英雄の本質
覇王ウォルフガング。魔法が一切使えず魔法防御も紙同然だが、攻撃力と防御力は最強の名を欲しいままにする。巨体にも関わらず素早さは異常に高い。
ゲームでは物語のラスダン、魔王城で戦闘になる。レベルを300以上まで仕上げ、ウォルフガング用のスキルと仲間と装備を揃え、それでも勝つのは至難の技だった。
今、戦闘になれば勝ち目など絶対にない。よく魔王軍幹部最強は誰かで盛り上がったが、結局ウォルフガングが最強という結論で終わる。
アリアテーゼも無理ゲーではあるが、魔法特化に対策しまくれば、辛うじて何とかなる。
しかし、ウォルフガングは違う。単純にパラメーターがあまりに高い。特に素早さが高いのが、彼が最強と呼ばれる理由だ。
まずこちらの攻撃は当てられず、敵の攻撃を避けられない。これだけでもう勝てない。攻撃力も極めて高いので、通常攻撃一撃で死ぬ。仮にこちらの攻撃を与えられても、鉄壁の防御力でダメージを与えられない。防御力を越えてダメージを与えられても膨大なHPの一部を削るだけ。
唯一、魔法が効果的なのが救いだ。そのため、ウォルフガング戦には大魔導ソラリスが必須メンバーとなる。ソラリス抜きで討伐した人を俺は見たことがない。
ゲームでも裏技に裏技を重ね、運にも助けられながら何とか勝利した。300回挑戦して、1回勝てるかという具合だろう。
もはや勝利は求めてはならない。まだウォルフガングが何の目的でここに来たのか分からない。会話で戦闘を回避するのが、唯一の生き残る道だ。
「お前、面白い戦いをするな、あいつの言った通り外に出てきて良かったぜ」
腰に手を当てて、ウォルフガングは豪快に笑う。俺にはあいつというのが誰なのか気になった。それを聞こうと口を開いたが、ウォルフガングに先を制された。
「なぁ、俺ともやろうぜ」
目の前が絶望に染まる。ウォルフガングは典型的な脳筋、戦闘狂の性格をしている。俺はゲームでの彼の性格を考え、慎重に言葉を選ぶ。
「魔王軍幹部、覇王ウォルフガングだな、俺と戦ったところで面白いことなんて何もない」
ウォルフガングは意外そうに目を見開く。
「よく俺を知ってるな、あまり魔王城の外に出ないから、顔は知られていないと思うが……、まあいい、先程のトカゲとの戦闘、見事だった、謙遜はいらない、お前となら楽しい戦いが出来る気がする」
邪龍をトカゲ呼ばわりしている。ウォルフガングの強さならその認識なのだろう。
楽しい戦闘なんて出来るはずがない。こちらが反応出来ない攻撃を一撃もらって昇天する、結末は分かりきっている。
「楽しい戦いを望むなら、時間をもらえないか? 俺は邪龍との戦いで消耗している、それに俺には更に強くなるビジョンがある、すぐに強くなって、こちらからお前の首を刈りに言ってやるよ」
出来るだけ強気に出る。ウォルフガングはこうゆう少年漫画的な流れが好きなはず。とにかく今はこの場を切り抜けることだけを考える。
「く、くくははは、面白い提案だ……」
ウォルフガングは豪快に笑い、顔を前に突き出した。
「だが駄目だ」
その瞬間、強烈な殺気を感じた。ピリピリと空気が震えている。俺は達人でもないので、気配なんていうよく分からないものを感じ取ったことはない。しかし、今この瞬間、たしかにそれを知覚した。
俺以外のリンやラインハルト達も、その強烈な気に当てられて身動きが取れていなかった。皆、俺とウォルフガングの会話を聞くことしかできていない。
ウォルフガングは萎縮した俺に続ける。
「その提案が出ることも分かっていた、あいつは俺に言った、必ず戦闘を先延ばしにしようと交渉してくるとな、ただ今戦っても面白い結果になるだろうってな」
俺は余計な口添えをした人物に怒りが湧いた。同時にこの世界で俺のことを知っている者がいるという事実が恐ろしかった。
その人物が何者か聞かなければならない。
「その人は」
「あいつは俺に正体を伏せるように頼んできた、俺は約束を守る男だ、お前にあいつの名は教えない」
