星空の下で
「今日はこの辺で野営するか」
日が暮れてきた。ゲームでは夜になろうと肉体的疲労はなかったので、気にせず移動していたが、さすがに現実ではそうもいかない。
俺たちは比較的平地になっている部分で腰を下ろした。ギルバートは手慣れた動作で乾いた干草や薪を地面に並べる。
「嬢ちゃん、火をもらえるか?」
この世界で焚き火をするのは意外に簡単だ。火種は魔法を使えば良い。
リンの【ファイアーボール】で焚き火は完成する。ギルバートが袋に入った粉を炎に降りかかる。チリチリと音がして独特の匂いが立ち込めた。
「魔物避けだ、まあそれでも来るときは来るがな」
俺が不思議そうに見ていると、ギルバートが答えた。ゲームでは野営なんてシステムはなかった。そもそもする必要もない。夜通し走り続ければよいので、フィールドで休む経験はなかった。
テキパキと慣れた仕草でキャンプの設営をしていくギルバート。そのアウトドアに精通にした姿が様になっている。俺が女だったら間違いなく惚れている。
設営が終わるころには、辺りは闇に包まれていた。焚き火を囲んで座り、城下町で買い込んできた保存食を食べた。
塩辛い干し肉だったが、外で仲間たちと食べると何故か美味しく感じられた。
ポチはお腹いっぱいになって、リンの膝に頭を乗せて眠り始めた。俺たち3人は今日の戦闘などに関して意見を交わす。
ギルバートも既に今日の戦闘だけでレベルが2上がっている。明日以降、出現する敵も含めて情報共有した。
話がひと段落して会話が途切れたころ、ギルバートが独り言のように言った。
「理由を教えてくれないか?」
目が俺に向いている。俺は何を問われているのか理解した。
俺がギルバートに同行しようとした理由だろう。一度仲間にするのを断っている。急に掌を返したのだから、その疑問は最もだ。
リンはポチに膝枕をしながら、頭を撫でていた。彼女もそのことが気になっていたようで、目をこちらに向けた。リンはいつも多くを聞かない。しかし、気にはなっているのだろう。
俺は返答に困った。この世界がゲームであることを隠しながら、理論立てて説明できる自信がない。
「俺は……俺が守れるものを守りたい」
答えになっていないだろう。だが、すっと口に出た言葉だった。このままギルバートを行かせてしまっては、彼の人生は終わる。
ジャスパーの対策をするのも、この世界を守るためだ。シリュウと戦ったのも、霧の一族を守るため。俺は自分の手で守れるものは、全て守りたい。
不可能を越えるという快感の虜で、俺が狂っているのは認める。それでも俺はきっと大切なものを守りたいのだろう。
英雄。LOLの世界に人生をかけてきたゲーマーに与えられる称号。俺は本当の意味で英雄になりたいのかもしれない。
自分の命すら、気を抜けばあっさりと消えるこの高難度の世界で、他人を救うなんて酔狂だと思う。俺のように絶望すら愛せる壊れた人間ではないと、果たせない。
焚き火から幻想的に火の粉が空気中を舞う。
「レンは……私たちとは別のものが見えてるから」
リンが俺の言葉を捕捉するように言った。リンが自分の気持ちを話してくれたのは初めてだった。今思えば、俺がなぜこの世界のことをここまで知ってるのか疑問を持っていただろう。
「レンは多分、理由を聞かれたくないと思っているから聞かないけど、信頼はできる」
リンの評価が意外に高い。俺は思わず、胸が高鳴った。リンは言葉を続ける。
「褒めると調子に乗るし、変なダンスは踊るし、虫を見ると外聞を捨てて逃げ出すし、苦労せずに楽するのが好きだし、目がいやらしいし、美人の前だと鼻の下伸ばすレンだけど」
もしかしてモテ期?と期待した俺に容赦ない刃が突き刺さる。俺はそんな風に思われていたなんて。全く心当たりが……ありすぎる。
「けど、いざという時は頼りになる、何か……どんな困難があっても、何だかんだ解決してしまう安心感があるから」
