怒りと悲しみ
ーーーーーリンーーーーーー
レンが死んだ。私の師であり、憧れ。全ての不可能を覆すことのできる英雄。
私はどうしてもレンの死を受け入れることができなかった。あの人がそんな簡単に死ぬはずがない。絶対的な信頼が私を惑わせる。
ハルの言うようにもうどうにもならないのかもしれない。でも、私はその可能性を追い求めずにはいられない。
人は死ねば青い粒子に変わる。あれば魂なのだろうか。私の目の前でレンは青い粒子に変わった。あれは確実な死を意味している。でもレンならば復活するための秘策を用意しているのではないかと思ってしまう。
奈落に行けば魂から生者を復活することができる。私は以前レンからその話を聞いたことがある。しかし、それには魂を完全な形で保管することが必要不可欠となる。
デュアキンスのような死霊術士さえいてくれたら、レンの魂を保管することができた。保管されていない魂を無理矢理に蘇らせようとすれば、あの時のカーマインの奥さんのようになる。
あの場に死霊術士はいなかった。だから魂の保管はできない。それは本当なのだろうか。あの時、誰かがレンの魂を保管している可能性はないのだろうか。
私は都合の良い解釈をしている。それは自覚している。そんな奇跡は起こらない。でも、どうしてもレンがただ死ぬなんてことは考えられない。もし、彼が死んだとしたら、それは復活するための道を残しているはず。そんな漠然とした淡い期待があった。
私たちのパーティに魂を保管できるような者はいない。あの場にいたのは他にネロとゼーラ、サキエル、ラファエル。彼らに魂を保管できる可能性はないだろうか。
敵であるネロやサキエルは考えられない。魂を保管するメリットなど全くないから。そう考えると、ラファエルしかいない。
私はあの天使のことを何も知らない。彼女にどんな力があるのかを理解していない。もしかしたら、私たちが知らず、レンだけが知っている能力があるのかもしれない。
心のどこかで自覚している。これは私の作り上げた妄想だと。レンの死を受け入れたくない私が必死に考えた都合の良い妄想。でも、それがレンの教えてくれた英雄の生き方。
やはりここを脱出して仲間と合流する必要がある。レンがいない今、私が指揮をすべきだ。捕まっていればいつゼーラの気まぐれで殺されるかわからない。みんなを守らないと。
「ちょっといいかい?」
鉄格子の向こう側から声が聞こえた。私が振り返るとそこにはネロが立っていた。私は思わず飛びかかりたくなった。こいつのせいでレンは死んだ。止めどなく怒りが込み上げて来る。
それでも私は拳を握りしめて耐えた。ここで怒りをぶつけてもレンは戻ってこない。私と同じように、ネロもレンの死によって憔悴していることが見て取れた。自分で殺しておいてあまりにも都合が良すぎる。
「何か用?」
自分でも驚くほどの冷たい声が出た。
「僕は……信じられないんだ、レン君は本当に死んだと思う?」
だめ。眼の前が真っ赤になる。怒りで頭がおかしくなりそう。自分で殺しておいて、自分で悲しんでいる。お前の何倍も何十倍も、何百倍も私は辛いのに。
「あなたがレンを殺した! 目に前で消えていくのをあなたも見たでしょ!」
「僕は……受け入れられないんだ、だってレン君は……」
ネロが同じ気持ちであることに苛立った。敵ではあるが、ネロもレンの本当の強さを知っている者だった。あの人が死ぬわけがない。そんな根拠もない希望にすがっている。
身勝手な人だ。あれだけレンを狙っておきながら、殺したらこんなはずじゃなかったと言う。こいつはレンをおもちゃにしていただけだ。自分勝手に弄んで、大好きなおもちゃが壊れたら泣きわめく子ども。救いようがない。
「レンくんがいないと……ゼーラが完全に復活する、世界は破滅へと向かう」
「あなたはそれを知ってゼーラを復活させた」
「レン君がいたから、彼なら本当にこの世界を救ってくれると思った、レンくんは僕に似ている、同じ次元で話ができる唯一の友達だった」
ネロは勘違いしている。彼は自分の理想に酔っている。私にはその思い違いを正す権利があるように思う。
「ネロ、あなたは勘違いしている」
「勘違い?」
この人はきっと私の何倍も賢い。でも真実をわかっていない。濁った認識の中にいる。
「この世界はね、あなたの遊び場じゃないの」
ネロからの返答は来ない。彼は黙ったまま、私を見つめている。
「あなたがレンのことを考えるように、みんなが大切な人のことを考えて生きている」
レンは大切な人たちの幸せを祈っていた。私たち仲間のことや、グランダル王国のみんな、時には敵であるドラゴンスレイヤーのことまで。
「ネロ、あなたとレンでは全く似てもにつかない、あなたは自分のことしか考えてない、レンはいつも他人のことを考えている」
「僕は……」
「あなたには大切な人がいない、守りたい者がない、どこまでもからっぽな人、だからあなたはレンとは違う、永遠にレンには敵わない」
これは怒りによる発言じゃない。冷静さを取り戻している。これが私の本心。レンとネロの明確な差。2人とも頭脳の面では私では足元にも及ばない。でもこの2人は決して交わることがない。レンは賢くて、天才だと思うけど、あの人は、とても……あたたかい。
目が熱くなってきた。
「僕は間違っていたのかもしれない」
「そうよ、あなたは間違っている」
断言した。ネロは間違っている。彼が誤りを認めてくれないと、私の心が保たない。
「僕は……どうすればいいの?」
ネロは自我が崩れ、何かに自分を委ねようとしている。ネロがもたれて良い、すがって良い相手は少なくとも私ではない。私はお前への憎しみを捨てられない。
「そんなことは知らない、勝手にしなさい」
私はもう話すことはないと示すように、ネロに背中を向けた。流れる涙を見せたくなかった。
ネロが部屋を出ていった。残された私はうずくまる。先程まで我慢していたが急に波が訪れた。レンのように強くありたいと気丈に振る舞っていたが、限界だった。
嗚咽混じりの涙が止まらない。私はこんなにも弱かったんだ。
不可能を可能にするのが英雄だ。
レンの言葉を思い出す。私にはまだすべきことがある。心を奮い立たせる。
私は涙を拭って立ち上がった。いつまでも膝をついてはいられない。か弱い少女のままではいられない。
だって、私は英雄だから。