最悪のシナリオ
酒場では皆幸せそうに笑顔を振りまいている。ポチがお姉さん達に可愛がられていて、とても羨ましい。
リンとポチは俺がお城のパーティーに出ないのを知ると、この酒場で合流することに決めた。
正確にはポチと会話してはいないが、多分同じ気持ちだろう。そもそも、犬が貴族たちが集う王主催のパーティーに行っていいのか分からない。
今頃、断るのが苦手なデュアキンスは言われるがままに肩身の狭い思いをしているのだろう。ラインハルトはこのあたりのことは卒なくこなしそうだ。
宴会の中、鉄火のダインが馴れ馴れしく俺に話しかけてくる。
「いやー、さすがだな、俺は一目見たときから、お前さんは何か違うと思っていたんだ」
ダインは俺の肩を組み、大袈裟に言う。そして、本題を切り出す。
「それで……もし他にこの前のようなマロンちゃんグッズを持っているならぜひほしいんだ、金ならいくらでも払う、同じマロンちゃんを応援する仲間として、ぜひ俺に譲ってくれ」
熱い眼差しで、マッチョな男に攻められる。俺のことを同じマロンちゃんファンだと勘違いしているようだ。
「ダイン、レン殿が迷惑をしているだろう、離れなさい」
そこに割って入ってきた眼鏡をかけた初老の男。知的で白髪の混じった髪をオールバックにしている。身につけている白衣がよく似合う。
目は鋭く、理性的な輝きを放っていた。頰は少しこけ、不健康そうな顔色をしていた。
その名は発明家ヘルマン。王国研究所の所長を務めている。オリジナルアイテム作成のために利用できる施設だ。
そして、ヘルマンの白衣から覗くピンクのシャツにはある文字がプリントされている。
「マロンたん、まじ天使♡」と書かれている。
ヘルマンが俺にぐっと顔を寄せる。
「ダインではなく、私に! 私にマロンちゃんグッズを渡した方が世界のためになる! 私は役に立つガジェットをいくつも持っている、それらと交換しよう!」
目が血走っていって恐怖すら感じる。
「おい、ヘルマン、レンは俺と契約したんだ!」
契約していない。
「黙りなさい、ダイン、レン殿は私の親友だ」
親友じゃない。
ポチはお姉さんに囲まれ、俺はおじさんたちに囲まれる。格差社会に俺は絶望した。
「お二人が一番好きなマロンちゃんの曲は何ですか?」
俺はその場から逃れる為に、そう起爆剤を投下する。予想通り、2人は熱弁を始め、俺の存在を忘れ始める。
「やっぱりデビュー曲のモンパレですね」
「分かる!分かるぞ、モンブランパレードは歴史に残る名曲だ、特にサビの部分が……」
俺は気配を消して、静かにフェードアウトしていく。そして、どのテーブルに行くか迷う。出来ればお姉さんがいるテーブルに行きたいが、あまりにハードルが高すぎる。何を話していいか分からない。いい天気ですねで良いのだろうか。
ほかのテーブルに目を向ける。リンは屈強なオヤジたちとアームレスリング大会を開いていた。とても混じりたいと思わない。
そこで、違うテーブルにいたギルバートと目が合う。ギルバートは全て把握したように頷き、俺を手招きしてくれた。こうゆうところがギルバートの魅力だ。
「レンの旦那、楽しんでるか?」
「ああ、まあね、ギルバートは?」
ふっと人当たりの良い笑みを浮かべる。
「俺はいつだって楽しんでるよ、まあそろそろこの街を離れるから、レンの旦那にはちゃんと挨拶をしたくてな」
俺は少しショックを受けた。ギルバートが自分から城下町を離れるイベントなどなかった。せっかくの気が合う飲み仲間が減ってしまう。
「どこに行くんだ?」
俺の問いかけにギルバートは嬉しそうに答えた。
「娘に会いにな、西のナルベス村に行く」
「え……」
俺は絶句した。今聞こえた言葉が信じられない。
「……ギルバート、もう一回言ってくれないか?」
ギルバートは俺の反応に若干たじろぎながら再び告げる。
「娘に会いにナルベス村に行くんだ」
先程までの陽気な楽しさが消し飛んだ。背中に嫌な汗が滲んでいる。目の前が真っ暗になったと錯覚する。
こんなことはありえない。
俺はギルバートに不審に思われているのを理解していたが、言葉を返せなかった。それよりも思考することを優先した。
大きな誤算だった。ネロへの対策だけではない。俺がすべきことはまだ他にも多くあった。もっと早くその可能性に気づくべきだった。
イベントが自動的に進行している。ゲーム時代には主人公が関与しないと進行しなかったイベントが、現実になった世界では勝手に始まっている。
俺がギルバートを仲間にするのを渋っていた理由は、この娘に会うためにナルベス村に行くイベントを起こさない為だった。
このイベントはプレイヤーからシナリオライターに批難が殺到したほど、性格が悪すぎるものだ。ナルベス村でギルバートを襲う不幸は彼の心を躊躇いなく細切れにする。
このままギルバートをナルベス村に行かせてはいけない。だから、俺は彼が村に行くのを止めないといけない。真実を話すべきだ。
「ギルバート、よく聞いてくれ、実はナルベス村では……」
俺は言葉を飲み込む。違う、これでは駄目だ。ここで真実を彼に教えたところで証拠などどこにもない。なぜ俺がそれを知っているのかも説明できない。大切な娘が絡んでいる。絶対にギルバートは村に行くのをやめない。
なら作戦を変えるしかない。どの道、このイベントを放置すれば世界が滅ぶ。これは比喩ではなく、本当に滅ぶ。
イベントの中には絶対に発生させてはいけないイベントや、発生させた後、放置してはいけないイベントがある。
それらは基本的に主人公がフラグを立てないと発生しない。だから、俺がフラグを立てないように気をつければ問題ないと考えていた。
それが大きな誤算だった。現実になったこの世界では主人公の関与がなくともイベントが進行する。
つまり俺はのんびりと城下町で平穏に暮らしていてはいけない。放置をすれば手遅れになるイベントの数々を率先してクリアしていかないといけない。
既にクリアしなければ甚大な被害を及ぼすイベントがいくつか思いつく。一つは進化生物バクバクだろう。
殺戮兵器アドマイアを仲間にすることができる研究施設から脱走した生物だ。ほかに魔法生物ルンルンと寄生生物ニョロニョロも脱走している。ルンルンは仲間にすることもできるキャラクターだが、バクバクは違う。こいつを放置しておくと手に負えなくなる。
あとはジャスパーの野望を阻止するべきか。考古学者ジャスパーといろいろな遺跡を回るイベントだが、どこかでジャスパーを止めないと、遺跡から手に入れたロストテクノロジーにより多くの人間が死ぬことになる。
他にもいろいろと思いつく。どれも一筋縄ではいかないイベントばかりだ
俺は覚悟を固めた。このLOLの世界で、ただの無理ゲーが目の前に現れただけだ。そんなもの日常と言って差し支えない。
どうも俺はまだ平穏な人生を送ることができないらしい。もっと多くの不可能を超えていかないといけないらしい。ならば英雄として、その運命を甘んじて受けよう。
ギルバートが不審な目で俺を見ている。俺は笑みを浮かべて、口を開く。それは自然と生まれた笑みだった。
「俺も一緒にナルベス村に行かせてほしい」
最悪の脚本を俺が書き換える。