殺意と愛
ハーデスとの会話を終えて俺は部屋を出た。
アスモデウスとエレノアは無事に一つ前の部屋で待っていてくれた。エレノアが俺を見て手を振ってきたので、俺も手を振り返す。
「ハーデスと交渉をしてきた。ストーリーメーカーを倒せば、タナトスに最深層に向かう許可を出してくれる」
「がんばらないとですね! みんなのことも心配ですし」
「ハーデス様……なぜですか。私が奈落ツアーのために、何度稟議を上げても却下されるのに! なぜレンさんは許可されるのでしょう」
アスモデウスが嘆いている。結局一度も許可を得られたことがないようだ。そもそも奈落ツアーの申し込み者がバレンタイン以外、今までいなかったのだろう。
「とにかくすべきことは決まった。ストーリーメーカーや仲間たちはこの層にいるはずだ。探し出そう」
「そうですね! 私も『全知』のクールタイムが回復したら、それで居場所を聞き出せます」
俺たちはそう話しながらハーデスの部屋を出た。
「やはりここにいましたか。先輩」
聞こえた声に場は凍りついた。聞き覚えがある声だった。
俺は後ろを振り返る。俺たちを裏切ったと言われている男、ハルが岩の上に座っていた。手には短剣が握られている。
カロンによる強制移動が運よく近かったのだろう。そして、俺がハーデスに会うと読んでここまで来た。同じ英雄だから俺の行動は予測できるのか。
エレノアの顔が一気に恐怖の色に染まる。彼女は叫んだ。
「逃げて!」
エレノアが咄嗟に炎魔法による弾幕を張り、弾かれたようにハルと反対の方向へと駆け出した。俺も慌ててエレノアを追った。
ハルと戦うこともできるが、エレノアとこのままはぐれるわけにもいかない。
俺はエレノアの後を走りながら、ポケットの中の物を握りしめた。
ーーーーーリンーーーーーー
「へえ、リンちゃんは人間なのね。よくこんなところまで来られたものね。1人で来たの?」
「ええ」
レンのことを気づかれないように私は会話を続けていた。メフィストフェレスがずっと横にいるから、下手に動けない。
モンスターをメフィストフェレスが倒してくれることだけは、ステータスが下がった今はありがたかった。
「大量の兵士を操っていた悪魔、あれは何?」
「ベルフェゴールね。ホントに品がなくて最低の悪魔よ。ハーデス様に比べたら天と地の差があるわ」
「あなたはハーデスの仲間なの?」
「ふふ、面白いこと言うじゃない。ハーデス様はかっこよさと強さを合わせ持っているただの憧れよ。わかるかしら、憧れの人って、自分の手で殺してみたくなるのよね。殺意と愛って似ていると思うの」
メフィストフェレスの性格が読めない。私では理解不能な生き物のように思える。
「あなたならベルフェゴールを倒せる?」
「んーどうかしら。あいつずっと怠慢状態だからダメージ与えられないのよね。周りの取り巻き全員殺さないといけないし、できてもそんな面倒なことはしたくないわ」
メフィストフェレスは何も疑わずに情報を教えてくれる。
「奈落はね。退屈なの。その退屈を受け入れている悪魔がほとんど。でも、私は違うの。刺激に飢えている」
「外の世界に出ないの?」
「悪魔は縛りが多くてね。そう簡単に奈落から出られない。ハーデスの許可をもらっているアスモちゃんぐらいじゃないかしら。自由に出入りできるの。アスモちゃんは外の情報を奈落に取り入れる役割もあるから。あとはこっそりと脱出するようなヤツね。昔、私が嫌いなベルゼが外に出ていったわね」
蝿の王ベルゼブブのことだろう。確かに奈落にはこれだけいる悪魔が外の世界にはほとんどいない。
「ベルゼブブが死んでいたら心配?」
「まさか! あいつのこと大嫌いだったから、嬉しくて大笑いするわね」
どうやらそのことで敵対することはないようだ。
「外で私はそのベルゼブブを倒した」
本当は私ではないのだが、ここは自分で倒したことにしておく。危害を加えられないとわかったからには、多少積極的に話をしていくべきだ。情報が得られるかもしれない。
