夢の終わり
エルザが消えた。
これはゲームのイベントではない。エルザイベントにそんなシナリオはない。
不味い。エルザは命を狙われている。もしカーマインが1人でいるエルザを見つければ、殺される。
しかし、どこに行ったのか検討もつかない。この街は広すぎる。闇雲に探し回るのは得策ではない。
「ポチ! エルザの匂いを辿れるか!」
「え? そんなの普通に無理だよ」
思いつきで言ってみたが、ポチの鼻はそんなにハイスペックではなかったらしい。
「とにかく目撃者を探そう! あの銀白色の鎧は人目を引く、見かけた人がいるはずだ」
俺達は聞き込みを始めた。
___________正義の騎士に憧れた女__________
私は何をしている。命を狙われているのは分かっている。罠だということも知っている。
それでも真実が知りたかった。そして、守られているばかりなのが嫌だった。
私は誰よりも強くなりたかった。だから、死に物狂いで努力した。私にはこの剣の才能しか残されていない。
だから、自分の力で切り開きたかった。
風が吹く。目の前の花が儚げに揺れた。
ここにあるのはただの石の塊だ。この世界では死なんてありふれたもの。私が傭兵をしている間にも多くの者の死を見てきた。
この石の塊は、残された者のためにある。そこに故人がいると、思い込むことで自身の心を鎮める。現実に向き合う辛さを抑えてくれる。
アネッサ。あなたは幼い私にとって母親のような存在だった。
足が速いことを褒めてくれた唯一の人だった。私の剣を応援してくれた人だった。
「エリス王女は才能があるんですね」
そう言ってくれた人だった。常に優秀なロンベルと比較され、出来損ないの烙印を押され続けた私に、彼女はそう言ってくれた。
あの頃の父は、厳格な人だった。私やロンベルに厳しい教育を施した。次期王にするために、国の発展のために、あの人はそんなことしか考えていなかったのだと思う。
そして、それに応えられるロンベルと、応えられない私がいた。しかし、父はその結果に怒りもしなければ、褒めもしなこった。
ロンベルがいくら素晴らしい結果を残そうと、王はロンベルに厳しく接した。そして、私がいくら落ちこぼれようと、それを叱責しなかった。
幼い私はその理由を感じ取っていた。これは私に対する優しさではない。期待の大きさだ。
ロンベルには期待しているから、厳しくする。私はできないのが当たり前、初めから期待なんてしていない。
別にそんな父を恨んではいなかった。王としての重責に報いるため、必要なことだったのだろう。現にロンベルは優秀な王子に育った。
ロンベルのことも嫌いではない。彼の努力を私は近くで見てきた。嫉妬することも多かったが、今の彼がいるのは努力の成果だ。
兄弟仲も悪くはなかったが、ロンベルは私より早く大人になったように感じた。私の気を悪くしないように、気を使っていることも知っている。
弟に気を遣われる姉など、惨めでしかない。
誰にも期待されないという経験は、私にとって日常でありながら、地獄だった。
毎日、大人たちの悪い言葉を浴び続ける。それは直接的ではなく、影口だ。影口だとしても、自然と私の耳にも入ってくるほどの頻度だった。
弟とは違って、出来損ないだ。
王になるのはロンベル様に決まっている。
あの王女が王の血を引いているとは思えない。
教えている講師たちが不憫に思えてくる。
いつも暗い顔をしてて、不気味だ。ロンベル様のように愛想がない。
俺はロンベル様を擁立したいな。あの王女は泥舟だ。
事故か何かで死んでくれれば、王位継承もすっきりするよな。俺たち貴族は誰の派閥に入ったかで将来が変わる。
あの王女には派閥すら生まれないだろうな。
聞こえてくる声に私は毎日こっそりと泣いた。私は1人の時はずっと泣いていた。
でも、皆の前では何事もないようにふるまった。それが私の唯一残された対抗手段だった。
どんな悪口を言われても気にしてないぞ、そう皆に思わせたかった。しかし、独りの時は耐え切れずに泣いてしまった。私は本当は弱かった。
