絶対的不利
集落の出口を抜け、フランバルト大樹海へと入る。太陽は沈み、辺りは闇に包まれる。
間に合わなかった。出来れば太陽が沈まない内に行動を起こしたかった。
シリュウが持つスキルに『影分身』というものがある。これは『ドッペル』と似たようなもので、最大5体の分身を作り出せる。しかし、『ドッペル』とは違い、分身は実体を持たない。
つまりただの目くらましだ。しかし、素早さが高いシリュウに使われると厄介となる。高速で動く本体を含めた6体から本物を見分けて、回避しなくてはならない。
太陽が出ていたら、影を見ることで分身を見分けることができた。分身は足元に影が出来ず、本体のみ影ができる。しかし、太陽が沈んだ今となっては判断のしようがない。
作戦通りには進んでいるが、状況はあまり良くない。
俺は歩きながら、左手を見つめた。そこにはエルフの里で手に入れた疾風の腕輪がはめられている。シリュウの素早さが俺の想定を超えていた場合を考えて、装備していた。
しかし、これでも素早さが足りるかどうか分からない。勝つためには、後一つピースが足りない。
俺は再度ゲームでのシリュウ戦を思い出す。シリュウの攻撃は今の俺なら恐らく一撃死はしない。そもそもシリュウは素早さ特化のタイプであり、攻撃力は低い。
暗器使いであり、手元が見えない長い袖から、刀やクナイ、鎖分銅が出てくる。刀やクナイは掠っただけで麻痺と毒の状態異常を受ける。
幸い俺は神兵の腕輪があるから、このことは気にしなくて良い。
HPや防御力も高い方ではない。そこまで長期戦にはならない。ここまで聞くとシリュウが強敵ではないように思える。
しかし、実際はやはり無理ゲーだ。ただでさえ素早さが高いのに、独特の動きをするため、極めて回避がしづらい。モーションを読むのに、俺でさえだいぶ苦労をした。
更にそこに『影分身』で本物がどれか分からなくなる。クナイでの遠距離攻撃もあり、影を使った攻撃スキルも厄介だ。特に『影縫い』をされないようにするために、シリュウが投げたクナイが俺の影に刺さらないように注意しなくてはならない。
夜になってしまっては、正直どこまでが影の範囲なのか分からない。
ここまでの強さは、LOLでは決して強敵とはいえない。一撃死しないだけ優しいとも思える。
真にシリュウ戦が無理ゲーなのは、HPが半分を切ってから、使うスキルがあるからだ。
『死影』
影を身体と刃に纏い、必中で神速の突きを放つ。対象の最大HPの100%のダメージを与える。
つまり当たれば即死だ。これは即死耐性など意味がない。状態異常扱いの即死なら神兵の腕輪でレジストできる。だが、これは最大HPの100%ダメージであり、状態異常ではない。
どれだけ防御力を上げても、最大HPをドーピングしても無駄だ。最大HPの100%ダメージなのだから、ただ即死する。
何より恐ろしいのが、この『死影』は必中であり回避や防御が出来ない。
正確には回避をしても無駄と言った方がよい。神速の突きではあるが、躱すことは英雄ならできる。しかし、回避されたり防がれたりすると、すぐさま迂回したり、方向転換したりして追撃してくる。
こちらのHPが0になるまでスキルが終わらないのだ。この間、シリュウはスーパーアーマー状態であり、ダメージを与えてもスキルをキャンセル出来ない。
このスキルの終了条件は、攻撃が当たって対象のHPが0になるか、スキル中にシリュウHPが0になるかだ。
このスキル発動中のシリュウは普段の速さより、異常に速い、俺でさえ初撃を避けることが出来ても、追撃を躱し続けることはできない。
つまり発動されたら即死する以外に道はない。
一応対応策はある。『根性』や『ど根性』はHPが0になったとき、1で耐え切れるという効果だ。これはHPが0になった時に自動で発生するので、『死影』が終わった後に発動してくれる。
あとはHPが0になったとき、一度だけ復活できる命の腕輪を装備するか、ポチの『ワンモアチャンス』で生き返るか。
一度『オールフォーワン』や『ワンフォーオール』でダメージ分散を狙ってみたが意味がなかった。
『オールフォーワン』はダメージがパーティ全員に均等配分される。4人パーティを連れていたので、確かに『死影』を受けて、最大HPの4分の1のダメージになった。
