家族の記憶
ランが近くに生えている草を指差す。
「お腹空いたら、はっぱ食べてね」
それはリンが何度か美味しいと言っていた植物だった。
「これはリュウメイ草、龍と人間が一緒に食べられる栄養満点の草よ、ガルドラに自生しているから子供の頃、よく食べたの」
リンが説明してくれる。自分で草を引き継いで、茎を噛んだ。
「久しぶりの味……」
俺達も真似をして、リュウメイ草を噛んだ。不思議な味わいが口に広がる。少しの甘さと鼻を抜ける清涼感。どこか現実世界のスポーツドリンクを彷彿とされた。
その後、リンとランは久しぶりの再会で積もる話があったようで、楽しそうに話を弾ませている。
俺は状況を聞きたかったが、タイミングを掴めずにいた。ギルバート達が無事にドラゴンの群れから逃げきれたかも気になる。
それにしても、まさか本物の龍が存在するとは思わなかった。これはリンの固有イベントが絡んでいるのだろう。俺はゲームでリンのイベントをこなしていないから、彼女の過去を知らない。
1つの懸念があった。プロメテウスだ。奴は『天眼』で空から俺を俯瞰している。
龍であるランが見つかってしまった可能性が高い。プロメテウスは龍の涙を欲している。ランからそれを手に入れようと動く可能性がある。
ランの姿を改めて見る。光沢のある鱗が輝いている。性格は幼いが、身体は立派な龍だ。あの時の黒竜の戦いを見ても、その強さがよく分かる。
プロメテウスはランを襲うことがないだろう。そもそもプロメテウスではランに歯が立たない。無理矢理に龍の涙を奪うことなど出来るはずがない。
プロメテウスが望むのは、俺がランと仲良くなって龍の涙を手に入れることだ。それを俺から奪い取る。それが現実的だろう。
プロメテウスは無謀なことはしない。どちらかと言うと安全策を選びたがる。だから、プロメテウスにランの存在がバレることは、そこまで大きなことではないかもしれない。
もちろんプロメテウスが言葉巧みにランを騙す可能性はある。ランには後でプロメテウスのことを話して、絶対に信じないように伝えようと思う。
冒険者2人とフレイヤはさすがに疲れが溜まっていたのか、洞窟の壁で寝息を立て始めた。
俺は自然とリンとランの2人と会話をする。夜遅いが、眠気はなかった。聞きたいことは山ほどある。
「レンちゃんのこと、リンちゃんからいっぱい聞いたよ! すごい人なんだね」
ランの素直な尊敬な眼差しを受けて、若干気恥ずかしさを感じる。
「そろそろ話してくれないか? 2人のことを」
リンが頷く。俺がゲームでも知らなかったリンの過去が分かる。
「ランは私の妹なの」
「リンちゃんは私のお姉ちゃんなの!」
「私は人ではなく、龍に育てられたの、私のお父さんとお母さんは龍よ」
リンが少し寂しそうな顔をした。俺はリンの言葉を思い出した。彼女はガルドラ地方出身と言った。しかし、ガルデニアの出身ではない。
彼女はガルドラ山脈に住んでいた。龍と共に。
「私が赤ん坊の頃、お父さんに山脈で拾われた、人間の両親の姿はなく、私はただ泣いていたみたい」
どうゆう経緯があったのかは分からない。リンの本当の両親が山脈で襲われて死んだことも考えられるし、彼女が山に捨てられた可能性もある。
「そして、私はお父さんとお母さんに育てられた、龍は言葉も話せて、人間よりも博識だから、多くのことを教えてもらったわ」
最強生物の龍に守られているのだから、ガルドラ山脈にいたとしても問題なく過ごせていたのだろう。
「私はお父さんとお母さんに拾われて幸せだった、きっと人間の世界で生きるよりも、幸せなんだと思ってる」
心優しい龍の夫婦。彼らの愛情により、リンは真っ直ぐに育った。
「途中で、ランも生まれて、私に初めての妹ができたし」
「ランはリンちゃんから、いろんなことを教えてもらったの!」
種族は違っても、家族としての幸せがある。リンにとって恵まれた環境。そして、俺はこの先の話を既に予想できている。
リンが1人で人間の世界に来た理由。そして、ここにラン1人しかいない理由。
「私の両親は優しすぎた、私を助けたように、他の人間も山で困っていたら助けていた」
力を持つ者は、その力をどのように使うかを考えなければならない。リンのお父さんはその力を誰かを守るために使った。
「ずっと隠れていれば、幸せな生活がずっと続いたはずだった」
俺は旅館でリンが見せた表情を思い出した。今まで見せたことのない顔だった。
「お父さんとお母さんの存在が、ガルデニアの人にバレたの」
俺は何と声をかければ良いのかわからない。その先は想像に難くない。
「ガルデニアの英雄、ドラゴンスレイヤーが動き出した」
ライオネルは龍に対して尋常ではない憎悪を見せる。かつてディアボロから受けた仕打ちにより、龍は絶対悪という歪んだ認識がある。
