無関心
私は心を落ち着かせる。殺したいほど憎い相手が前にいても、冷静に徹する。
「君はなぜここにいる?」
ライオネルが問いかけてくる。私は頭をフル回転させる。
「お願いします! 助けてください!」
私は演技を始める。最適解はこの選択のはずだ。
「どうしたんだ?」
「人の言葉を喋るドラゴンに捕まっていたんです、今は多分狩りをするために外に出てますが、すぐに戻ってきます、この前、逃げようとしてすぐに捕まえられてしまって……」
あえて龍という言葉を出さない。赤竜などと同じドラゴンの括りで話し、無知を演出する。
「もう安心していい、僕はその龍を倒しにきた」
「待ってください! 怖いので置いていかないでください!」
ライオネルをこの場所に少しでも長く留める。
「外で探して討伐してくる、君にとってもその方が安全だ」
「では私も一緒に行かせてください、独りになるのが怖くて」
「いいだろう、それでは一緒に行こうか」
ライオネルは人を疑うことが苦手なのだろう。龍は悪だと思い込んでいる。だからこそ、私が被害者である認識を持っている。
私はライオネルと共に洞窟の外に向かう。目の前に無防備な背中がある。今なら私の攻撃でも当てられるかもしれない。
そう思いながらも耐える。私に出来ることはただ時間を稼ぐことだ。
ライオネルと共に外に出る。ライオネルが目を閉じている。
「周辺にはいないみたいだ、空も飛んでいない、本当は使いたい索敵スキルがあるが、先ほど使ってしまったからな」
ランの速さなら、すでにかなり離れることができたはず。少なくとも今のライオネルの索敵範囲からは逃れている。
このままライオネルが見つからないことで諦めてくれれば良いが、そうはならない。この男の龍に対する敵意は常軌を逸している。
その時、黒竜が急に現れた。私はすぐに反応してエクスカリボーに手を伸ばす。しかし、その手が柄に触れるよりよりも早く黒竜は青い粒子と変わっていた。
絶望を味わう。私は強くなった気でいた。それは勘違いだった。ライオネルが一撃で黒竜を始末していた。私が剣に触れるよりも早く。
何が起こったのか分からない。いきなりライオネルの身体が霞のように消え、黒竜が青い粒子に変わった。そこに剣を握るライオネルの姿があった。
異次元の強さ。今まで強敵にはいろいろ会ってきた。それら全てが弱く見えるほど、ライオネルの力量は凄まじい。レンですら勝てないと思ってしまった。
これは作戦や戦略などで、どうこうできる相手ではない。復讐しようとしていた自分があまりに愚かに思えた。
私はこの人を倒せない。お父さんとお母さんを殺したこの男を一生懸けても倒せない。そう確信した。私の復讐は叶わない夢だった。
「大丈夫かい?」
黒竜を一瞬で倒したライオネルは私の心配をしている。大丈夫ではない。今、私の心は折れた。
それでも私は絶望を跳ね除けて演技を続ける。ランを助けるために。
「……はい、すごく強いんですね」
ライオネルは不思議そうな顔をした。
「あんなただのモンスターは誰でも倒せるよ、もっと強い奴らがこの世にはいるから」
龍のことを言っているのだろう。ライオネルにとって黒竜など歯牙にもかけない存在、ただ害虫を駆除した程度のことなのだろう。
「さて……どうしようか」
「このまま待っていれば、あのドラゴンは戻ってくると思います」
追う手がなくなったからライオネルは困っている。私はランが逃げ延びた事に安堵した。
「確かに待ち伏せすべきかもしれないな」
予想以上に聞き分けが良い。ライオネルの立場であれば冷静な判断だ。どこに行ったかわからないが住処は分かっている。張り込んで戻ってくるのを待つのが得策だと思ってくれた。
「君を街まで送ってあげたいが、いつ龍が戻ってくるかわからない、しばらく付き合ってくれ」
私とライオネルは再び洞窟に入る。こうなるとは思っていなかった。私は両親を殺した仇と一緒に過ごすことになった。
ライオネルは胡座をかいて、床に座る。私はその気配の希薄さに驚いた。きっと、龍に感知されないように気配を消しているのだろう。同時に僅かな気配を感じ取れるように感覚を拡張している。
そこにいるのに存在しない。ライオネルの気配の消し方は尋常ではなかった。目で見えているのに、それが幻のように思える。
「助けてくれてありがとうございます、あなたのことを教えてもらえませんか?」
私はライオネルに話しかける。きっとこの男と話が聞けることなど今後ない。なぜ龍を憎むのか、どうして両親を殺したのか知りたい。
「僕はライオネル、ガルデニアで烈火団を取りまとめている」
予想に反して、会話をしてくれる。ライオネルは狂人ではないと今更ながら分かった。この人は善や悪などの単純なものでは測れない。ただ龍を憎んでいるだけだ。
「私はリンと言います、冒険者をしていて、この街に来て、修行のためにガルドラ山脈に来ました」
「そうか、そこで龍に襲われたと」
「はい、私では歯が立ちませんでした」