剣を手に取ってから、私の世界は変わった。私にも才能というものがあるのだと知った。
どんどんと強くなっていく自覚があった。それがたまらなく嬉しかった。私はより強くなるために剣の腕を磨いた。
事実として、わたしは団長以外の他の騎士よりも強くなっていた。あとは目標としている団長に勝つことだけだった。
アネッサは母親のように優しく私を支えてくれた。本当の母はロンベルを産んですぐに病で亡くなってしまった。私にとって育ての親はアネッサだ。
アネッサは私とロンベルを比べなかった。比較ではなく、別々に見てくれていた。いっぱい褒めてくれた。
きっと私が自分を失わずに、強く生きてこれたのは、アネッサがいてくれたからだ。
彼女がいなければ、私は全て諦めてしまっていただろう。自分のことを何も出来ない、ゴミだと思ったまま、誰にも迷惑をかけないように生きていただろう。
私が剣に目覚めたのは、アネッサが今まで私に声をかけ続けてくれたからだ。
この世界には才能がない人なんてきっといない。皆、何かの才能を持っている。それを見つけることができるかどうか。
アネッサはそう言っていた。
しかし、私の剣は一度折れた。
剣の才能を認めてくれたアネッサを私は剣で守りきれなかった。
仇打ちをしたいという思いはある。アネッサや皆が殺された恨みもある。でも復讐とは別の感情が私の心の中にはある。
私が私でいるために。間違っていなかったことを証明するために。私はこの剣で証明しなければならない。
「我が名は正義の騎士エルザ、あの時の屈辱、ここで晴らそうか」
私は振り向く。そこに立つ男は一輪の花を持っていた。
「俺も、アネッサに花をあげたいんだけどねぇ」
私は剣を抜く。全神経を目の前の男に集中する。
「そんなことが許されると本気で思っているのか?」
「……」
一輪の花をそっと道の脇に置いた。
「なぜあの時、アネッサを殺した? 団長」
団長、いや、カーマインは私を見た。隙だらけで敵意を感じない。
「さあー、何でだろうねぇ」
「そうか、では質問を変えよう」
私は剣先をカーマインに向ける。
「私をここに呼び出して、殺すつもりか」
カーマインは周りを見渡して、言った。
「お墓で暴れるなんて、罰当たりなことじゃーない、仏さんに悪いからさ、ちょっと移ろうか」
意味が分からない。自分でこの場所を指定しておいて、場所を変えるなどと。
いつの間にか私の鎧に手紙が差し込まれていた。私はその手紙を読み、全てを終わらせるためにここに来た。
「よーし、こっち、こっち」
カーマインはそう言って、私に背中を向けて歩き出す。完全に無防備だが、私は大人しくついていく。不意打ちなど正義の騎士がすることではない。
私はふと周りに微かな戦闘の後があることに気づいた。長いこと戦場を渡り歩いて来た経験から気づくことができた。以前ここで誰かが戦ったのだろうか。
しばらく歩き、開けた丘の上にたどり着いた。前を進んでいたカーマインが止まる。
「なあ、姫ちゃん、このままどこかに逃げた方がいいんじゃないかい?」
「意味がわからない、お前は私を殺すために呼びつけたのだろう」
カーマインは頭をくしゃくしゃと書く。
「殺すつもりならさ、ほら、もうやってるよ、俺ね、無駄なこと嫌いなわけ、別に姫ちゃんいなくなってくれれば、それでいいの」
「残念だが、私はお前を倒さなければならない、正義の騎士として」
「相変わらず頭硬いねぇ、正義ってのは何?」
「正義とは悪しき者から弱き者を救うこと」
「いやいや、俺にはさっぱり分からない、その悪しきものの基準がさ」
「……」
「例えば戦争している国があって、それぞれの兵士は家に家族がいる、国のために戦ってる、これはどっちが悪しき者なの? ん? 答えられる?」
「そ、それは……」
私は答えられなかった。
「まあいい、俺は姫ちゃんにとっての悪しき者なんだろ? なら倒さねぇとな」
そうだ。それは間違いない。あの時、私の命を狙い、アネッサや皆を殺したのはこいつだ。
私は重心を下げる。
