忘れ物
俺たちはイズナに教えられた方向へ走り続ける。追っ手の気配は今のところない。
イズナはやはり良い子だった。純粋で綺麗な心を持っている。ゲームでのイベントでも同様だった。
復讐の旅に出ても、サスケが怒りに任せて自暴自棄になりかけるのを、ストッパーとして何度も助けていた。
大好きな家族が目の前で切り裂かれ、夜に何度もその光景が夢に出て眠れないのを、サスケに悟られないように必死で隠していた。
最後にシリュウを倒したとき、彼の進む道を正せなかった自分を責め、唯一シリュウのために涙を流していた。
皆が幸せで、笑顔が絶えない。そんな世界を作りたいって、照れ臭そうに教えてくれた。
サスケだって、本当に良い奴だ。
復讐に駆られ、熱くなることはあっても、常にイズナのことを第一に考えていた。
兄であり、族長のヤナギをずっと目標にしてきたが、その兄を殺され、越えることが出来なかった悔しさと悲しさをずっと胸に秘めていた。
サスケもイズナも、ゲームのキャラではあるが、人間として俺は大好きだった。
シリュウは強い。
シリュウに勝つことは出来ない。戦いになれば呆気なく殺される。
物事には優先順位がある。俺は自分の命を最優先に考える。それが正しい。次に手の届く範囲の仲間を守る。
この世界はゲームではない。間違いなく現実だ。
映画でよく主人公が命がけで特攻していく。あれはフィクションだから成り立つ。現実に命を危険に晒すことなんて出来るわけがない。
俺は間違っていない。現実的に、冷静に考えると、これが最善だ。
いつまでも夢を見てはいられない。俺には特殊な力なんてないし、選ばれし人間でもない。ご都合主義な展開も起こらなければ、ピンチで覚醒もしない。
「レン!」
俺はただ、このゲームの世界に迷いこんだ一般人だ。ゲームの知識を知っているだけのゲーマーだ。
死にたくない。俺はこの世界で楽しく安全に、幸せに生活したい。
「レンってば! 聞いてるの!?」
俺はリンの顔を見つめた。
「ねぇ、レン、さっきから何で立ち止まってるの? 何で逃げないの?」
リンの目には不安が色濃く映っている。だから俺は不安を吹き飛ばすように明るく笑った。
「悪い……忘れ物をした、先に行っててくれ、すぐに追いつく」
そう言って、踵を返して再び里の方向へ走り出す。背中からリンの声が聞こえたが振り返らなかった。俺は演技が上手くない。
俺は賢い大人じゃない。
俺がやろうとしていることは馬鹿げている。自殺行為だと分かっている。きっと俺は一時的な英雄願望に酔ってる。
後できっと死ぬ段階になって後悔する。俺は何て愚か者だったのだろうと。
それでも、俺はそんな愚か者でいい。
今日は月が紅い。ゲームのイベントで知っている。一族がイズナとサスケ以外全員殺されたのは、月が紅い夜だったと。
間違いなく、今夜シリュウは行動を起こす。そして、それはゲームのシナリオ通りになる。
イズナやサスケがこれから先、家族や仲間を失ったことに一生辛い思いをし続ける。
俺はそれが許せなかった。
これはゲームじゃない。俺は呆気なく死ぬ可能性が高い。それでも、ゲームじゃないからこそ。
悲しいシナリオなんて捻じ曲げてやる。
俺はハッピーエンド以外、いらない。
血が沸き立つのを感じる。この感覚は久しぶりだ。
身体が燃え上がるように熱いのに、頭の芯が際限なく冷たくなっていく。
不可能にぶつかった時に、それを越える時にいつも感じていた感覚だった。頭が高速に回転をはじめ、本来は存在しないように思える、僅かな勝機を模索する。
鉄壁を誇る不可能の壁に、俺が持つ知識を総動員し、存在しない綻びを探す。いや、綻びを作り出す。
あらゆる条件でのシミュレートが始まる。俺が持つアイテム、スキル、敵のステータス、性格、それらを組み合わせ、何千何万の想定を行う。
まずこの状況をクリアする必要条件は、シリュウを孤立させることだ。