「龍は規格外の生き物だ、普通の人には倒せないよ」
「あなた……ライオネルさんなら倒せるのですか?」
「ああ、僕は龍を殺せる、全ての龍を駆逐するのが僕の使命だ」
「なぜ、龍を殺すのですか?」
演技に徹するのであれば聞くべきではなかった。しかも、声に反発する色が乗ってしまった。
「かつてディアボロという龍がいた、龍達はディアボロを中心に世界を牛耳っていた、多くの人間が死んだ、私の師匠もディアボロに無惨に殺され、魂への冒涜とも思える仕打ちを受けた」
「でも、中には悪くない龍もいるのではないですか?」
お父さんやお母さん、そして、ランのことだ。
「それは理解している、ただ龍は人間を害する意思があろうとなかろうと力を持っている、何か気が変わって人間を殺そうと思えばとてつもない被害が出る、だから僕はリスクを摘み取っているだけだ」
横暴な理論。力を持っているから、リスクがあるから殺す。あまりに独善的だ。
「それは……偏った意見に思えます」
私は何をしているのだろうか。ここでライオネルを騙し続けなければいけないのに。なぜ反論しているのか自分でも分からなくなる。
「偏った……か、確かにそうかもしれない、僕はただあの頃、龍から受けた仕打ちを思い出し、奪われた大切な者たちの復讐をしているだけだ」
ライオネルはここで初めて、私の目を見た。
「復讐というものは全てただの自己満足だ、誰かに理解されるものではない、だから、周りにどう言われようと僕は復讐を続けるだろう」
復讐は自己満足。その言葉は私を強く納得させた。私がライオネルを憎み、殺したいと思う。それはレンやランからは止められる。なぜこの気持ちを理解してくれないのかと思っていた。
もともと誰かから理解されるべきものではなかった。
私は心の底から憎んでいるこの男と同じだった。それがたまらなく悔しくて辛かった。
「僕は龍を赦すことができない、大切なものを奪い去った存在、たとえ八つ当たりだとしても、僕は全ての龍を駆逐する、正義などと思わない、ただの利己的な感情だ」
感情がごちゃ混ぜになる。そんな暴論でお父さんとお母さんを殺したことに、目の前が真っ赤になるほどの怒りを感じる。同時に共感をしてしまう自分もいる。
私は何をすべきか分からなくなっている。あまりにかけ離れた実力、復讐することが絶対にできない強者。
「やはりここで待つのはやめようか」
ライオネルは何を思ったのか唐突に立ち上がった。
「こちらに向かう途中、気配察知のスキルを使った時、一瞬だけ強い魔力を感じた、しかし、私がここに来た時、その姿はなかった」
ライオネルはなぜか自分の考えを口にする。まるで私に聞こえるように。
「つまりこちらの存在に気づいて逃げたと考えるべきだろう、恐ろしく勘の良い龍か、または僕の存在を知っている誰かが逃げるように言ったか、どちらにせよこのまま待っていても戻ってくる可能性は低い」
ライオネルが立ち上がる。まずい、もっと会話を引き延ばしたい。
「もう嘘はつかなくていい」
私が言葉を吐き出そうとした瞬間、ライオネルはそう言って制止した。
「僕は長い時間を生き過ぎたせいで、人間の感情の機微に疎くなっていると自覚している、弱き者が戯言を吐こうと、その真偽にいささかの興味もない」
その瞬間、今まで希薄だったライオネルの威圧が膨れ上がった。この男は自分の気配を自由に操れる。私の身体は本能的に震え出す。
「はじめは君を信じていたが話してみて分かった、君は僕を恨んでいる、それだけは分かる、殺意にだけは敏感だからね、僕は君に興味もないが、ここにいても龍を殺せないことだけは分かる」
恐怖と怒りに全身が満たされる。私はもう殺される。どうせ死ぬなら、この男に一矢報いたい。
「私は……両親をお前に殺された!」
「そうか」
私の中の何かが音を立てて切れた。エクスカリボーを掴む。死を覚悟する。それでもこの男に一撃を入れたいと思った。
ライオネルは私から視線を逸らした。
私の一撃は虚しく空を切る。ライオネルの姿はもうどこにもなかった。幻のように私の攻撃はすり抜け、ライオネルの姿は霞んで消えた。
私はエクスカリボーを落とす。乾いた木の音が洞窟に響いた。そのまま、膝を落とし、手を地面につける。涙が止めどなく溢れてくる。
最後に見たライオネルの表情が頭に焼き付いて離れない。何の感慨もなく、興味のないものを無視する表情。
私が必死に努力してきたこと、命を賭けて攻撃をしたこと、それらはどれも、ライオネルにとって何でもないものだった。
ライオネルはこの私を殺そうともしなかった。何の興味も関心もなかった。無関心こそが私にとって最大の屈辱だった。
私の復讐は終わった。旅する目的も、これ以上強くなる意味もない。もうランを救うために私に出来ることはない。ただ、祈ることしかできない。
涙がこぼれ落ちるのを止めることができない。私はこんなにも弱かった。ただ強いふりをしていただけ。あの時、お父さんとお母さんが死んだときに、震えていた少女から何も変わっていない。