「……」
俺は気恥ずかしくなって、俯いて照れ隠しに肉を齧った。ここまでストレートに褒められるとは思っていなかった。
「そうか、じゃあレンの旦那は俺を助けようとしてくれてるのか、ありがとう、まあ娘に会いに行くだけだから、そんなに危険なことはないと思うんだけどな」
ギルバートはそう言ったが、まるで逆だ。今は言えないが、非常に危険なイベントである。ギルバートは身の上話を始めた。
「俺の娘、メアリーっていう名前なんだが、妻のミランダが亡くなって俺の唯一の家族だ、メアリーは原因不明の病気でな、ずっと眠り続けていた、魔法で何とか延命させているが、目は覚めなかった、俺はメアリーの治療費を稼ぐために、あとは治す方法を探すために、グランダル王国で用心棒として要人や商人の護衛をしている」
病気の娘のために、身体を張って稼ぐ。ギルバートは外見だけではなく、内面も男前過ぎる。
「それが最近急に目が覚めたと手紙が来たんだよ、まさに奇跡だよな、だから早くあいつの顔が見たくてな」
優しく慈愛に満ちた眼差しが焚き火の炎を見つめている。
「良かったね、メアリーちゃん元気になって」
リンが祝福の言葉を述べる。俺も何か言おうとしたが、思い留まった。これから起こることを知っている身として、安易な言葉を投げかけられなかった。
「ああ、ありがとう、これをな、娘に渡したいんだ」
ギルバートは袋から年季の入った木箱を取り出す。中には氷をモチーフにしたのか、変わったデザインだが、美しい腕輪が入っていた。
「昔、俺とミランダが一緒に旅していた時に手に入れた腕輪だ、俺たちは2人とも冒険者でな、同じパーティだった、この腕輪はあいつが欲しがったから渡した、今思うと俺からの初めての贈り物だったかな」
炎の向こうに、今は亡き妻の姿が見えているのだろう。ギルバートの瞳は愛する者を映していた。
「まあ、妻の形見だな、だから俺はメアリーが元気になったら、この腕輪を贈ろうって決めてたんだ」
《氷雪の腕輪》、ギルバートの固有イベントをクリアすると手に入れることができるアイテムだ。つまりイベントをクリアしたら、この腕輪がメアリーの手元に行くことはない。
「早くメアリーの顔が見たいんだ、恥ずかしながら親バカだからな、俺の娘は世界一可愛いと思う」
ギルバートは少し恥ずかしそうに笑う。
「何も恥ずかしくないよ、メアリーちゃんもギルさんに会いたいと思っているはずだから」
リンの両親は既に亡くなっている。彼女の固有のイベントでそのことに触れている。だからこそ、思うことがあるのだろう。
「メアリーが喜ぶといいな」
俺は微かな罪悪感を覚えながら、当たり障りのない言葉を投げた。
「ああ、そうだな、ありがとう」
その後、何気ない会話を続け、それぞれのテントで休むことになった。
交代で見張りを立てることになり、最初は俺の番だった。俺は皆がテントで休むのを確認し、近くにある岩に登った。その上に胡座を組んで座る。見晴らしがよく、敵が近づいてきたら、すぐに気付くだろう。
空には細い三日月が昇っている。細かい星が散らばっていた。都会のように光がないので、星がよく見えた。
俺はその星を眺めながら、思考した。ロマンチックな気分に浸るのは悪くない。しかし、俺にそんな贅沢は許されない。
作戦を練らないと行けない。美しい星明かりが台無しになるような、胸糞の悪いイベントを思い出す。
大丈夫。俺に不可能なんてない。リンもそれを認めてくれていた。何より今回はシリュウやウォルフガングの時とは違う。時間は十分にある。準備は十分に出来る。
俺は集中力を研ぎ澄ませる。周囲の時間の流れが遅くなる。水の底へ、深く沈んでいくような感覚。
そして、俺は回想する。最大の財産であるゲームの記憶を掘り起こす。ギルバート固有イベントをハッピーエンドに変えるために、俺は思考の海に身を投げた。