英雄の本音
俺は山道を全速力で走り、ランの家に向かう。
その途中、俺の全身を豪雨とも錯覚するほどの凄まじい威圧が襲う。思わず足がすくみそうになるが、必死に前へと走り続ける。
間違いなくライオネルの威圧だ。普段は抑えているが、凄まじい迫力だ。何かあったのかもしれない。
もうすぐランの家に着くところで、俺は上空の存在に気づいた。
遠いため姿が小さいがライオネルが上空に浮いている。空からガルドラ山脈を一望している。
ライオネルが何をしようとしているのか分かった。ゲームでガルドラ火山の鬼ごっこで最も厄介だったスキルだ。ライオネルのステータスは誰も覗いたことはないが、恐らく『気配察知』の上位互換スキル。
ライオネルを中心に空間が歪む。その歪みがドームのように球状に広がっていく。無色透明なので普通の人間には目視が難しいが、俺はゲームで何度も経験して慣れている。
ゲームではガルドラ火口で何度も空間の揺らぎが壁をすり抜けて現れる。そして、揺らぎに触れた瞬間に居場所がバレて、ライオネルが向かってくる。だから、触れた瞬間に大急ぎで場所を移動しなければならない。
幸いこのスキルにはそこそこ長いクールタイムがある。一度、空間の揺らぎに晒されたあと、何とか逃げ切れば次の発動までは時間があった。
ゲームでは気配遮断系の隠密スキルも効果がなかった。リンの父親がランとリンにかけた気配遮断魔法も効果があったかは分からない。ライオネルが既にリンの父親と母親、2体の龍を目視していたから、あえてこのスキルを使うことがなかったことも考えられる。
その揺らぎは一気に広がり、俺を飲み込む。もちろん俺の存在もライオネルに認識される。だが、ライオネルは1人の人間などに何の興味も持たないだろう。
それがあの男の油断だ。俺はこの世界で唯一、お前を殺せる場所にいる。
そして、ライオネルがこのスキルを使用するということは、ランがまだ見つかっていないということ。恐らくライオネルが駆けつけるよりも早く逃げ出すことができた。
ライオネルは動かない。存在を知覚するスキルなので明確にランだと分からないのだろうか。それともランが範囲外に逃れていたか。
ライオネルは火山の方に視線を向ける。そして、移動を始めた。
俺はライオネルがガルドラ火口に向かったのだと分かった。ガルドラ火口はダンジョンだ。
複雑に入り組んだ洞窟となっており、隠れる場所も多くある。だからこそ、ライオネルとの鬼ごっこイベントが成立する。もし遮蔽物のない外で鬼ごっこなどしたら、一瞬で捕まることは目に見えている。
俺はランの家に到着し洞窟の中に入る。中を進むとリンがいた。床に座り込み、俯いている。幸い生きてはいるようだ。
「リン、大丈夫か?」
リンはゆっくりと顔を上げる。憔悴した表情だ。
「……ランは逃げたよ、ライオネルはそれを追って行った」
やはりそうか。それにしてもリンの様子が気になる。リンはここでライオネルと遭遇したはずだ。
「リン、ライオネルと会ったのか?」
「……うん、あれは無理だった、蟻と象の戦いみたい、同じ土俵にも立てない、はははは……私、何してたんだろ、あんなの初めから倒せるはずないのに、レンが復讐を止めた理由がわかった、私は……本当に馬鹿だった、はは、ははは」
乾いた笑い声が洞窟に響く。今まで目標としてきたもの、それが叶わないと分かった時、人は自分の心を守ろうとする。
心を守るために、リンは自分を馬鹿だと笑っている。涙を流しながら、おかしそうに笑う。
俺はこんな時に優しい慰めの言葉なんてかけられない。誰かに寄り添えるほど、出来た人間じゃない。
でも、俺にもできることはある。
「お前は馬鹿じゃない、笑うなよ」
俺はリンを笑わない。むしろ英雄というのは、庶民から笑われるものだ。だが、その偉業を成し遂げた瞬間、嘲笑は喝采に変わる。
「俺が証明してやろう」
きっと優しい言葉や慰めの言葉はリンを救える。でも、俺には俺のやり方がある。気の利いた言葉や励ましなんかじゃない。
「俺はランを救いたい、だから、ライオネルを倒すよ」
これはもう決まったことだ。俺はリンの唯一の家族、ランを守ると決めた。
リンが俺を見上げる。これはリンを励ますために言うような安っぽい慰めとは違う。俺が自分の意思でそうすると決めた。
「……無理、絶対に無理、いくらレンでもあいつには勝てない」
無理か。今まで何度その言葉を聞かされてきたか。その度に俺はその言葉とは逆に進む。
「まだ俺の本気を見たことがないだろ? 俺はライオネルを倒せる」
俺らしくなかったな。リンの復讐に手を貸さないと言っていたのは俺の本心だ。でももう1人の俺にずっと嘘をついていた。
「……本当に? ランを救える?」
もう1人の俺。本当の俺はこの状況で笑っている。前作の主人公であり、最古の竜狩り。最強と謳われる存在。ドラゴンスレイヤーを倒すことに心を躍らせている。
「ああ、約束するよ」
俺はリンの腕を引く。リンはゆっくり立ち上がった。
超越者と言える最強の男を超える。これこそが不可能。その不可能を俺はひっくり返す。これほどまでに血が沸くことがあるだろうか。
俺は狂人かもしれない。だが、それで良い。我が道を進む。求める未来を誰にも縋らない。自力で作り出す。
「信じろ、お前の目の前にいるのは、あるゆる不可能を乗り越える英雄だ、作ってやるよ、後世に語り継がれる本物の英雄譚というものを」
リンは俺の顔を見る。そして、涙を拭った。濡れた目に光が生まれた。
「信じていいの?」
「ああ、信じればいい」
俺は師だ。リンの憧れ、目標、夢。だからこそ、師は先を進み道を切り拓かなくてはならない。
ランが危険な状況で不謹慎だが楽しくなってきた。身体に染みついたゲーマーの血が騒ぎ出す。むしろ、この方が俺のパフォーマンスは向上する。
さあ、無理ゲーを攻略しよう。