2つの道
出発の時、ラインハルトは浮かない表情で雪山を見上げていた。その視線の先には雲に覆われて見えないゼーラ教会が存在する。
「大丈夫か?」
「心配はいらないよ、覚悟はできている」
ラインハルトは光沢のある金髪を軽く払った。きらきらと謎の光が発生する。
「兄さんは……ヒースクリフは助からない可能性が高いのだろう、母さんはきっと耐えられないが、僕なら大丈夫だ」
ラインハルトが俺達に同行した理由の1つは、マリリンのためなのだろう。きっとマリリンはヒースクリフの死を受け入れられない。だから、ラインハルトがその役を買って出た。代わりにその現実を受け止めるために。
「まだ俺はヒースクリフを諦めてないぞ」
「それが、レン、君の強さだな、僕は……君ほど強くはないよ」
柄にもなくラインハルトは弱気な発言をする。本当に調子が狂う。こいつは女の尻を追いかけていた時の方が生き生きしている。
「分かっているのだろう、僕はただ顔がカッコよくて家が金持ちで性格が良くて女にモテるだけの男だ」
やっぱり無性に殴りたくなってきた。
「それだけの男だ、世界を救う英雄にはなれない、僕は自分の限界を知っている」
劣等感がラインハルトを支配している。自分の無力さを感じているのだろう。ヒースクリフを救いたいけれど、その力がない。そう自分を責めている。
「限界っていうものは、勝手に自分で作り出すものだ」
悪い癖かもしれないが、少し腹が立ってきた。俺はラインハルトに同情して、慰める気なんて更々ない。なぜイケメンを慰めないといけないのかと本気で思う。
「勝手に限界を決めてくよくよするなよ、お前が望むなら、世界だって救える」
「僕は現実を冷静に見つめているだけだ」
「違うな、お前が見つめているのは現実じゃない、自分の都合の良いように作られた幻想だ」
「幻想? 違うさ! 僕はステータスだって、レベルだって君よりも低い、ゼーラというのは君でも敵わない神なんだろ! 僕ができることなんて」
「少し黙れよ、できない理由ばかり探すな! できる理由を探してもいないのに」
「君に僕の気持ちが分かるものか! 僕にはそんなこと不可能なんだよ! できないものはできない! 僕には無理なんだ!」
俺はラインハルトの右頬を殴っていた。ああ、久しぶりだな、この感覚。俺は現実ではこの性格のせいで、周囲から浮いていた。軽蔑され、距離を置かれていた。
俺はどうしても許せなかった。
可能性があるのに、それを呆気なく手放すことを。自分には出来ないと決めつけて、簡単を諦める。夢を諦めるのが大人になることだと、都合の良い概念をさも当たり前のことのように他人に押し付ける。それが常識となり、挑む人間は嘲笑される。
だから、いつも俺の周囲から人が遠ざかっていた。自業自得だ。そして、俺はまたラインハルトを殴った。悪い癖がまた出てしまった。
一瞬、誰かの後ろ姿を思い出した。俺の大切な人。こんな俺を認めてくれた人がいた気がする。
その光景が何かにかき消される。どうしても思い出せない。何かが俺の邪魔をしている。これがハルの言っていた記憶の阻害かもしれない。
「な、何をするんだ! 親父にも殴られたこと……」
ラインハルトは大げさに倒れ込み、俺に文句を言おうとした。
「山程あるな……」
俺は気まずさを感じながら、手を差し出す。ここは素直に反省すべきところだと思った。
「その、すまない、悪かった」
「ふん、謝るなんて君らしくないね」
ラインハルトが俺の手を掴み、起き上がる。服についた雪を払う。
「別にいいさ、君は僕の可能性を信じてくれているということだろ、僕のカリスマがそうさせてしまうのかな」
そんな冗談を言って、また髪を掻き上げる。謎のきらきらが周囲に舞った。俺に気を使ってくれているのかもしれない。
「約束はするよ、僕は僕のできることを精一杯するさ、さあ、行こう」
「ああ、そうだな」
颯爽と歩き出すラインハルトの背中を見つめる。風に白いマントと金色の髪が靡いている。悔しいが、本当に絵になる男だ。
「あ、ストップ」
俺は急にラインハルトを呼び止めた。
「な、なんだ? まだ何か言いたいのか?」
良い感じの雰囲気を邪魔されて、ラインハルトが不満げに振り向く。俺はもう別の場所を見ていた。
俺は山の斜面に沿ったパイプの中を何かが動いていることに気づいたのだ。移動装置、通称エレベーターがが動き出している。