「お父さんとお母さんは戦闘を拒んでいた、話し合おうと歩み寄っていた、もちろん龍の中には悪い龍もいる、でも良い龍もいる、それは人間でも変わらない、そんな当たり前のことが、あの男には分からなかった」
ライオネルの力は龍すら凌駕する。そして、言葉で説得できる性格ではないことも分かる。あの男の認識は歪んだまま、戻らない。
「お父さんとお母さんは、私の目の前で殺された」
大切な家族が目の前で殺される。そんな計り知れない苦痛が、幼いリンに与えられた。
俺はいつも恨む。LOLのシナリオライターは本当に性格が悪い。人の不幸を好んでいる。現実になった世界で、どれだけの人が不幸に陥っているか。
「ランだけは隠し通すことができた、まだランは小さかったから、私と一緒に隠れていた、お父さんとお母さんはもしもの時のために、私に言った、ランを守って欲しいって」
「ランは怖くて何もできなかったの、ずっと目を閉じていたの、リンちゃんが手を握ってくれた」
「お父さんは私とランを隠して、気配遮断の魔法をかけてくれた、ドラゴンスレイヤーでさえ、気づくことができない魔法だった」
これがリンの根源。頑張り屋という二つ名は俺が考えていたよりも、ずっと重い。
「私は……あの時の無力感を忘れられない、何もできなかった自分を許せない、ただ震えて、お父さんとお母さんが殺されるのを眺めていた自分が許せない、だから」
冷静に話していたリンの目から涙が一筋流れた。
「だから……私は力が欲しかった! 誰よりも強くなりたかった」
彼女が力を欲する理由。それは過去の弱い自分との決別だった。一度こぼれた涙は、もう止められない。リンの瞳からボロボロと涙が溢れる。
「ねえ……レン……私はあの男、ドラゴンスレイヤーを倒したい、お父さんとお母さんを奪ったあの男を私は許せない、だから、あなたの……英雄の力を貸して」
リンの表情は憎しみと決意、そして悲しみに満ちている。感情が錯綜している。
「きっと……この世界で……あの男を倒せるのは、レンだけだと思うから」
本気でそう思っているのだろう。リンの瞳に映る俺は、どんな不可能をも覆す、神様のような存在だった。
俺はランを見る。龍の表情など読めない。しかし、目は何よりも感情を伝えてくれた。リンの思い、ランの思い、そして、俺の思い。それは似ているようで、別物だった。
だから、俺の返答は決まっている。
「それは断る」
リンが目を見開く。俺のことを完全に信じていたのだろう。俺はその信頼を裏切った。
リンが拳を握りしめて俯く。彼女がこんなにも自分の感情を見せるのは初めてかもしれない。
「どうして……そんなにライオネルが怖いの?」
ライオネルの強さは俺も知っている。だが、俺が抱く感情は恐怖ではない。
俺はきっとリンの気持ちを何も分かっていないのだろう。だから、こんなときに冷静な判断をしてしまう。
「俺は復讐には手を貸さない」
復讐。あらゆる創作物で、その感情は扱われてきた。復讐心は強烈な動機となる。人を突き動かす原動力だ。
しかし、それはハイリスクローリターン。今持っているものを失うことも多い。そして、成し遂げた後に残るものは、行動に見合わない虚無感だけ。
これは当事者ではないから、そう思えるのだということも俺は理解している。結局、他人は他人だ。俺がどれだけリンの気持ちを想像しようと、それは到底本物には及ばない。俺が同じ立場ならば、復讐のために動くのだろう。
だからこそ、俺は違う立場として、リンを止めなければならない。ライオネルと戦うことで、今ある幸せも失うことになる。復讐を成功させても、死んだ両親は帰ってこない。そんな安っぽいセリフが頭に浮かぶ。
「もういい……私が今まで力を求めてきたのは、ライオネルを倒すため、レンが協力してくれないなら1人でする」
リンには珍しくかなり感情的になっている。それだけ彼女の復讐心は強い。
「ライオネルと戦って、どうなる? 殺されるかもしれないし、奇跡的に勝てたとして、何も変わらない」
「レンには分からない! 何も変わらない? そんなわけがない、お父さんとお母さんが報われる」
「リンの両親はそんなことをしても喜ばない」
「ふざけないで! 会ったことのないお父さんとお母さんのことなんて、レンにわかるわけない、他人が口を挟まないで!」
リンが立ち上がり、エクスカリボーを取り出す。
「私はレンのおかげで強くなった、そのことは感謝してる、でももう終わり、私は1人で戦える」
俺も立ち上がる。
「リンはまだ弱い、ライオネルの足元にも及ばない、だから、師匠として弟子を止める」
「私はもう、あなたを超えられる」
リンが動き出す。俺も一歩下がって構えた。ここで俺は分からせないといけない。リンを守るために。




