理不尽な壁
皆を助ける方法が1つだけあった。
我は【レクイエム】で、アトランティス全員の魂を抜き取った。死んでしまえば、魂は空中に霧散してしまう。だから、そうなる前に全ての魂を保護しようと考えた。
しかし、どう考えてもこれだけの量の魂を我が1人保管できるわけがない。
だから、フレデリックの輪廻に発想を得て、奈落へと魂を送った。我が作り出した【レクイエム】はアトランティスにいる全ての生命の魂を抜き取り、奈落へと送る転送魔法だった。
奈落の悪魔には仲が良い者もいるが、奈落へ送った大量の魂がどうなるかは想像できない。ウミヘビの怪物によって、魂が消えてしまうよりも奈落へ送って魂を残した方が良いと判断した。その判断が正しいかどうかは未だに分からない。
無責任にも思えるが、クラウス君とアリス、ガラン、マリーの四人の魂だけは奈落へ行く間に回収して自分で保管することにした。
これが我にできる唯一の、全員を救い、ラグナロクを終わらせる方法だった。
【レクイエム】が終わった後のアトランティスは静かだった。怪物が暴れ回る音だけが響いていた。
美しい街は一晩で地図から姿を消した。ウミヘビの怪物により、アトランティスは海中へと沈められた。アトランティスにいた魂を抜かれた全員の肉体は海の中へと沈んだ。
奈落には記憶の泉という、魂の記憶から肉体を構築できる場所があるが、ハーデスさんがあの大量の魂に使わせてくれることはないだろう。
我は四人の死体を回収するのは諦めた。死体を回収したところでアンデッドとなるだけだ。だから、物に魂を入れることにした。
それぞれの魂の深層心理と会話し、何を希望するか聞いてみた。長年の研究で魂の意思を感じ取れる術式も完成していた。
アリスは可愛い女の子じゃないと嫌だと言った。彼女はいつも見た目に気を使っていた。
ガランは戦えるようにしてほしいと言った。
マリーは綺麗な花が良いと言った。
我はみんなの希望通りのものを探し、魂を憑依させた。
しかし、クラウス君の魂の深層心理は我と会話するのを拒絶した。何も会話をすることができなかった。だから、仕方なくガランと同じように甲冑に魂を入れることにした。
_________________
自分の過去を語るバレンタインには、いつもの空回っている雰囲気がまるでなかった。
「久しぶりにこんなにしゃべったから、喉が乾いてしまった」
バレンタインはヘビが運んできたグラスの水を一口飲んだ。
「我はクラウス君に改心してもらおうと思った。天界で何があったのかを聞こうと思った。また前の関係に戻れると思っていた」
それは叶わない願望だった。バレンタイン、ルーファウスはクラウスの憎しみの相手となった。
「偶然ソラリスさんに会ったから、頼んだんだ。クラウス君が説得できなかったら、封印してほしいと。我の死霊術も万能ではない。何度も物体から抜いて入れてを繰り返せば、魂は摩耗する」
それがクラウスが封印されていた理由か。バレンタインの希望は叶わなかった。甲冑に魂を入れて復活したクラウスを説得することはできなかった。
ユースタスがアンデッドになった理由もわかった。人智を超えた死霊術師と呼ばれるだけのことはある。大都市にいる全員の魂を抜き取る大魔法など聞いたこともない。
一方で、俺はLOLのシナリオライター、脚本家の狂気を感じていた。この部分はゲームには実装されていない過去の裏設定だ。ここまで表に出ない設定を作り込むことなど信じられない。
一人の人間が作ったのか、複数の人間が作ったのかはわからないが、彼らは現実のように歴史を刻む新しい世界を作り出した。
「もしもう一度クラウスに会ったらどうするつもりなんだ?」
「諦めずに説得する。だが、それが叶わずクラウス君が以前のように人々を苦しめる存在となるなら、我はもう一度、魂を奪うだろう」
「そうか。説得、できるといいな」
その可能性は極めて低いだろう。できればバレンタインに辛い目にはあってほしくない。俺はもう一つ別のことを聞いてみた。
「ティアマトの魂を回収したのもバレンタインなのか?」
ネロが推測していたことだ。ドラクロワが反応する。
「ん? ティアマトとは誰だ?」
「知らないのか。ソラリスに頼まれて誰かの魂を回収しなかったか?」
「ああ、もしかしてあの大きくて顔怖い人か!」
名前は知らないが、大きくて顔が怖い人という認識だったらしい。
「確かに頼まれた。ソラリスさんには恩があったからな。というかソラリスさんの頼みとか怖くて断れなかった」
バレンタインにとってソラリスは完全に目上の存在になっている。気持ちはわかる。ソラリスは隙がなさすぎて打ち解けやすさゼロだ。
「我もその件は事情を知らない。ソラリスさんに、知らない方が良いと言われて聞けなかったのだ。ただ私は魂を回収し、奈落へと持っていった」
「記憶の泉を使えたのか?」
「ああ、ハーデスさんに頼んで使わせてもらった。恐ろしかったのは、どんな手を使ったのか、ソラリスさん、既にハーデスさんに話を通していたんだ」