先を読まれている。不安因子ではあるが、これ以上ウォルフガングから聞き出すことはできないだろう。
「そいつに騙されてるだけだ、俺は弱い、戦ったところでお前が得るものはない」
こちらの武器は言葉だけだ。何とか説得しなければならない。
同時に頭の片隅にもし戦闘になったらという仮定で、シミュレーションが始まる。
俺の攻撃力は300、ダイダロスを入れても1100だ。ウォルフガングの防御力は確か8000ほど、比較として邪龍の防御力は800なので10倍だ。魔法防御は100ぐらいなので、普通なら魔法で対処する。しかし、俺は高火力な魔法を覚えていない。
最大HPは25万を超える。更に攻撃力は6000以上ある。HP600、防御力200の俺が受け切れるわけがない。
それ以前に素早さは俺が200で、ウォルフガングが2000越え、攻撃は当てられず、俺は反応すら許されず死ぬ。
「悪いがお前が何を言おうが、俺はお前と戦う、あっさり死んだなら、その程度だったというだけだ」
スキルやアイテムを使って、8000の防御力は突破出来る。問題は素早さだ。この差は埋めようがない。疾風の腕輪と【ハイスピードアップ】を使用しても焼け石に水だ。
「なあ……お前、何で笑ってるんだ?」
「えっ……」
ウォルフガングは急に訳の分からないことを言い出した。
俺がこの状況で笑うはずが……。
顔に手を触れさせる。そこで初めて、俺は笑っていることに気がついた。
俺の中で何かが弾けた。
『何か、レン楽しそう』
昨日のリンの言葉が頭に響く。
そうか、俺は楽しかったんだ。
心の何処かで嘘を付いていた。ゲームの世界に入り込んだことで、死ぬことが怖いから無茶はしない。知識を使って、器用に安全に生き残る。
そんな普通の人間を演じようとしていた。
でも俺の本質は違う。倒錯している。鬱屈している。普通の人間なんかじゃない。俺は自分が狂っていることを思い出した。
困難という言葉も生ぬるい、絶望に直面すると俺は生きていると実感する。精神的負荷が強ければ強いほど、それを超えた時のカタルシスが強い。
俺はその脳内麻薬の中毒者なのだろう。運命をねじ伏せ、不可能を超えることが俺に快感をもたらす。
現実世界では、人間関係が上手くいかなかった。それは俺の性格が原因だ。普通の人と違い、諦めるという行動が俺にとっては何より難しかった。
だから、俺はゲームの世界にのめり込んだ。諦めなくて済む世界に。そして、俺はこの最高のゲーム、LOLに出会った。
俺はこの世界を愛している。理不尽で、努力の報われない、絶望が蔓延したこの世界を、心から愛している。
ウォルフガングを見据える。もう笑みを隠す必要もない。不可能を超える英雄。それが俺だ。
「……お前」
ウォルフガングは俺の変化を感じ取ったようだ。無意識に一歩下がっていた。彼は自身の下がった右足を不思議そうに眺めた。なぜ下がったのか理解できない様子だった。
俺の中のストッパーが完全に外れた。思考が一気にクリアになる。今まで靄がかかっていたことに、初めて気がついた。
頭が急速に冷えていく。理論、状況把握、経験、全てが俺の脳内を駆け巡る。
時が止まる。そう思えるほど、俺の集中力が高まっていく。膨大なシミュレーションが行われる。条件を変え、望んだ結果を出す道筋を探す。
最強の覇王を倒すための道筋は存在しない。誰もがそう思う。しかし、俺はその道があると信じて、思考の海に溺れる。
何万回も脳内の俺がウォルフガングに殺される。それでも諦めずに、シミュレーションを続ける。
頭が割れるように痛い。それでも俺の脳は加速していく。
そして、見つけた。
僅かな希望。常人には見ることも叶わぬ塵のような可能性。
暗闇の中、俺は細く輝く一本の栄光への道を見つけ出した。
先程までの口先で乗り切ろうという、命だけは助かろうと必死で考える偽りの俺は死んだ。俺はここで圧倒的強者であるウォルフガングを倒したくて仕方がない。
さあ、無理ゲー攻略を始めよう。