だったのに、私はもう食事を覚えてしまった。



辛かった。ずっと孤独の中で飢え、彷徨い続ける。終わりが見えなかった。死ぬことも出来ない。



ある日、私は炎の明かりを見た。松明の列が近づいてくるのが見えた。私の孤独に光を与えてくれた。



私は無我夢中でその明かりに向けて走った。村のみんなが私を迎えに来てくれたんだと思った。



明かりが近づいたとき、何かが私の胸に当たった。それは一本の矢だった。



無数の矢が私に降り注ぐ。しかし、私の肌は全てを弾き飛ばした。



そんな私を見て、彼らは恐怖しながら何かを喚いていた。村人ではなかった。全員が重そうな武器と鎧を身につけていた。



剣士のような男が一気に私に迫り、剣が首に放たれた。甲高い金属音で私の首は剣を弾いた。



これは何なのだろうか。私は何もしていない。それなのに、彼らは怒り、恐怖し、私に明らかな敵意を向ける。



1人の兵士が私のもとに駆け寄ってきた。兜を脱ぎ、長い髪を見せる。彼の顔は覚えていた。成長したイワンだった。彼が大人になるまでの月日を私は独りで彷徨っていた。



彼は私を庇うように立ち塞がり、声を張り上げていた。言葉を知らなくても、彼が私を守ってくれているのが伝わってきた。



私は初めて涙を知った。頰を涙が伝っていた。彼への愛しさが込み上げた。もう一度彼の手を握りたかった。



私は彼に触れようと、手を伸ばした。



しかし、触れる瞬間、彼の身体は私から離れるように地面に横たわった。



そして、動かずに、冷たい雪の上で静止する。



目の前には剣を振り抜いた男がいた。男は怒り狂い、イワンを見下ろし、既に動かない彼にもう一度剣を突き立てようとした。



無意識だった。私の手の平から放たれた氷柱は男の鎧ごと身体を貫通した。



脆かった。人間というのはこうもあっさり死んでしまうのか、と感じた。



私は目につく人間を片っ端から殺していった。その感情が何なのか理解出来なかった。でも、殺し尽くしたいという欲求だけが膨れ上がっていた。



いつの間にか、また私は死んだ白い世界にいた。私はイワンの亡骸の側で蹲った。彼の手を握ってみた。彼の手はもう暖かくなかった。記憶にある、あの温もりは消えた。



「君が氷雪の魔女か」



背後から声が聞こえた。初めて私でも認識出来た。これは声ではない。まるで頭の中に直接語りかけてくるようだった。



振り向くと、そこには黒いローブを着た男が立っていた。顔はフードの影に隠れていて見えなかった。



「私は世間では大賢者と呼ばれている者だ」



声が頭の中で響く。ぼやけていて若いのか歳を取っているのかも分からない。



「君にはあらゆる攻撃が効かない、君を殺すのは私でも無理だろう、だから」



男は私に手を向けた。魔法陣が広がる。



「君には眠っていてもらう」



嫌だ。もう孤独は嫌だ。誰かに手を握って欲しい。



私の心の声は男に届いているのか分からない。男は続けた。



「眠れ、氷雪の魔女、君はこの世にいてはいけない存在だ」



そこで私の意識は飛ばされた。暗い、何も無い液体が広がる海に、ただ浮かんでいるような感覚だった。



永遠にも思える時間をまた私は過ごした。孤独の海で私は無音の中にたゆたうだけだった。



やがて、私は目を覚ました。見たことのない天井だった。私は別人の女性になっていた。そして、その女性の記憶が一気に私の脳内に飛び込んできた。



私はそこで初めて人間の言葉を話せるようになった。そして、彼女が経験した人生を私も経験できた。



愛する家族に囲まれた女性だった。私もその記憶を追体験し、幸せだった。



しかし、程なくして私はその愛する家族に殺された。



彼女の中に私がいると気づかれたから、殺された。初めて死の痛みを知った。想像を絶する苦痛だった。