「……」
メフィストフェレスが目を見開いて私を見る。無表情で感情が読めない。急に唇が横に広がった。
「あっはっは。本当だったら傑作ね。あれでも人間に倒せるような悪魔じゃないから。でも不思議。嘘をついているようにも見えないわ」
メフィストフェレスは無邪気な笑みを見せている。それは本当に友に見せるようなものだ。
「ベルゼのような野心を持った悪魔は多いの。悪魔って基本的に他人のことなんてどうでも良いってやつが多いからね。みんな孤独なの。だから、私は女子会ができないのよ!」
ペラペラと他の悪魔の愚痴が溢れ出る。聞いているだけで、見たこともない悪魔たちの性格が伝わってくる。
「外の世界に出てるアスモちゃんぐらいよ。人に親切なのは。きっと外で他の生物に触れて価値観が変わっていったのでしょうね。でもあの子、働くの大好き過ぎて私との女子会より仕事を優先するのよね」
「あなたは他の悪魔とは違うの? 他人に興味を持っているように見えるけど」
「そうね。私は他人への愛があるのよ。愛は必要なものでしょう? きっと悪魔にはそもそもない感情、でも私だけにはあるの。相手を殺してみたいっていう純粋な愛がね」
「……それは愛じゃないと思う」
「そうかしら。そもそも本物の愛というものは誰も知らないと思うのよね」
「相手を大切に思い、守りたいって思える気持ち」
「そんな気持ちは持ったことないわね。愛って難しいわ」
この悪魔は私から警戒心を取り除いてくる。会話を続ければ続けるほど、危険な存在ではないと錯覚しそうになる。
「リンちゃんさ。 お友達だから一つ教えてあげる。悪魔の言葉に惑わされてはだめよ」
メフィストフェレスにはきっと感情の機微を感じ取る能力がある。私の気持ちを的確に読んでいる。油断しそうになっている私に、自分から釘を刺してくる。
「私を信頼なんてしちゃいけない。私は悪魔よ。私は強い人、興味のある人を殺したいという欲求があるわ。だから……」
メフィストフェレスが私にぐっと顔を近づける。なぜかまつ毛の長さが印象に残った。
「あなたの隠している人、殺しちゃうかもしれないし」
これはブラフなんかじゃない。確実に私の仲間がここにいると気づいている。もう誤魔化す意味もない。私と友達になろうとしたのは、レンにたどり着くためなのだろうか。なら、やはりこの悪魔は敵だ。
「ふふ。いいのよ。私は憎まないから。お友達のあなたに殺されるなら、そんな素敵なお話はないわ」
私はここでメフィストフェレスを倒そうと考え、短剣に手をかけようとしていた。そのことさえ、読まれていた。その手を上からそっとメフィストフェレスの手で押さえられていた。
ステータスが下がっている今、私に一切危害が加えられないとしても、倒すことは無理だと悟った。
「きっと友達のリンちゃんでも私を理解はできない。それは決して理解しえない別の生物だから仕方ないのよ」
「あなたにレンは殺せない」
「ふふ、あの子のことね。ひと目見てわかったわ。あの子は特別だって。感じるのよ。あの異質の存在は、私の退屈を壊してくれるって」
メフィストフェレスは楽しそうに笑い出した。一人で踊るようにくるくると舞う。
私は気付いた。なぜメフィストフェレスを話していて恐ろしい悪魔と感じないのか。それはメフィストフェレスの殺意がどこまでも透明だからだ。
憎しみもない。お金や利益のためでもない。メフィストフェレスの殺意はどこまでも透明で混じりがない純粋なもの。それを彼女、彼は悪だと考えていない。
「あら? 残念ね。お別れの時間かしら」
メフィストフェレスの装備している腕輪が淡く光り始めた。嫌な予感がした。私はこの悪魔に出会ったときのことを思い出した。
「ふふ。感じるわ。きっとあの子ね。また会いましょう。リンちゃん」
メフィストフェレスはそう言って私にウインクした。まばゆい光に包まれ、消えていった。




