英雄の夢
『グランドゼロ』によって巻き起こった砂埃が晴れる。ウォルフガングだけではない。リンもラインハルトもデュアキンスもネロも皆信じられない物を見たように固まっていた。
抉られた地面の上で俺は悠々と立っていた。頭上から落ちてきた小瓶がそんな俺の肩にぶつかって割れる。
俺はカラフルなボールを右手で掴んだ。効果時間が終わり、ボールは跡形もなく消える。
回避不可、防御不可のはずの『グランドゼロ』を俺は耐えきった。その異常な事態に全員が唖然としている。
俺が持つ奥の手、通称『お手玉エスケープ』が成功した。
そう、俺はスキル、『ジャグリング』を発動したのだ。ジャグリングは一定時間お手玉するだけ。その間、何の行動も取れない。
一見、ゴミスキルだが、実はこのスキルには有用性がある。それは死ぬという行動もスキル発動中は取れないのだ。
ジャグリング中にHPが0になってもお手玉を続ける。そして、スキルが完了した瞬間に死ぬ。逆に言えば、終わらなければ死なない。HPにマイナスの概念はない。このジャグリング中にHPが0になっても、そのあと1でも回復すれば、生きた状態でスキルを終われるのだ。
だから、俺はポーションを真上に、グランドゼロで破壊されない程、高く投げた。
この力加減が難しい。もし低ければグランドゼロに巻き込まれてポーションは消える。高過ぎればポーションが落ちてくる前にジャグリングが終わってしまう。
更に角度がずれてしまえば、自分に当たらない可能性まである。ゲーム時代から何度も練習していたが、とても不安だった。ちなみにゾンビ化状態でもアイテムによる回復は可能だ。
そして、生まれた最大の好機。今、この瞬間、ウォルフガングは驚愕に支配されている。それは明確な隙だった。
俺はその隙を逃さない。
唖然として固まるウォルフガングにスキルを発動する。『金ダライ』。防御力無視でダメージを与える。『ド根性』が発動したということは、今ウォルフガングのHPは1しか残っていない。今ならそれで十分だ。
ウォルフガングはすぐに行動しなかった。それが致命的だ。金ダライはどんな素早さで動いても追尾するので、回避が出来ない。だが、奴の素早さなら落ちてくる前に俺を殺せた。
しかし、ウォルフガングにはまだもう一つ最後の切り札がある。
あとは運に任せるしかない。運が俺に向いてくれれば、これで勝てる。逆を言えば、そうでなければ俺ではもうウォルフガングを倒せなくなる。
金ダライが直撃した。
ウォルフガングはただ黄色い光に包まれただけだった。
それを見て、俺は笑ってしまった。決まりだ。もう俺に彼は倒せない。
やはり強い。運にも守られている。ウォルフガングには『ド根性』と共に『根性』というスキルがある。HPが0になった時、一度だけ30%の確率で耐え抜く。
普通は『根性』がスキル進化して、『ド根性』になるので、2つのスキルを同時に持つことはできない。
しかし、ウォルフガングは2つのスキルを両方とも所有していた。
俺はその30%を引いてしまった。
状況を理解したウォルフガングは勝ち誇った顔をした。もう『金ダライ』は使えない。次に使うまでのクールタイムがある。その時間を待ってはくれない。俺の攻撃は素早さが異常に高いウォルフガングに全て避けられる。
これで勝負は決まった。
「面白かったぞ、小僧! だが、俺の……」
「俺の勝ちだよ、覇王」
俺の宣言にウォルフガングが固まる。そして、彼は今起きたことをやっと理解した。
『根性』が発動した時点で、俺では奴を倒せなくなった。そう俺では勝てない。
そもそも俺が『根性』が発動しなければ勝てるなんていう運任せのギャンブルをするはずがない。たとえ、発動したとしても勝てるように考える。
ウォルフガングはゆっくりと振り返り、足元にいる存在を認めた。
いつのまにか後ろにいたポチが彼の丸太のような足に肉球を可愛らしく押し付けていた。
そう、俺では倒せない。だから、俺以外に倒してもらう。圧倒的な防御力を無きものにする攻撃。
『ワンダフルパンチ』