シリュウはまだ里の裏切り者だと知られていない。俺がそれを伝えたところで信じてもらえない可能性は十分にある。
そうなるとシリュウだけではなく、里の全員と戦うことになる。さすがにそれでは勝てない。
最低限、シリュウが裏切り者だと証明しなければならない。
次の条件は、里の者にシリュウを攻撃をさせないことだ。そもそもシリュウはサスケとイズナ以外を全滅させる力がある。それは族長のヤナギも含めてだ。
シリュウが裏切り者だと露呈し、下手に里の者が俺の仲間として戦えば犠牲は避けられない。
唯一、援軍として数えられるのはサスケとイズナだけだ。この二人は俺がステータスからスキルに至るまで把握している。だから、勝利への方程式に組み込むことができる。
逆を言えば他はヤナギであろうと要らない。俺の方程式を崩す可能性がある不確定要素は極力排除したい。
これらの条件を揃えた上で、更にシリュウを倒さなければならない。本当に笑えるほどの無理ゲーだ。
だが、俺は諦めずに無限に思えるシミュレーションを行う。自分が極限まで集中しているのが分かる。周りの時間の流れが遅くなったように錯覚した。
そして、飛び込んできたある視覚情報が、俺の脳に閃光を刻んだ。最後のピースがはまり、俺の前の道が光輝く。
暗闇の中で、勝利へと繋がる光の道筋が伸びる。俺はその栄光への道を突き進む。
俺たちを追ってくる者がいないか見張っていたイズナの存在が、俺の求めたピースだった。
「え、何で戻ってきたんですか!?」
イズナが驚いて戻ってきた俺に問いかける。俺は彼女の肩を掴んでいった。
「頼む! 俺を信じてくれ」
イズナはひどく混乱していた。しかし、俺の真剣な表情を見て、何かを悟ったように頷いた。
俺は何か聞きたそうなイズナを制し、その辺に転がっている石をいくつか拾い上げ、ポケットに手早く詰める。
そして、背中をイズナに向けて、しゃがんだ。
「乗ってくれ」
イズナは訳が分からず困惑していたが、俺が急かすと首に手を回し、俺の背中に乗った。
俺はイズナを背負いながら、スキルを発動する。
『ハイジャンプ』
身体がぐいっと上空に飛び上がる。イズナが驚いて小さな声を上げた。俺は最高点に到着し、わずかに落下を始めた瞬間に次のスキルを使用する。
『エアリアル』
落下が止まり、空中に停止する。俺はポケットから小石を取り出し、靴底に当てた。そして、『エアリアル』の効果が切れる。
同時にクールタイムが終わったばかりの『ハイジャンプ』を使用する。
足裏の小石をまるで地面のように蹴り上げ、身体は更に高く上昇する。
また先ほどの流れで、落下が始まった瞬間に『エアリアル』を使用する。
これが通称『空中散歩』という技だ。本来、ハイジャンプはクールタイムがあり、連続で使用できない。さらに足場がないと発動ができない仕様となっている。
そこで、タイミングよく『エアリアル』を挟むことで、クールタイムを終えて再度、『ハイジャンプ』を使用できる。空中で小石を足裏に当てればそれが足場となり、発動条件を満たす。
『空中散歩』を使用すれば、理論上、小石がなくならない限り、どこまでも空中を移動することが出来る。
俺は上空に登っていき、里全体を見渡せる最も高い位置にある家の屋根に到着した。イズナを隣に下ろし、里を見渡す。
俺達を探して、忍者たちが慌ただしく動いていた。
ここが 帰還不能点だ。これを越えれば、引き返せない。
現実世界では劣等感の塊だった俺が、唯一信じられるものがある。
それは不可能を可能に変える、そんな英雄としての己の才能だ。俺はその才能に絶対の信頼がある。全てを、たとえ命だろうと賭けられる。
俺は未だ英雄としての力に裏切られたことがない。
俺は大きく息を吸い込んだ。新鮮な空気が肺に流れ込む。
さあ、始めようか。
無理ゲーの攻略を。