あれから私は強くなった。全てはお前に勝つために。私の大切なものを奪ったお前に勝つために。
『天歩』
誰にも真似できない、私だけの技。一瞬で距離を侵食する最速の移動術。
私は剣をカーマインに向ける。
「遅い」
カーマインが私の剣を鎧の手で掴んだ。ありえない。私の速さを破ったのは、レンだけだったのに。
そのまま、剣を折られ、私は地面に叩きつけられた。凄まじいパワーだった。肺の中の空気が一気になくなり、苦痛が全神経を駆け巡る。
殺される。そう悟った。同時にそれで良いと思ってしまった。
私は負けた。積み重ねてきた全てがやはり無駄だった。努力は報われる。それは努力をやめさせないための言葉だ。
この世には無駄な努力がある。
私の唯一の才能。剣で私は再び負けた。
「なぜ立ち上がらない?」
カーマインは追撃をしない。私から数歩離れる。
「俺はさ、お前みたいな奴は剣を握る資格すらないと思うね、何も守れない、独りよがりの剣だ、折れて当然、だから、もうやめろ、二度と剣なんて握るな」
カーマインの言葉に、体中から怒りが湧いてくる。私が経験した血も滲むような道を、否定してほしくない。
「お前は弱い、お前に出来るのは逃げることだけだ、あの時から何も変わっていない」
「うるさい、うるさいうるさい! 私は……私は強くなったもん!」
私は立ち上がり、重心を下げる。折れた剣ではあるが、私の最強の技、『剣嵐』で終わらせる。
発動しようとした瞬間、私の視界が回った。何が起こったのか理解できない。気づいた時には激痛とともに再び硬い地面に蹲っていた。
「俺はお前に素手で勝てる、お前が極めてきた剣は俺の素手よりも弱い」
ああ、この感じを私は覚えている。途方もない実力差があり、決して敵わぬと身体が理解させられる。
絶望。この感情はそう呼ばれるものだろう。あの時、感じたものと同じだ。
「この街から消えろ、どこか遠い街で俺に怯えながら隠れて暮らせ」
雨が降り始めた。無様な私に容赦なく雨が降り注ぐ。
「叶わない夢を持つな」
もう分かっている。
私はずっと夢を見る少女だった。夢を見て、努力する自分に酔っていた。頑張っていれば、いつかは叶うとそう思っていた。
現実はそんな物語のようには進まない。私の努力は結局、何の成果も残せなかった。
カーマインはもう姿を消していた。残された私に、雨は勢いを強めた。
起き上がることができない。泥水が私の髪を汚す。
カーマインの言ったことが正しい。私はもう勝つことができない。何が正義の騎士だ。まるで子供の戯言だ。
涙がとめどなく溢れてくる。それが雨に混じって地面に染み込む。
ごめん。アネッサ、皆。私は弱かった。みんなを守れなかった。
私は王女に生まれた。世間一般的に言えば、恵まれているのだろう。
貧しい農村で暮らしている子供も多い。私が不幸なんていえば、石を投げられるかもしれない。
でも、私は決して幸せではない。否定され続けて、唯一の才能と思えた剣さえも、私の心と共に折れた。
「私は……」
声が嗄れている。嗚咽が混じる。雨が口に入ってくる。
「……何の取り柄もない、ただの女だ」
もうやめにしよう。こんなに頑張ったんだ。これから頑張らなくても、きっとみんな許してくれる。
カーマインの言う通りだ。剣なんて捨てて、ひっそりと誰にもバレないように暮らせば良い。
もしかしたら、結構幸せな生活かもしれない。料理だって上手くなるだろうし、素敵な旦那さんにも出会えるかもしれない。
剣なんて、人を殺す道具だ。握らない方が幸せに決まってる。
この世界にはそうやって諦めることで、上手く生きている人間がいっぱいいる。何も特別なことじゃない。
私もその一員になれれば、どれだけ楽になれるか。
雨が止んだ。
いや、違う。雨が遮られた。
私の顔を覗き込む男によって。
私は涙で滲む視界で、彼の顔を見た。今、一番会いたいと思っていた人だった。
なぜこんな奴に会いたいなんて思ったのか分からない。でも、私は彼の顔を見て、安堵した。そして、ゆっくり目を閉じた。