仇討ち
俺は『イミテート』を解除する。もうサキエルの姿でいる必要はない。
ラインハルトの腕の中でヒースクリフはゆっくり目を開けた。その姿は神々しさなど感じられない普通の人間だった。
「私は一体、何を……」
「ヒース兄さん! 僕がわかりますか?」
「何を言っている……分かるに決まっているだろう」
ラインハルトの目に涙が溜まる。いつもは腹が立つイケメンだと思っていたが、あいつは勇気を振り絞り、家族を取り戻した。賞賛すべき男だ。
「何があったんだ? あまり記憶がない」
「優秀な弟が、兄を助けるために邪神を討伐したんです」
「……面白い冗談だ」
「本当の話ですよ。今はゆっくり休んでください。僕の英雄譚は今度たっぷり聴いてもらいます」
ラインハルトは満面の笑みを浮かべた。それは今までラインハルトが見せた表情の中で、最もかっこよく見えた。
「レン!」
リンが駆け寄ってくる。
「心配かけたな、こうするしかなくて」
「大丈夫、わかってる。英雄として正しい判断ね。私はレンを信じてた。でも……」
リンの頬には涙の跡があった。
「……すごく怖かったから、もう死なないでほしい」
死なないで欲しいか。簡単に言うが、このLOLの世界でそれがどれだけ難しいことか。
「ああ、俺は死なないよ」
LOLの世界には理不尽が溢れている。死はいつだって近くにある。予想外のことが起こり、あっけなく死ぬ可能性と常に隣り合わせだ。
しかし、それは普通の人間ならの話だ。俺は普通じゃない。この理不尽なLOLの世界を愛し、LOLに膨大な時間を費やしてきた廃人プレイヤー。
俺がここまで生き残れたのはゲーム知識があったからだけではない。ゲーム知識があるだけで生き残れるほど、この世界は甘くない。
元いた世界にはいろいろな異世界転移の物語があった。特殊な能力があったり、前世の知識をフル活用したり、偶然の出会いで力を授かったり、様々な特別な主人公が描かれていた。
俺はそんな彼らと比べれば凡人かもしれない。でも唯一、特別な力がある。それは俺だけの能力。このLOLに教えてもらった大切なこと。
諦めない心、英雄の精神だ。理不尽すら愛そう。絶望さえ友としよう。それがこの世界の生き方だ。
「感動のシーンに水をさすのも悪いが、俺のことを忘れていないか?」
甲冑の騎士クラウスが俺に声をかけた。こいつの正体は、サキエルの姿でゼーラの側にいたことで知っている。ゲームでは登場しなかったキャラクターだ。裏設定というものだろう。
「忘れてないよ、クラウス」
「……ネロが執着していた理由がわかる。お前だろう? ゼーラを殺すために暗躍したのは」
伝わってくる。クラウスは俺を最大限に警戒している。いつでも行動を起こせるように準備している。
「お前のせいで俺はゼーラを利用できなくなった。今更ネロに取り入ってもこいつは仲間とは認めないだろう」
ネロがにっこり笑った。
「もちろん。もう君に協力する気はなくなったよ。別に敵対はしないけど、味方もしないかな」
ネロが無邪気に答える。クラウスが剣を構える。
「なら俺がすべき最適解は1つだな」
クラウス。お前が考えていることはわかる。戦闘能力ならこの場で一番だと思っているのだろう。だから、力で場を制圧しようと考えている。全員を殺し尽くし、ネロを力で従え、無理矢理利用する気だ。
ネロは少しの不安も見せず、楽しそうに俺を見ている。さすがにネロは俺が何をしようとしているのか気づいている。俺が生きているということから、ネロはこの状況を的確に把握している。
「クラウス。お前、状況分かってるのか?」
俺の横で1人の信者がフードを取った。美しい銀色の髪が流れる。真実を知り、本当の敵が誰かを知った天使。LOLのボスキャラクター枠の1人。神の使徒サキエルだ。
「お前が私の大切な人を奪った実行犯だろう?」
サキエルは静かな怒りを燃やしている。大切な人を奪われた悲しみ、今まで騙されていたことへの怒り、あらゆる感情が読み取れる。
サキエルは信者に紛れて、ラファエルを牢から出すための鍵を用意したり、地図を渡したりして、裏で動いてくれた。絶対に正体がバレてはいけないので、表立って動けなかった。
この復讐の天使が俺のもう一つの切り札だ。
クラウス。お前はもう詰んでいるんだよ。強さを求めて人の心を捨てた修羅。お前を裏切ったという男はきっと正しい判断をしたのだろう。
サキエルがスキルを発動する。この場において規格外の力を持つスキル。
『ゼーラの加護』
ゼーラが消えた今、この名前はおかしく思うがその効果は健在だ。周囲にいるキャラクター全員をサキエルと同じステータスにする。
ここには教会中の信者や騎士団員が何百人も集まっている。その全員がLOLのボスキャラのステータスを持つことになる。全ての人間から白い光が立ち上っていた。
「ゼーラ教信者の皆さん! 私が力を貸します。共に悪を討ちましょう」
クラウスはやっと状況を理解した。ネロは楽しそうにクスクス笑ってる。
「クラウス。だから、言ったでしょ? レン君は本当にすごいんだって」
「くく、ははははは!」」
クラウスは予想に反して壊れたように笑い始める。
「上等だ。しばらく忘れていたな。命を賭けるという、この痺れる感覚を」
サキエルを筆頭に戦いが始まった。神殿騎士団や戦える信者も参戦する。俺達は今回は加勢しない。戦闘を邪魔しないように見守る。
クラウスは明らかな強者だ。それでも何百人のボスキャラを相手にしているようなもの。数の暴力に適うはずがなかった。俺でもこの人数では勝てない。
クラウスが攻撃をしても、即座にラファエルが全範囲全回復魔法を発動する。サキエルとラファエルのコンビの前にクラウスは打つ手がない。
俺はクラウスという男を少し読み間違えていた。戦闘狂のように見せているが、実はかなり冷静な男だと予想していた。戦力差は明確で勝ち目がないこともわかっているだろう。それなのにクラウスは逃げようとしない。クラウスが殺されるのは時間の問題だ。
激しい攻撃にさすがのクラウスも動きに支障が出てきた。ついにバランスを崩して倒れ込む。その隙をサキエルは見逃さない。
「今だ! 全員でかかれ!」
トドメを刺すために全員一斉攻撃を仕掛ける。クラウスは倒れ込みながら魔法を発動した。
『シャドウカーテン』
黒い霧が周囲に広がる。これはシーナポートでキャメロンも使用してきた視界を奪うだけの闇属性魔法だ。実害はない。
「気にするな! ただの目眩ましだ」
サキエルはそのことを正確に判断し、暗闇の中に突っ込んだ。他の騎士団達も暗闇の中に突撃していく。中の様子は俺達からは見えない。
急に黒い霧が晴れていく。使用者であるクラウスが死んだのだろう。
黒い霧が晴れた先には、クラウスの甲冑の胸を剣で貫いたサキエルがいた。サキエルが剣を引き抜く。甲冑は重力に従って崩れ落ちた。衝撃で甲冑の兜が外れて転がった。
残された甲冑の中にはただ空洞が広がっていた。クラウスはもう粒子に変わったのだろう。あっけない最後だった。
「エリック……ナタリー、君たちの仇は取ったよ、安らかに眠ってくれ」
サキエルは剣を仕舞い、祈るように目を閉じた。