奈落にいる王に話を通すなど、意味がわからない。ソラリスの有能さはもはや振り切れすぎている。恐怖すら感じるレベルだ。
ソラリスが復活すれば、ティアマトのことも聞けるだろう。俺が知らない歴史も神族であるソラリスなら知っている。
偶然にもユキを救うための目的地は奈落だった。最後の宝石、奈落のアメジストを手に入れ、ユキをもう一度仲間にしよう。
「聞かせてくれてありがとう。バレンタイン」
「ふっ、当然のことだ。我はレンと友達だからな」
バレンタインにとっての友達は、本当に特別な存在なのだろう。
「俺たちはそろそろ奈落へ向かう。奈落で道案内をしてほしいから、合流してくれ」
「もちろんだ! 我は奈落スタンプラリーを唯一制覇した男だ。大船に乗ったつもりでいたまえ。それに悪魔にも顔効くからな。我が人脈を存分に利用して良いぞ!」
はじめてバレンタインを心強く思った。奈落では頼りにさせてもらおう。
バレンタインの眷属たちに、見送られながら俺たちは玄関まで歩く。アンジェリカがポチと別れるのがさみしいらしく、可愛らしい声で鳴いていた。
「では、奈落でまた会おう」
「ああ、またあとでな」
俺は扉を開いて、外に出た。
「よお。話は終わったのか?」
俺は自分が犯したミスに気がついた。
「俺の勘も当たるときは当たるんだな」
俺たちは魔王城から飛空艇でまっすぐにこちらに向かってきた。魔王城とバレンタインの館は近い。この距離なら目視で地上から十分に追ってこれる。
「久しぶりだな。ルーファウス。会いたかったよ」
甲冑の剣士は飛空艇の後をつけ、この場所にたどり着いた。
バレンタインが玄関先に置いてあった日傘をさして外に出る。不思議と驚いた様子はなかった。
バレンタインに恐れはなく、まっすぐにクラウスへと歩いていく。逆にクラウスは数歩後ずさった。
「久しぶりだね。クラウス君」
「その傘、まだ使っているんだな」
「大事な友達からのプレゼントだから、魔法で修理しながら何千年と使っている。クラウス君は最近どうしていたんだ?」
「俺か? ウラノスって覚えているか? あいつの復活計画に便乗しようとしていたな」
「その神のこと、まだ慕っているのかい?」
「はは、はじめから慕ってなんかいない。ただ利用しているだけだ」
「天界で何があったのか。聞かせてほしい」
「前もそれ言ってたよな。お前は勘違いしている。俺は天界に行って変わったんじゃない。もともと俺はこういう人間だ」
「それは違う。クラウス君は我と友達になってくれた」
「人っていうのは多くの側面を持っている。お前が見ていたのは自分に都合の良い俺だけだ」
「それでも……クラウス君は変わったと思う」
「まあ、学ぶものはあったな。ガキの頃に感じていた理不尽を、俺は最強まで上り詰めた後に感じた。わかるか? あの理不尽に抗うために強くなったのに、その結果、さらに上の理不尽な力に負ける気持ちが」
俺はクラウスの気持ちがよく分かる。このLOLという究極の無理ゲーの世界で、俺は何度も壁にぶつかってきた。理不尽な壁を超えても、先に更なる高い壁が用意されている。努力を嘲笑うかのようなこの世界の構図だ。
天界の王、ゼウス。クラウスが負けた相手だ。確かにあの強さを見ればあきらめたくなる。ゼウス討伐は誰一人クリアしたことがないミレニアム懸賞イベントになっている。
「我にはクラウス君の気持ちはわからない」
「だろうな」
「だが、また同じ時間を過ごすことはできる」
「ふん、相変わらずだな。俺の手は汚れている。今まで何人殺したと思っている」
「時間があれば禊はできる。我にもクラウス君にも永遠の時間があるから」
「俺は罪滅ぼしの慈善活動なんてしない。そんなものはただの自己満足だ。どんなに洗ったって落ちない汚れはあるんだよ」
クラウスが剣を抜く。
「そろそろ始めるか」
「クラウス君。もうわかっているだろう? 君は我を殺せない」
「くくく、はははは、ああ、嫌ってほど知っているよ。だから……」
俺の反射神経が体を無意識に動かした。俺の眼にクラウスの剣が突き刺さる瞬間、紙一重で顔を横にして回避する。避けられたと認識した瞬間、クラウスはその勢いのまま膝蹴りを入れようと動く。
俺は刀の鞘を足の関節の可動部に当て、膝蹴りの動きを阻害する。そのまま、クラウスにぶつけた鞘を支点に回転しながら距離を取る。一秒にも満たない攻防だった。
クラウスが俺を見ている。今のを避けられたのが、予想外だったのだろう。狙われたのが俺で良かった。恐らくリンでも今のは避けられない。
「ルーファウス。お前は何があっても絶対に死なない。だから、俺はお前の目の前で、お前の大切な者たちを殺して、それを見せてやる。ここにいる連中もアリスもガランも、皆殺しにしてやる」
クラウスの全身から凄まじい威圧が放たれる。完全な臨戦態勢。本物の殺意。
「全員を殺し、お前をもう一度孤独にしてやる。それが俺からお前への復讐だ」
俺は刀を抜いた。もう甘いことを言っている状況ではない。バレンタインには悪いが、ここでクラウスを倒させてもらおう。