船の墓場
俺達はクラーケンが起こす水しぶきとフレイヤの爆発音をBGMに大海原を2時間ほど進んだ。すると、前方に巨大な雲が見えた。白い雲ではなく、どこか不吉な鈍色の雲だ。
「目的地が見えた、船の墓場だ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
ジョーンズが慌てて駆け寄ってくる。
「クラーケン討伐のために俺は船を出したんだぞ! 船の墓場に行くとか聞いてないぜ!」
「あ、ごめん、言い忘れた」
「言い忘れたじゃねえぞ! 船の墓場は俺達海賊でも絶対に足を踏み入れない呪われた海域だぜ! 一度その海域に入ったら生きては帰れねえっていう伝承もある」
「大丈夫だって、俺行ったことあるし、生きて帰ってるから」
ゲームでのは話だが。
「お、俺の海賊船、沈んだりしないよな」
「約束する、そうはならない、そんなことしたらマリリンさんに殺されるし、俺達もシーナポートに戻れないし」
ジョーンズ達海賊すら恐れる魔の海域、それが船の墓場。目的地を行ったら絶対反対されるので、ジョーンズ達にはあえて黙っていた。
急に霧が出てきた。視界が失われ、もう水平線は見えない。どんよりとした雲が上を覆い、太陽も見失った。
昼間であるはずなので、夜のように薄暗い。海の色がタールのように黒く染まって見える。
気温が一気に下がり肌寒い。ジョーンズは自分の船が心配なのか青い顔で何かを祈っていた。
この船の墓場には多くのアンデットがいる。腐った見た目をした怪魚の群れや実体のないホロウのようなモンスターが出現する。
そして、この海域を漂流する幽霊船には元海賊のアンデットが大量にいる。そこには実質倒すのが不可能な存在がいる。行動さえ間違えなければ仲間にもすることができる。
強力ではあるが、パーティに加えることで大きなデメリットを生む使いづらいキャラクターだ。準備なしで敵に回せば俺達でも勝てないだろう。
クラーケンは相変わらず俺達を襲い続けている。だが、それもそろそろ終わる。
船の墓場では絶対に海に入ってはいけない。もし間違って海に落ちてしまえば、すぐに上がらなければ死が確定する。奴は水音を聞きつけて現れ、対象を海の底へと引きずり込む。この黒い海に入ることが許されているのは命のないアンデット達だけ。
名前は分からない。姿も分からない。俺達LOLプレイヤーは勝手に白い手と呼んでいる。
ゲームで俺は船の墓場の海に何度か落ちたことがある。そこからはまさにホラーだ。急いで海から出ないと、海底からまるで手のように見える白く細いものが無数に現れる。
暗い海の中ではほとんど視界が得られない。そんな中で、薄っすらと光るその白い手は対象を捕まえて、海底へと引きずり込む。攻撃をしても透き通るため、ダメージを与えられない。一度捕まえられたら逃れることはできない。
水中耐性があっても無駄だ。酸素量がなくなることはないが、なぜかある一定の深さまで引きずり込まれると画面が暗転して死ぬ。もちろん英雄達は解析を始め、即死耐性や様々な対策を施して白い手に引きずり込まれてみたが、どんな対策をしても必ず死ぬことになった。
よくLOLはこんなホラー演出があって問題にならずに発売できたと話題になった。実際にゲームで白い手を経験したら発狂してトラウマになる人も多かった。子供が体験したら、いろいろと精神が壊れてしまうレベルだ。子供はLOLをここまでたどり付けずにチュートリアルでリタイアするから、安心かもしれないが。
暗い水の中で無数の白い手が次々と体を掴み、海底へと引きずられていく。必死にもがいても水面が遠ざかっていく。あの恐怖は俺でも脳に刻まれている。だから現実世界でこの黒い海には絶対に落ちてはいけない。
飛び出してきたクラーケンの足に変化があった。急に慌てたように海底へと戻っていく。クラーケンに同情するよ。あの白い手が現れたのだろう。
静かな海がクラーケンの抵抗によって激しく波打った。俺達は手すりなどに捕まって振り落とされないように踏ん張る。クラーケンは必死に引きずり込まれないように足掻いている。
10秒ほどで激しい波は消え、まるで何事もなかったかのような静寂に包まれた。クラーケンであろうと白い手には敵わなかったのだろう。
「クラーケンはこれで討伐した」
「何をしたのか良くわからないけど、ここが良くない場所だってことは分かるわ」
リンは常に警戒した状態で周囲を観察している。霧が深く近くしか視認することができないため、警戒心がより強くなる。