予想していなかった。エレベーターは動かない前提でいた。降りてくる人物は間違いなくゼーラ教の信者だ。信者以外、エレベーターを起動することはできない。
俺の中である選択肢が急浮上する。『イミテート』をすれば、俺だけだがエレベーターで教会までショートカットできる。問題は俺の単独行動になるということだ。俺は『イミテート』で何とかなるが、仲間が上に乗っているとエレベーターは動かない。
しかし、この機会を逃すには惜しい。それに誰が降りてくるか確認すべきだ。ネロや神の使徒ならばここで倒すしかない。俺は皆に合図を送って山の斜面を滑り降り、エレベーターから誰が出てくるかを確認できる位置に移動した。
しばらく待つとエレベーターが到着した。ドアが開き、2人の人物が現れる。
現れたのは予想外の人物だった。逃亡中のグランダル王国の王子、ロンベルだ。もう1人の人物はどこかで見たことある気がするが名前の分からない男だ。
ロンベルはここで捕えるべきだ。俺はグランダル王と約束した。俺はパーティメンバーに合図し、一斉に動き出す。
「お、お前は!?」
ロンベルはすぐに俺に気づき、怒りの形相で俺を睨みつけてくる。グランダル王国のことで相当の恨みを買っているようだ。
「カマセーヌ、殺せ」
もう1人の中年の剣士にそう声をかける。こいつがロンベルの護衛なのだろう。その護衛はゆっくりと前に出た。大量の汗をかいて、がたがた震えている。
「こ、降参しまーす!」
目にも止まらぬ速度だった。超高速の土下座。あまりに熟練した、身体に刻み込まれた所作により、俺は一瞬反応できなかった。卑屈に、額を地面に押し付けた。
「お前! 何をやっているんだ! 早くこいつらを殺せ!」
「降参です! 俺はこのガキに無理矢理命令されてました!」
「こ、この、裏切り者!」
「俺はただ脅されただけです! 助けてください!」
予想外のことに少し混乱したが、男に抵抗する気はないようだ。このタイミングでロンベルが現れたということは、やはりネロが身柄を確保していたのか。
だが、今はネロがいない。ロンベル達が自分で逃げてきたのかもしれない。
「ロンベル、諦めろ、俺はお前を逃さない」
「くそ! なんで貴様はいつも僕の邪魔をする!」
ロンベルも武力では敵わないと分かっているのか、悪態をつきながらも抵抗はなかった。もう1人の男、カマセーヌという名前らしい。彼が全て包み隠さずに状況を話してくれた。
ロンベルの計画でネロ達から逃亡してきたらしい。彼は貴重な情報源だった。ネロ達について詳細な情報を聞き出す。その中でクラウスという男が出てきた。ゲームで俺も知らないキャラクターだ。ハルに聞いたが知らないらしい。
話を聞く限りかなりの強さを持つらしいが、そんなキャラがゲームに登場しないことなどあるのだろうか。何だか嫌な予感がする。また俺の知らない裏設定かもしれない。
一体、ネロはどこでそのクラウスと会ったのだろうか。グランダル王国の図書館から何かしらの情報を手に入れ、その結果クラウスを見つけたのかもしれない。
他のメンバーは俺の想定した通りだ。神の使徒のこともカマセーヌは知っていた。ドラクロワはぺぺの名前が出たとき、複雑な表情をしていた。ドラクロワが俺達に同行している理由だ。
「以上です! 全部話しました! 俺を開放してください!」
カマセーヌは必死にそう訴えかけてくる。ロンベルが「こいつは人殺しの冒険者だ」とリークし、巻き添えにしようとする。カマセーヌが顔を青くして否定するという醜い争いが始まった。
「先輩、どうしますか?」
「とりあえず2人ともあのマルドゥークを捕らえている牢屋に入れておくか」
「そ、そんな! お助けください! お、俺は役に立ちますよ!」
近くの小屋にちょうど良い頑丈なロープがあったので、カマセーヌとロンベルをドラクロワが縄で縛り上げる。
「こら、暴れんじゃねえよ」
俺はずっと考えていた。ロンベルとカマセーヌの逃亡はすぐにネロの耳にも入るだろう。もしエレベータで侵入するとしたら、タイミングは今しかない。
このまま雪山を登頂すれば疲弊もするし、何よりネロに待ち伏せされる。かといって、俺だけ侵入して何とかなるだろうか。いや、最終的には俺がゼーラを止める必要がある。単独先行でも行くべきか。上でダルマを発見できればどうにかなる。
俺の目の前に2つの道がある。あらゆる要素を想定して、どちらが正解かを考えた。