世界樹へ
しかし、ここで問題が発生した。リン達がついてこれないのだ。
「大丈夫だって、早く降りてこいよ」
俺の声にリンは全力で首をふる。ポチまで首を振っていた。
「だから木から降りることは出来ないの!」
俺は困り果てた。俺だけでこの奥に進むことはできるが、リンとポチをここに放置していくわけにもいかない。
俺は飛び上がり、木を蹴りながら上昇し、上の木に戻ってきた。リンはほっとした顔をした。
「良かった、戻ってきてくれて」
俺はリンの腕を優しく掴む。いきなりの行動にリンは少し驚いた顔をした。
「え、な、何?」
「大丈夫、怖くないから、一瞬で終わるから」
台詞だけ聞くと犯罪者に思える発言をした後、俺は腕に力を込め、一歩踏み出す。そして、リンの華奢な身体を投げ飛ばした。
「きゃあああ!!」
悲鳴をあげるが、すぐに鈍い音がしてリンの身体が空中で向きを変え、再び俺の足元に戻ってきた。
「い、痛い……」
リンは頭を押さえている。どうやら見えない壁があり、それにぶつかってはじき返されたようだ。
俺は唸り声が聞こえ、振り返る。普段温厚なポチが後ずさりしながら、全力で威嚇していた。
いや、もう何もしないよ。
俺は考える。ゲームキャラではこの境界を越えることができないらしい。精神的な制約があるのかと考えていたが、物理的な制約もあるようだ。
ならば、俺1人で先に進むしかない。幸いこのダンジョンはモンスターが出ない。リン達には待ってもらうしかないだろう。
「よし、俺1人で行ってくる、お前たちは待っててくれ」
リンは起き上がり、非難する目で俺を見上げている。
「その前に何か私に言うことはないの?」
「悪かったよ、俺はリンと一緒にこの先に進みたかったんだ」
俺の言葉にリンはちょっと驚いたような顔をした。何か変なことを言っただろうか。
「まあ……そうゆうことなら赦してあげる」
最近、俺の株の暴落は止まることを知らないが、今回は許してくれたようだ。
「じゃあ行ってくる、いいか、絶対にここを動くなよ、動いたらきっと二度とこの樹海から出られない、それと俺を追ってくるなよ、何があってもあの位置より先に進まないように」
俺は指を境界の位置に向ける。俺のあとを追ってあの境界を越えれば、ワープして別のところに飛ばされてしまう。
「レンも気をつけてね」
俺はリンに預けていた沼のモンスターのドロップアイテムを受け取り、別れを告げて木の枝から飛び降りた。
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俺は道なき道を進み、ワープする境界を超えてから再び木の枝に戻った。1時間ほど歩いて、視界が開け広々とした空間で出る。
太陽の光が降り注ぎ、川が流れている。いくつもの小さな滝があり、美しい水音を立てる。
そこに木で作られた家が立ち並んでいた。遠くに天まで届く大木が見える。ここがエルフの里だ。
美しい光景だが、里に活気はなく、村人の姿は全く見えない。俺は既にこの事態を予測していた。
プレイヤーが初めてこの里に来た時、自動的にイベントがスタートする。
俺が街の中を進んでいくと、若いエルフの男が壁にもたれながら、倒れていた。俺が近寄ると辛そうに顔をこちらに向け、目を開けた。
「……まさか旅人とは、珍しいこともありますね、申し訳ないですが、今はあまり歓迎できません」
男はそう言うと、大きく咳をした。
「ごほっ……原因不明の疫病で皆倒れています、これも世界樹にあいつらが向かってからです」
俺は男の側まで寄り、肩を貸した。そのまま、男が指を指した家屋まで共に歩く。
「俺は……はじめから反対だったんだ、あいつらが世界樹に行くことに、なのに長老が許可を出した」
俺は男の家まで送り届け、彼を木のベッドに寝かせた。隣では彼の妻と思しき女性がうなされている。
「世界樹は……私たちを守ってくれる、お願いです、もうこの里には動ける者がいません、どうか世界樹を、私たちを救って下さい」
俺は彼を安心させるように強く頷いた。
「ああ、任せろ」
ゲームの時、このイベントは何度も体験した。だが、現実になった今、受けた印象は別物だった。
彼の切実な眼差し、妻の苦しみ、それらが作り物ではなく本物だと分かった。この世界の人間はみんな生きてる。いくらイベントの強制力があるとしても、俺にはそのことが身を持って理解できた。
俺は立ち上がり、家を出る。これはただのイベントかもしれない。俺もただ装備品目当てでここを訪れた。だが、それでも、この人達を救えるのはプレイヤーである俺しかいない。
天まで聳え立つ世界樹に向けて歩く。この先で俺を待つもの。それはやはりこの俺が愛した世界、LOLらしいもの。無理ゲーだ。
ここからが英雄の仕事だ。
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世界樹は蔓や枝が螺旋のように巻きつき、歩いて登れるようになっている。本来の推奨レベルは70。邪龍討伐前には入ることが出来ない場所だ。
俺は養殖スライムレベリングで何とか推奨レベルには到達している。しかし、LOLでは推奨レベルでのダンジョン探索は無謀なものだ。
推奨レベルとは、そのレベルであれば何度も死にまくりながら、辛うじてクリアできる可能性が出てくるという感覚だ。つまり、死ぬこと前提である。一度も死ねない今の状況では世間一般的に言えば、絶望的だ。
しかし、英雄は違う。英雄は推奨レベルがあれば、一発でクリアすることが前提になる。とは言っても今まで以上にシビアな戦いになるだろう。
実際、今まで俺は格上相手とまともに戦っていなかった。グレイウルフや沼のモンスターとは正面から戦ったが、たとえダメージを負っても一撃死しないし、危なくなったら逃げるつもりだった。
一方、一撃で死ぬことが確定している格上の巨神兵、ハンマーコング、ブルースライムなどは搦め手で安全圏から戦っていた。
いつまでもこんな戦い方を継続することはできない。いずれにせよ、邪龍と戦うのだから避けては通れない。
ならば、現実となったこの世界でも命を懸けて戦うという感覚を研ぎ澄ませておいた方が良い。
俺は緊張感を持ちながら、世界樹を登っていった。しばらくして、不気味なカラスのような声が聞こえてきた。
俺はさっと身体を引き、大木に背中を預けた。世界樹の強敵、極楽鳥が近くにいる。
姿が見えた。極彩色のカラフルなオウムだった。しかし、その体長は1メートルほどある。厄介なのは完全に遠距離攻撃しかしてこないことだ。
接近してこないのて、遠距離攻撃手段がなければ倒すのは不可能だ。更に魔法防御がかなり高く、魔法でのダメージが通りにくい。俺は躊躇っていた。
一歩間違えれば死ぬ。その現実がゲームの時とは比べものにならないほどの恐怖となっていた。
何も危険に身を置かずとも、強制イベントの邪竜討伐だけを乗り切れば平穏な生活を送ることができる。
わざわざここで命を賭ける必要はないのかもしれない。そう甘言が頭の中に響きわたる。
俺はそんな戯言を払拭した。血が騒いでいる。身体が熱を帯びてきた。この感覚は久しぶりだった。
理不尽や絶望を前にして、一切の諦観もない極限の集中状態。不可能など存在しないという全能感。ゲーム時代、何度も経験した懐かしい感覚。それが実際に命をかけているということで、揺れるどころか、更に強固になっている。
迷いは致命傷となる。いつもと同じように、ゲームと同じようにすればいい。俺は覚悟を固め、極楽鳥の前に飛び出した。