正しい選択
俺は準備が全て完了したと思っていた。しかし、そこに大きな盲点があったことを俺は身を持って実感した。
ガリア山脈を完全に越え、ナルベス村に向かうにつれ、雪が舞い降るようになっていた。気温は一気に低くなっていく。
そう、防寒の準備を完全に忘れていた。ゲームでは雪の降る中でも寒さを感じることがなかった。よく考えたら雪が降る中でコートも着ていないなんて、耐えられるはずがない。
俺は木の枝に魔法で火をつけ、ガクガク震えながら先に進んだ。リンもかなり寒そうに震えている。
ポチはむしろ雪が嬉しいようで、楽しそうに飛び跳ねていた。
「おいおい、どうなってるんだ? この辺りは雪なんて滅多に降らない気候なんだが」
ギルバートはそう呟きながら、一番先頭を進む。彼は唯一、コートを元から来ているので、まだ寒さに強いのだろう。
俺たちは凍えながらも、やっとナルベス村に到着した。雪が深く積もった山間の村に、暖かい光が窓から漏れている。
俺の記憶が嫌悪感と共にフラッシュバックする。この村の光景が俺は嫌いだ。まだ何もないはずだが、そこら中に死体が転がっているように幻視してしまう。
俺は出来る限り村の様子を見ないようにし一刻も早く、足早にメリダの家を目指した。寒さで手足の感覚がなく、早く暖が取りたかったのも理由だ。
ノックをするとメリダが現れ、ゲームと同じように暖かい飲み物を出して、迎え入れてくれる。
俺は遠慮なく、それを飲み干し、暖炉の前で悴んだ手を温めた。
「実はな、この雪はもう一週間も降り続いておる」
暖炉の火を見つめながら、俺は集中力を高めた。このレールには乗らない。用意されたレールの先には絶望しか存在しない。
「何が原因だ? ここは本来雪が降らない土地だ、さすがにおかしいだろう」
「ああ、そうじゃ、理由は分かっておる、お主は聞いたことがあるか? 氷雪の魔女の話を」
イベント通りの会話が始まる。だから、俺は行動に出た。
「すみません! トイレ貸して下さい」
真剣な雰囲気をぶち壊す俺に、メリダは唖然としながらも、親切に場所を教えてくれる。
俺はお礼を述べて、トイレの方へと走り出す。そして、勝手口から再び、真冬の外へ飛び出した。
そのまま、空中散歩のテクニックを使い、メリダの家の屋根に登る。天窓から中に侵入し、目当ての物を手に入れる。既にどこにあるかは把握していた。
もう一度、意を決し外に飛び出す。落下ダメージをなくすために『エアリアル』を発動して着地すると、俺は歯をガタガタさせながら、雪道を移動した。向かう先はメアリーが捕らえられている裏山の牢屋だ。
移動スキルを駆使しながら、滑る斜面を駆け上がる。誰にも見つからないように人が通らないような道なき道を最短距離で突き進む。
そして、俺はメアリーの下へとやってきた。
メアリーは俺を見て、警戒心を浮かべ表情を曇らせる。それは当然の反応だろう。魔女に疑われて牢屋に閉じ込められているのだから。
しかし、それは演技だ。もう既に彼女の中には氷雪の魔女が存在している。俺は安心させるように両腕を上げ、ゆっくりと歩み寄った。
「メアリー、俺は君のパパ、ギルバートの友達だよ、安心してくれ、君を助けにきた」
メアリーはギルバートの名前を聞いて警戒を緩めた。
「パパが来てくれたの?」
嬉しそうに笑顔を見せる。瞳には希望の光が見えた。
「ああ、そうギルバートももうすぐ来るよ」
俺の目にはやはりただの少女にしか見えない。これが氷雪の魔女の演技だとは思えなかった。
もしここで彼女を問い詰めたとしても、氷雪の魔女は絶対にボロを出さないだろう。
俺は懐から小さな木箱を取り出した。それを鉄格子の隙間からメアリーに手渡す。
「これは……」
「ギルバートがメアリーのお母さんに送った大切な腕輪だよ、着けてみたら?」
結局、氷雪の腕輪はゲームでは彼女に手渡らずに終わった。
「変わった腕輪……」
メアリーは嬉しそうにその腕輪を右手にはめた。メアリーの心は残っているのだろうか。今、嬉しそうに腕輪を見つめているのは氷雪の魔女の演技なのだろうか。俺にはやはり判断できなかった。
メアリー暗殺エンド。
俺の頭の中に、その言葉が反響する。
もしゲームでの魔女復活エンドになれば、俺は死ぬ。ギルバートも死ぬ。みんな死ぬ。
現実世界で彼女が復活すれば、この世界は氷河期になるだろう。世界が滅ぶと言ってもいい。
世界を救う一番簡単で楽な方法は、俺が今ここで彼女を殺すことだ。
彼女を殺し、ギルバートにバレないように死体を隠す。死体がなければ、ギルバートはどこかでまだメアリーが生きているという希望を抱き続けるだろう。
この牢屋の鍵は、先程メリダの家から盗んできた。計画は実行出来る。
それが最も安全で、合理的な方法。世界とギルバートを救える方法。
幸せな顔で腕輪を見つめるメアリー。その笑顔が俺に迷いを与える。ダイダロスが何故かいつもより重量を大きくした。
俺は決めた。元より選択は一つしかない。ハッピーエンドを迎えるために、見つけた栄光への道を進むしかない。
俺は何を優先すべきか知っている。自分の英雄としての力を信じている。
俺は牢の鍵を開けた。
メアリーが俺を見上げた。
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メリダの家のドアを強く開けた。中にいたメリダ、ギルバート、リン、ポチの視線が一斉にこちらを向く。
「おい、レンの旦那、一体どこに」
ギルバートの言葉を遮り、言った。
「この男は私を復活させるためにここに来たの」
音が消える。言葉を咀嚼するのに、誰もが時間を有した。
「おい……旦那、何を変な冗談を言ってるんだ?」
ギルバートは混乱して問いかける。残念そうに首を振った。
「だから、この男は初めから氷雪の魔女を復活させるつもりでお前の旅に同行したの、理解できる?」
そして、メリダへと視線を向ける。
「久しぶりね、メリダ、前回はあの女、名前は……確かミランダだったかしら、あの時、殺されて復活できなかったこと、まだ覚えているわ」
メリダの驚愕を含み、視線が険しくなる。ギルバートが妻の名前を聞いて、取り乱す。
「おい、どうゆうことだ! 何でここであいつの名前が出る!」
無視して、メリダに告げる。
「今回は必ず復活できる、この男がここに来てくれたから依り代を移動したの、あの少女の中にいたときは、またあんたに見抜かれて気が気じゃなかったわ」
「やはり、メアリーの中におったのか、しかし、依り代の移動など聞いたこともない」
「この男の体が特別だっただけよ、こいつは私を取り込むためにこの場所にきたの、力に溺れた愚かな男よ、もう隠れる必要もなくなったの、この男は強い、あなた達が束になっても必ず生き残れる」
「メアリーは無事なのか、どこにいる!?」
「ええ、彼女なら村の外へ逃がしたわよ、今まで彼女の中にいたから愛着が湧いてね」
生きていると聞き、ギルバートが僅かに安堵する。
大きな声で、村全体に聞こえるように最後の仕上げをする。
「さあ、氷雪の魔女はここよ、ゲームをしましょう、私が復活する前に殺してごらんなさい」
賽は投げられた。