邪龍ダンス
どれくらい時間が経ったのだろうか。俺は永遠に続くと思われる攻防を続けていた。身体は限界が近い。明らかに回避の精度が下がってきている。
ラインハルトも同様だった。俺がカバーしなければ彼は呆気なく死んでしまう。
いっそのことラインハルトをネロの所まで退避させた方がいいのかもしてない。ダメージ量は明らかに減るが、これ以上俺がカバーできる自信がない。
しかし、一番最初に脱落したのはリンだった。
「あ……」
リンの小さな声が聞こえた。俺は回避を続けながら、視界の端にリンを捉える。彼女は選択を間違えた。
してはならないタイミングでバックステップを踏んでいた。その先は落下中のグラビティの範囲。着地した瞬間に逃れても、間違いなく体勢を崩す。
地面に足が付くまで、人間は移動が出来ない。リンは焦りを浮かべて、早く地面に足が着くのを待っていた。そして、着地した瞬間、もう一度脚に力を込め、横に倒れるようにと飛び出した。
グラビティが落下すると同時にその範囲から逃れる。しかし、倒れ込んでいるため、すぐに移動が出来ない。容赦なく紫の炎が直撃する。
俺は自分とラインハルトのことで精一杯で、リンをカバーできない。リンは炎に包まれ、急激にHPを減らす。そして、急に炎が消えた。
リンの身体が赤い光に包まれていた。HPが0になり、一度だけHP1で耐えられる『ド根性』が発動したのだ。
俺は攻撃を避けながら、リンにアイコンタクトを取った。向こうも俺を見ている。俺は唇を動かす。その動きでリンは悟った。
リンの中で一瞬の葛藤が生まれる。俺はラインハルトの腕を掴み、回避させながら勢いよくリンのいる後方へ彼を突き飛ばした。
「き、君! 一体何をするんだ!?」
ラインハルトが俺の突然の行動に声を荒げる。
「後は俺がやる」
一方的に告げる。リンとは事前に約束していた。『ド根性』が発動したら、下がるようにと。それにも関わらず、彼女は悔しさから一瞬、葛藤した。
俺が「下がれ」と唇の動きで伝えたにも関わらず、一時的な感情で計画を変更しようとした。それは許せることではなかった。
必要なのは気合でもなければ、強い思いでもない、仲間意識でもない、計画を遂行する意志だけだ。
だから、俺はラインハルトをリンの方に突き飛ばした。これでリンは自分が何をするべきか理解する。
再度、邪龍に向かおうとするラインハルトの腕をリンが強く掴む。
「何をしている!? 離せ、私は……」
そこでラインハルトは気がついた。リンが涙を流していることに。自身の不甲斐なさ、一時的な感情に任せ判断を迷ったこと、それを俺に指摘されたこと。彼女は唇を噛み締めて、声もなく涙していた。
「……私も……あなたも、もうあの戦いに付いていけない」
ラインハルトは何か言い返そうとしたが、声にならなかった。たしかに何度も回避を補助されていた。自分だけでは間違いなく死んでいる。
俺は2人が前線から消えたことで、不安が消え去り、より深く集中した。精密な機械のように、一瞬先の未来を見る。
攻撃を続けながら、グラビティとダークフレイムと物理攻撃の嵐を完璧に回避し続けた。
また長い時間が経つ。集中状態を持続し続けていることで、自分がハイになっていることが分かった。全てを思い通りにできる全能感が身体を満たす。
「すごい……私とは全然違う」
集中力が高まっていることで、背後のリンの呟きさえも拾えていた。リンもシャドウアサシン級はある。だからこそ、俺の回避技術を見て、その違いが分かるのだろう。
回避術最上級のアバランチ級とそれ以外では大きな壁がある。その壁はかなり高い。
俺が長い時間をかけて身につけた誰にも負けない技術。この世界で生き抜くために必要な力だ。
「来た」
30分ほど継続した時、邪龍が頭を抑えるように両腕を上げた。俺にはやっと終わりが見えた。
HPの残りが僅かになれば発動する癇癪だ。地面を強く蹴り、ネロ達と反対の方向に移動する。
邪龍は獰猛であり悲痛にも感じる叫び声を上げている。俺は所定の位置に着き、邪龍を見据えた。
癇癪は必ずプレイヤーの方に転がりながら、腕や足、尻尾や首などをがむしゃらに振り回して攻撃してくる。
転がるスピードは速く、離れて逃げ延びることはできない。だからラインハルトが巻き添えにならないように反対の位置についた。
緊張が身体に満ちる。大丈夫だと、自分に言い聞かせる。俺は何度も成功させてきた。