しかし、『死影』は終わらない。終了条件が対象のHPが0になることだからだ。結局追撃され、4回目の攻撃で殺された。
だから、ゲームではシリュウのHPを半分ほど削ったら、圧倒的な火力で『死影』を使うまでに倒しきるのが一般的だった。
あとは『根性』『ど根性』命の腕輪、『ワンモアチャンス』で数回凌ぐしかない。
ちなみにシリュウはHPが半分を切ってからはこのスキルをまるで通常攻撃のように何回でも使用してくる。
いかにスキルを使われる前に倒しきるかが重要だった。そう考えると、今俺は『根性』も『ど根性』も命の腕輪も持っていない。
ポチの『ワンモアチャンス』はあるが、一定以上の距離が離れていると発動しない。
現状は極限まで不利と言っていいだろう。それでも、策がないわけじゃない。
「おい、もう少し早く歩け」
俺はもたつくイズナに厳しい口調で言う。シリュウはうんざりした顔をしていた。
「何かおかしくないかい?」
横を歩いていたシリュウが立ち止まって、声を上げた。
「何がおかしい?」
俺は慎重に問いかける。今、戦闘になるわけにはいかない。あと少し時間を稼がなくてはならない。
「だってー、プロメテウス様が殺すなって命令を出す理由が分からない、普通、皆殺しでしょ」
シリュウの疑問は最もだ。ゲームでのプロメテウスの性格は知っている。奴なら間違いなく全員殺すように指示を出す。
「きみさー、本当にプロメテウス様の使者かい?」
シリュウの顔に笑みが過ぎる。俺は激しい動揺を全力で隠した。今はまだダメだ。誤魔化し通すしかない。
「俺は」
「あ! いいこと考えたよー」
俺の言葉はすぐに遮られる。シリュウの目は細めて、楽しそうに思いついたアイデアを語った。
「取り敢えず君を殺して、里の皆を殺して、それからプロメテウス様に会いにいけばいい、それで怒られたら、ごめんなさいすればいいだけだね」
狂気が見えた。この男を騙し通すことなんて、できなかった。考え方が常軌を逸している。
俺は咄嗟にイズナを突き飛ばす。同時にシリュウが長い脚で一歩踏み込んだ。一瞬で間合いに入られる。
俺は英雄としての動体視力と身体に染み込んだ回避技術を駆使する。シリュウの袖が揺れ、鋭い刃が現れる。
振り回される袖を辛うじて回避し、バックステップで距離を取る。頰がかすってダメージが入る。
やはり素早さが足りない。今の攻撃は避けられたが何度も続かない。いずれ殺される。
「あれ? なんでまだ動けるの? まあ、いいけど」
俺が麻痺にならないのを疑問に思ったのだろう。本来ならば掠るだけで勝負はついている。
またシリュウが奇妙な足どりで、近づいて来る。そして、一気に加速した。
俺は咄嗟に右を向く。尋常ではない緩急で左右に揺れながらシリュウが接近してくる。目で捉えるのも厳しい。
俺は相手の軌道を読み、ダイダロスを振り抜いた。しかし、ダイダロスは空を切り、地面を叩いた。
シリュウが回転しながら、ダイダロスを避け、俺の真横で笑っていた。
『イリュージョン』
刃が俺の首に触れる寸前、スキルの発動が間に合い、俺は瞬間移動する。
視界が変わり、すぐにシリュウの位置を確認する。しかし、シリュウがいない。
「へぇ、面白い技を使うねー」
俺の真後ろにシリュウは既に移動していた。『イリュージョン』はクールタイムがあるから連発は出来ない。
俺の頭に死が過ぎる。しかし、すぐに俺の脳は生存するために計算を始めた。
背後にいるシリュウのモーションは見えない。それを避けるのは不可能。ならば、選択は一つしかない。
【ファイアボール】
足元で爆発が起こり、俺は激痛にうめく。身体が爆風によって吹き飛ばされる。
シリュウも少しダメージを受けたようで、仰け反っていた。
通称『自爆ファイアー緊急回避』という技だ。【ファイアーボール】を自分の真下に放つことで、ダメージは受けるが、爆風で吹き飛ぶことができる。
更に接近している敵が攻撃モーション中でも、爆風で仰け反りさせ、キャンセルできる。
【ファイアーボール】のダメージの方が、シリュウの攻撃より低い。何度も使いたくはないが、使わなければ死んでいた。
しかし、まだ絶望は終わらない。シリュウは次の攻撃へと移り始める。素早さで負けている俺は何度も回避することは出来ない。
それにまだシリュウは本気を出していない。この状況で『影分身』を使われたら、俺に出来ることは何もなくなる。