そして、何よりこの女性が可哀想だった。この女性の幸せをなぜ誰も望まないのだろう。なぜ彼女を殺すのだろう。家族というものはこんなにも脆いのだろうか。



何度も転生し、殺され続ける内に、私は人間の醜さを知った。人間の愛など信頼に値しないと気づいた。こいつらは自分のために他人を蹴落とす獣と等しい。



だから、私は学習した。何度も殺されながら、気づかれないように振る舞う術を学習した。完全に復活し、こいつらを根絶やしにするために。



そして、念願が叶い、ついに私は今、完全に復活を遂げた。これで人間を殺せると思った。今まで味わってきた苦痛から解放されると思った。



でも1人の英雄と名乗る男が全てを覆した。私は復活したのに、何の力もない少女のままだった。



絶望した。



人間の世界のことは今まで多くの人の記憶を手に入れてきたから分かる。



この後、私は牢獄に繋がれるのだろう。死ぬことが出来ない私は、永遠にそこにいるのだろう。



怖かった。孤独が怖かった。もう1人は嫌だ。



英雄と名乗った男は、軽快な動きで高台を登り、私の元まで来た。私にはもう何の力もない。何の抵抗も出来ない。



「ほら約束だ、まず名前を教えて」



私は彼を見上げた。今更なぜ名前なんて知りたいのだろう。



「名前……ないわ」



私の返答に彼はぶつぶつと何か呟いて悩み始めた。そして、意を決して私に告げた。



「じゃあ俺が付けるよ、俺のネーミングセンスは抜群だからな、君の名前は今日からユキだ」



雪だからユキ、完璧だ、と彼は一人でガッツポーズをしていた。



「ほらユキ、行くぞ、俺は強がってるけど実は寒くて死にそうなんだよ」



彼は私の手を握って、引っ張っていく。何年振りかに手を握った。とても暖かかった。



「私をどうするの?」



聞くのが怖かった。でも聞かずにはいられない。彼は当たり前のように答えた。



「ん?仲間として連れてくよ、だってギルバートの娘だし、それに言っただろ、俺が判断するって、話してみてお前がいい奴なら、俺の仲間にする」



仲間。



その言葉が彼の手から私の手に何かを伝えた。



彼は近くの家に私を連れて入った。



「うう、寒かった、お!シチューがある、誰の家か知らないけど、まあ食べていいでしょ」



そう言って、シチューを皿に二つ分盛り付け、私に差し出す。



「やっぱ寒い時はシチューだよな、なんて言うか、こう、身体の芯まで温まるっていうか」



そう言いながら、美味しそうにシチューを口にする。私も真似をして、スプーンですくって、少し口に含んだ。



初めて食べたあのシチューよりも美味しかった。



頰から何かが流れ出した。あの時から初めて流した涙だった。美味しそうにシチューを食べる彼の姿が涙で滲んだ。



「俺はレンだ、よろしくなユキ」



私はもう耐えきれなかった。ただ声を上げて泣いた。レン、彼の名前はずっと忘れない。



「ちょっと、レン!何で勝手に人の家でシチュー食べてるの?」



「レンの旦那! 俺は付いていけてない、どうなってるのか教えてくれ」



「ワン!」



ドアが開き、少女と男と犬が家に飛び込んでくる。



「まあ取り敢えず一件落着ってことだ、シチューでも食べて話そう」



「いや、人の家のもの勝手に食べて……まあ、今日はいいか、私も寒くて我慢できないし」



「俺はとにかく詳細を知りたいんだが」



テーブルに2人が腰掛け、犬も私の横でお座りする。



「皆、こちらメアリーでユキだ、今日から仲間にする」



また仲間という言葉が聞こえた。私は皆を見渡す。彼らの視線はとても暖かかった。



私には好きなものができた。





シチュー。





手を繋ぐこと。





レン。





そして、仲間。








私はもう孤独(ひとり)じゃない。






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