必ず1のダメージを与えるポチのスキルだ。俺は『根性』が発動する可能性を考え、『グランドゼロ』を溜めている間、フレンドスキルで『ワンダフルパンチ』を使用し、ポチを呼んでいたのだ。
根性が発動せずに金ダライで倒せる可能性もあったが、念の為の布石を更に打っていた。ポチは自分から攻撃を仕掛けるまで敵に認知されない。
つまりウォルフガングの背後から忍び寄ってきても、彼が気づくことはできない。
ウォルフガングは青い光になって消え始める。彼の最後の表情は絶望でも恐怖でもなかった。
「おいおい、こんなところで終わりなのか? まあ、でも、ちょっと今のは楽しかったな……」
そう言って、少年のように笑い、最強の覇王は消えた。
俺はその場に崩れ落ちた。
限界まで酷使した脳が休息を求めていた。風邪でもないのに、高熱が出ていることが自覚できる。緊張が切れて、足に力が入らない。
仲間たちが駆け寄ってくるのが見えた。俺は下を向いて、地面を見つめる。
もう少しこのままいたかった。俺は今、不可能を超えた。アドレナリンが身体中を駆け回っている。その余韻を感じていたかった。
リンが何か言っている。俺はゆっくりと顔を上げた。まるで水中にいるように音がくぐもって聞こえる。何を言っているのか聞き取れない。耳鳴りが邪魔をする。
視界も歪む。光がなぜかとても眩しく感じた。俺はそっと目を閉じた。顔が暖かい温もりに包まれる。
俺の意識はそこで途切れた。
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子供のころの夢を見ていた。
俺は公園で鉄棒を握る少年を近くで眺めていた。目の前にいる彼を、俺はよく知っている。
小さな手が血で汚れていた。少年は気にせずにもう一度、鉄棒に握った。
もう太陽は沈み、辺りは暗くなっている。彼はもう一度鉄棒に身体を引き寄せ、勢いをつけて地面を蹴り上げた。
結果は失敗。硬い地面に尻餅をついた。
「お前、気持ち悪いよ」
何度も逆上がりに挑戦する彼に、クラスメートはそう言った。
何故だろう。彼はただ逆上がりの練習をしているだけなのに。まだ成功していないから、できるまで練習しているだけだ。
この少年は、幼き日の俺だった。
俺は自分が周りと違うことを自覚していた。周りにとっての当たり前が、俺の当たり前と食い違う。それは子供にとっては大きな恐怖だった。
人は違う価値観を簡単には受け入れられない。周囲から浮いた人間を、集団は排斥に動く。
それは本人の罪なのだろうか。価値観を周りに合わせることができない、または周りと同じように偽装することができない人間は、排斥をされて当たり前なのだろうか。
俺は諦めることが出来なかった。だから、周りから人が去っていった。
人間には限界が決まっている。瞬間移動は出来ないし、空も飛べない。だから、人は諦めることで折り合いをつけていく。
だが、不可能と証明されていないものまで、多くの人間は諦めていく。その結果、可能性は大幅に減っていく。
初めから出来ないと思って行動すれば、ほとんどの場合実現しない。そして、人は「ほら.やっぱり出来ない」と口にする。
俺にはそれが許せなかった。一度失敗すれば、今度は改善して挑戦すれば良い。それが失敗すれば、また改善して挑戦する。それを永遠と繰り返して、いつか成功させる。
歴史的な偉人の多くはそう行動してきたのではないか。
俺はLOLの世界が好きだった。現実世界を離れ、LOLの世界へ行く。それは普通に考えれば、ただの妄想で終わる。
しかし、俺はそれを諦められなかった。
そして、不可能を超え、俺は自らの力であの世界にたどり着いた。
目の前の少年が再度鉄棒を握り、助走をつけて地面を蹴った。
今までより、足が高く上がり、最高地点を超え、身体が回転した。
初めて綺麗に逆上がりは成功した。
彼は飛び跳ねながら、大喜びをし、変なダンスを踊り始める。
俺はそんな少年に拍手を送り、祝福の声をかけた。
「おめでとう、これで君は英雄だ」