子どもたち
ーーーー捕われの少年ーーーー
涙はもう枯れ果てた。
冷たい石畳の上を裸足のままで僕は丸くなった。小さな小窓からは月明かりが漏れている。
日常は唐突に終わりを告げた。いつもと変わらない日だった。お父さんがいて、お母さんがいて、妹がいて、何気ない会話をしていた。
両親は熱心なゼーラ教の信者だった。この村が最もゼーラ教会に近いことや、大神官様がこの村の出身だったことを誇りに思っていた。
僕も生まれたときからゼーラ教の信者だった。小さい頃から教えを受けてきた。その信仰を僕は失った。
神様は何もしてくれなかった。僕の目の前でお父さんとお母さんが火であぶられていたのに、神様は助けてくれなかった。2人の悲鳴が耳から離れない。両親はゼーラ様を信仰していたことで、殺された。
現実が受け入れられず、僕は死にたくなった。尖ったガラス片を握り、何度も死のうとした。でもそれが怖くて、中々できなかった。それでも僕はもうこの世界に救いなんてないと思っていたから、覚悟を決めて、ガラス片を喉に押し当てた。
それをこの子が止めてくれた。
僕は同じ牢屋に入れられた彼女を見た。年は僕と同じぐらいだと思う。金色の長い髪を持ち、白いワンピースを着ている。背は僕よりも少し高い。
僕の服は何日も着ているので、黒ずんで汚れている。それなのに彼女の服には汚れが一つもなかった。
目が大きくて宝石のような青色をしていた。彼女はどんな状況になっても前向きだった。こんな牢屋に捕らえられても、いつも元気だった。
今も鉄格子を掴んで叫んでいる。
「ねえ、聞いてる! ラファは友達を探しに行くの! 早く開けて!」
あまりにしつこすぎて逆に門番が頭を抱えている。
「ちょっとは黙ってくれ! さっきからうるせえんだよ! 頭がおかしくなる!」
「私が本来の力を取り戻したらほんとおおおおおおおに強いんだよ! 今なら許してあげるから! 開けて!」
「ラファさん、多分無駄だと思うよ」
僕はずっと叫んでいる彼女、ラファを止めようと声をかけた。無駄に体力を消費するだけだ。
「ラファのことはさん付けなくていいって! ほら、オリバーも一緒にやるよ!」
「え、僕もするの?」
「そう! 2人なら出れる可能性も2倍! ラファの計算に間違いはない!」
間違いしかなさそうだが、無理やり手を引かれる。傷一つないきれいな手だった。
ラファはこの村の出身ではない。サキちゃんという友達を探しに遠い国からやってきたらしい。
本当はめちゃくちゃ強いって自慢をしているが、騙されて変な腕輪を付けてから力が出せないらしい。僕の印象では、失礼かもしれないけど、あんまり頭はよくないように思える。腕だってこんなに細い。
「ほら、一緒にやるよ! だーして! だーして!」
「だ……して、だして」
「声が小さい! そんなんじゃ出してもらえないよ!」
声量の問題ではない気がするけど。
彼女がいてくれるから、僕は自分を保てている。大好きだったお父さんとお母さんのことを考えると、今まで経験したことがないほどの苦しさを味わった。
だから、ラファと会話をする間だけ、僕はそのことを忘れられた。それが救いだった。
僕は唯一の家族の妹がどこにいるのか心配だった。両親が死んだときは心が壊れそうになり、そのことを考えることができなかった。でもラファと話して落ち着いてから、僕は妹のことを考えられるようになった。
妹は僕より3つ下だ。奴らは大人を殺して、僕たち子供を牢屋に閉じ込めている。きっとどこか別の場所で捕らわれているのだろう。
ラファにそのことを打ち明けたら、「じゃあ、ここから出て助けにいかないと」と軽く言われた。彼女はこんな状況でも何とかなると思っているようだ。
「これは一体何の騒ぎですか?」
ラファが騒ぎ立てる声はこの牢屋の外にも漏れていたのだろう。背の高い男が入ってきた。
見張りの男は姿勢を正して、報告する。
「この捕虜が喚き散らしていまして」
大男は俺達の方をちらっと見た。その眼差しを受けて、僕の背中に鳥肌が立った。
こいつが全ての元凶だ。僕の目の前でお父さんを殺した男。奴を見ていると憎しみが溢れ出してくる。
僕にもっと力があれば、こいつを殺すことができるのに。こいつに火をつけて、お父さんやお母さんと同じ苦しみを味あわせてやりたい。ガラス片でこの男の喉を切り裂きたい。
目の前が暗い色に染められていく。濁った何かが僕の中で膨れ上がる。
ラファが僕の手を握った。
「だめ」
何がだめなのだろう。僕は何も声を出していない。それなのに、ラファには何かが伝わっていたようだ。
自然と憎しみが消えていく。視界が澄んでいく。あの時と同じだ。僕が自分で死のうと思ったときに彼女が同じように手を握ってくれた。
「こんな狭い所に閉じ込めてしまい、大変申し訳ありません」
大男が仰々しくにお辞儀をする。この男は口調は丁寧だが、中身は悪魔だ。
「私も君達を解放してあげたいのです……」
「じゃあ、ラファ達をここから出して!」
「それは残念ながら、私が決めることではありません」
男は手に持った辞書のように厚い本を開いた。凄まじい速度でページが捲られていく。
目の横の肌には刃物のような模様がある。それがこの男の凶悪さを印象づけていた。
「アザール教典、第6章、第9節、主は仰られた……」
ゼーラ教では邪教認定されている、決して関わってはいけない宗教。
「異教徒は慈愛の心を持って、あの世へと送りなさい、子は改心させ、主のために働かせよ、それこそが幸福なり!」
アザール教。僕たちの村を焼いた奴ら。僕はこいつらを許さない。
「馬鹿じゃないの? それって抵抗する大人は殺して、子供は奴隷にするってことでしょ? ただの野盗と変わらないじゃない!」
ラファは全く臆せずに直球でものを言う。僕は男の顔色をうかがった。激昂して殺されるかもしれない。
男は俺の予想に反してにっと笑顔を作った。無理矢理顔の筋肉を引っ張ったような恐ろしい笑顔だった。
「失礼なお嬢さんですが……、私は神に仕えし身、あなたの言葉を受け入れましょう」
笑顔が消える。目の奥には怪物が棲んでいる。
「あなた方もありがたいアザール様の教えを受ければ、心からアザール様を崇拝するようになるでしょう! 教えは少し厳しいこともありますが……なに、あなた方なら大丈夫」
僕たちはこれから教えという名の、拷問、洗脳を受けるのだろう。従順なアザール教徒になるために。
「きっと立派な信者になれます! この私、アザール教司祭マルドゥークが保証しましょう」
アザール教の司祭は白い歯を見せた。恐怖と怒りで僕は頭が痛かった。自然とラファの温かい手を強く握りしめていた。