「みんなで分担して周囲を確認してくれ、モンスターが乗り込んできたら、俺に知らせて欲しい」
海賊団の船員も含めて全員が死角を作らないように船の周囲を観察する。
「船が見えたら絶対に攻撃をしないですぐに教えてくれ」
厳重な警戒なまま、船は行く宛もなく進む。ここに目的地というものはない。この広い海域で幽霊船に遭遇することが目的だ。
「モンスターです!」
しばらくして海から看板に何かが飛び込んできた。ゾンビフィッシュだ。腐った体に骨が突き出している魚、甲板を跳ねるようにして移動してくる。
「問題ない、ただ攻撃をすればいいだけの敵だ、ポチ!」
「やだ! このお魚、くさい!」
「……ドラクロワ!」
「俺も……この匂いは無理だ」
船員から更に声が上がる。
「も、もっと来ました、モンスターです!」
大量のゾンビフィッシュの群れが甲板に飛び込んでくる。現実になると腐敗臭が酷く、吐き気を催すレベルだった。鼻が良いポチとドラクロワは鼻をつまんで悶絶している。
結局ギルバートとユキとフレイヤの遠距離攻撃担当が殲滅してくれた。
それから何度かアンデットモンスターの襲来を受けたが、俺達は問題なく対処していった。
「なあ、いつまで待てばいいんだ?」
ドラクロワが飽きて文句を言い始めた。確かに俺もそろそろ面倒になってきている。幽霊船はこの海域内をランダムに動く。それに遭遇しなければならず、ゲームでも運が悪いと30時間くらいかかることもあった。
「おい、何だよこれ……」
その時、ジョーンズの呟きが聞こえた。俺達はジョーンズの視線の先を見た。霧の中から現れたのは黒い壁だった。
いや、正確には壁に見えるほど巨大な海賊船だ。ジョーンズの船も大きい方だが、現れた海賊船と比較するとヨットに見える。
「やっと来たか……、みんな絶対に攻撃するなよ」
幽霊船デッドマン号。中はダンジョンのように広く、アンデットモンスターの巣窟となっている。ただ貴重なアイテムも多く存在する。難度は非常に高く。アンデット系の対策を入念に準備する必要がある。
そして、幽霊船と遭遇したときの最初のイベントがある。ここで選択を間違えると俺達は殺される。
黒く大きな影が甲板の中央に降ってきた。何かが、幽霊船からこちらに飛び移ってきた。
人の形をしている。ボロボロの汚れた海賊服と帽子を身につけたその人物はゆっくりと顔を上げる。顔を見て動揺が広がる。
所々にフジツボを付けた髑髏だった。存在しない眼窩が淡く発光している。身長は2メートルを超える。禍々しい瘴気が全身から溢れ出している。
「剣を抜くな」
つい恐怖で抜刀しようとする船員を俺が止める。明らかにスケルトンなどとは次元の違う邪悪さ。未だに朽ちていない金の装飾だけが不気味に輝いている。
ゲームではこれを敵だと認識して戦い始めるプレイヤーも多かった。俺も初見のときはモンスターだと思って戦ったが、呆気なく殺された経験がある。
「生者か……久しいな」
嗄れた声が聞こえた。遥か昔に死に絶え、未だにアンデットとしてこの世界にすがりつく海賊。髑髏船長ユースタス。
ユースタスはこちらの行動次第で敵にも味方にもなる。敵に回すと極めて厄介な相手だ。
「カカカ……お前だけ、恐怖をしていないな」
ユースタスは骨を鳴らして笑いながら、白く細い指を俺に向けた。
「敵対する意思はありません、ユースタス船長」
ユースタスはしばらく空っぽの目で俺を見る。またカタカタと骨を鳴らした。
「カカカ……この俺を……知っているのか……面白い」
ユースタスは俺に一気に顔を近づけた。瘴気によりダメージを受ける。それでも俺は微動だにしない。
「小僧、俺はな……気まぐれで有名なんだ、死者はな……生者が羨ましく……憎しみを抱く」
俺の頭を固い骨の手で掴む。目の前に不気味に光る目のくぼみがあった。更に強くなった瘴気により俺のHPが減っていくのが分かる。
それでも俺は動かない。反撃も回避もしない。ここで少しでも戦闘の素振りを見せると、ユースタスと戦いになってしまう。
「……それが死者の本能……でもな、俺はずっとこの海域から出られない……だから、暇なんだ」
ユースタスが俺から少し離れる。ユースタスを仲間にするためのイベントが始まる。
「だからゲームをしないか……俺は命を持つ奴が憎い……それは死者の本能だ、でもな……俺の意思は別にある……俺の暇つぶしに付き合ってくれないか」
俺の答えは決まっている。
「ええ、俺でよければ、喜んで」
楽しそうに骨がカタカタと鳴った。