邪龍を倒す最後の関門。邪龍ダンスが始まる。
邪龍討伐委員会で最後にぶち当たった壁はこの癇癪だった。回避が出来ないのだ。どう考えても物理的に回避が出来ないように攻撃してくる。もちろん防御も不可能。必ずプレイヤーの方に転がるので、必中だった。
残りHPを計算して発動する際、遠距離に待機するという手も試された。しかし、邪龍はプレイヤーに追いつくまで延々と転がってくるので無意味だった。
空中に退避しても、常に下で転がり続け、終わりが来ない。
そこで俺たち英雄は、一つの結論に達した。針の穴を通すように回避する道を見つけると。
そこからは何万回も死にながらの検証が始まった。地面にセルを仮定し、邪龍の攻撃するタイミングと照らし合わせ、どの時間にどの座標でどの体勢でいれば攻撃が当たらないかを見極めた。
その独特の動きから、邪龍ダンスと呼ばれる。一般人には知識があっても最後まで踊りきることが出来る人は少ない。
俺はリズムを口ずさみ始め、右足でリズムを取る。邪龍が転がりを始める。ダンシングスタートだ。
すぐに魔法【サイクロン】を右手側後方、7メートルの位置に発生させる。
2秒後、斜め後ろ1.2メートルの位置でしゃがみ込む。邪龍の爪が頭上を通過する。
0.6秒後、一歩下がって、その0.5秒後横飛び。先程いた場所に尻尾が打ち付けられる。
0.8秒後、バックステップ2回、時間を置かずジャンプして身を小さくする。足元スレスレに鞭のようにしならせた首が過ぎる。
着地と同時に真後ろに倒れ込む。鼻の上を太い腕が通り過ぎる。
右に転がりながら立ち上がり、膝を曲げる。既に邪龍の膝が俺の頭上にある。ここが一番難しい。
加速する思考の中、迫り来る邪龍の鉄槌を待つ。避けるのが早過ぎれば、次の攻撃は避けきれない。遅すぎれば、一撃食らって死ぬ。
完璧なタイミングでバックステップすれば、攻撃を避けてかつ地面への衝撃波で吹き飛ばされる。この衝撃による吹き飛ばしを利用しなければ生き残れない。
今だ。俺はバックステップする。同時に数ミリの隙間を空けて膝が目前を通る。地面への衝撃波で俺の身体が後ろに吹き飛ばされる。完璧なタイミングだ。
着地した瞬間、もう一度バックステップ。上体を出来るかぎり、後ろに晒す。目の前を邪龍の尾が掠めた。
それと同時にピンポイントでその場所に発動していた【サイクロン】でダメージを受ける。同時にバックステップを入れ、風で吹き飛ばされながら後退する。また目の前に邪龍の牙が掠める。
地面に足がついた瞬間に、今度は逆に前方に突進する。邪龍に向かってハイジャンプ。身体をできる限り地面に水平にする。
邪龍の爪が俺の真下を通る。そして、俺は邪龍の肩にぶつかる。そのままぶつかった場所を支点に身体を回転させ、ねじ込むように邪龍の頭の横を通過する。
抜けた。
転がる邪龍の身体の隙間を抜け、俺は向こう側へと到達した。邪龍ダンスを踊りきった。癇癪は向こう側へ抜けることができれば終了する。
邪龍は疲労により、うずくまった。俺は一気に肉薄した。あとはこのタイミングにHPを削りとれば勝てる。
勝利は目前だった。
突然、隕石のように何かが降ってきて、邪龍が爆ぜた。
身体が先ほどの邪龍の衝撃波とは比べものにならない勢いで、吹き飛ばされる。俺は何が起きたか分からない。
何かが轟音と共に邪龍に追突した。砂煙が巻き上げられ、視界も塞がれる。こんな現象はゲームにはなかった。
混乱する俺は転がりながら地面に落ち、顔を上げた。砂煙が徐々に霧散していく。
シルエットが揺れる砂煙の向こうに見える。輪郭が次第に決まっていく。そして、俺は絶句した。
ありえない。ありえない。ありえない。こんなことはあってはならない。本能が俺を叫ばせた。
「みんな、逃げろ!!」
俺は叫ぶと同時に全力で逃げ始めた。信じられない。意味が分からない。このタイミングで奴が現れるなんてゲームでは絶対ありえない。あってはならない。
「よお、そんなに逃げるなよ」
耳元で声が聞こえた。距離はかなり離れていた。その距離さえ何も意味を成さなかった。全力疾走する俺の真横にそいつはいた。
俺は弾かれたように跳躍し、距離を取って剣を構えた。目前に佇む絶望に向けて。
極限まで鍛えられた鎧のような褐色の筋肉。2.5メートルはある巨体。針金のように硬く短い銀髪。野獣のような獰猛さで笑う男。
物理攻撃キャラ最強。魔王軍幹部、ウォルフガングは笑っていた。