遠き理想
「僕はただ美しい女性を幸せにしたいだけさ、お名前を教えて頂けるかな」
ラインハルトはまるで宮廷にいるような美しい所作でお辞儀をした。
俺は不安になった。リンだって女の子だ。こんなイケメンに声をかけられて、ときめいてしまうかもしれない。
リンはニッコリ笑って、即答した。
「どっか消えて、料理がまずくなる」
「そうか、どっか消えて料理がまずくなる、さんか……良い名前だね!」
ラインハルトは現実逃避を始めている。俺は勝ち誇った顔でそんなイケメンに声をかけた。
「残念だったね、イケメン君、君は俺の魅力に負けてしまったようだ」
「レンの旦那、やめとけ、セリフが小物っぽいぜ」
ギルバートが俺を制止する。
ラインハルトはワナワナと震え始めた。そして、頭を抱えて、涙を流し始めた。
「そんな馬鹿なことがあるはずがない! 僕の誘いが断られるなんて……世界に神はいないのか!」
舞台の上にいるように、ラインハルトは両手を広げて天を仰ぐ。俺はドン引きしていた。
「勝負だ、彼女を騙して操る悪党め、この聖騎士、ラインハルトが成敗しよう」
こいつの思考回路は壊れているらしい。だが、面白い。一度こうゆうイケメンに勝ってみたかった。
しかし、こんなアホみたい奴でも腕は確かだ。今の俺のレベルとスキルを考えれば勝ち目はないだろう。
「店員さーん、ビールおかわり」
リンが全く空気を読まずに告げた。それが俺に天啓を与えた。
「よし、受けて立とう、飲み比べで勝負だ!」
こうして俺とラインハルトの、男として譲れないものを守る闘いの火蓋は切って落とされた。
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「うぅ……気持ち悪い」
俺はギルバートとリンに支えられながら、夜道を歩いていた。世界がぐるぐると回り、手足の感覚が乏しい。
もはや途中から意地になっており、ラインハルトに勝ったのか負けたのかも覚えていない。俺は別に酒に強くなかったことを今になって思い出した。
「レンの旦那、ちょっとハメを外し過ぎだ」
「うん、レン、かっこ悪かった」
俺の心にナイフが突き刺さる。リンが酒豪だったのは誤算だった。俺らと同じペースで飲んでいたのに、平然としている。
テンプレではここで、ちょっと酔っちゃった、とか言って俺にもたれかかるべきだ。全く逆の立場になってしまった。
それなら逆に俺がリンにアプローチすればいい。発想の転換だ。もはや頭がボーとして自分が何を言っているか分からない。
俺は肩に回した腕を自然に伸ばし、そっと胸に触れた。俺はその感触に感動した。
この、鍛え上げられた胸筋の感触に。
「悪いな、俺にそっちの趣味はないんだ」
本当に申し訳なさそうにギルバートに告げられる。
「ちがーう」
俺はギルバートから叫びながら飛び跳ね、バランスを崩してゴミ捨て場に突っ込んだ。
あれ、俺、主人公なのに何でこんな扱いなのと涙が溢れてくる。
見上げる先にリンが見えた。リンは俺に優しく手を差し伸べた。その姿はさながら天使のようだった。俺はリンの手を取ろうと腕を伸ばしたが、彼女が急に手を引いたので、俺の手は空を切った。
「ごめん、今のレン、くさい」
代わりにギルバートが手を掴んで、起こしてくれた。俺はもう泣きそうだった。ギルバートは大人の余裕で、俺をもう一度肩に担ぎ、慰めてくれた。ギルバートが良い男過ぎて惚れそうだ。
しばらくそのまま夜道を歩いていると、ギルバートが少し真剣な表情で言った。
「なぁ、良かったら俺もパーティに加えてもらえないか、何だか、お前らといると楽しそうだ」
「ああ、もちろ……だが、断るぅ!!」
危なかった。雰囲気に流されて仲間にするところだった。ギルバートが一瞬、悲しげな顔をしたのが、俺の胸を締め付ける。俺は慌てて弁解した。
「あ、いや、ごめん、その……」
「大丈夫だ、なら俺の力が必要になったら言ってくれ、しばらくはこの街にいるからな、いつでも力になるぜ」
「あ、ああ、そうするよ」
本当は仲間に入ってほしい。でもギルバートの為に耐えなければいけない。現実になったこの世界で、ギルバートにあんな思いをさせたくない。
リンは俺の返答に、少し不思議そうだったが、俺の判断を責めてはいないようだった。
「さあ、着いたぜ、レンの旦那」
宿屋に到着して、ギルバートは俺から離れる。少し酔いか覚めたようだ。ふらつきながらも一人で立てる。
「今夜は楽しかったぜ、ありがとな」
「ああ、こちらこそ」
「バイバイ、おじさん」
「ワン!」
俺たちはギルバートと別れ、宿屋に入る。最後に振り返ったとき、彼の背中からまた哀愁が漂っていた。
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俺たちは宿屋の受付で宿泊の手続きを始める。ついにこの時が来てしまった。
俺には大いなる野望がある。己の全てを賭けても達成したい夢がある。
俺は密かにある妄想をしていた。まさに異世界宿屋の王道、その名は、『ヒロインと同室イベント』。
部屋が1部屋しか空いてないパターンや、ヒロインがお金がもったいないから同じ部屋で、と言ってくれるパターンなど様々ある。
どのパターンにしろ、渋る主人公を何も問題ないよ、気にしないよ、と同室希望してくるヒロインが普通だ。
俺は頰が緩むのを抑えられない。さらに欲を言えば、1人で寝られないから同じベットでという発展パターンも考えられる。
「俺は床で寝るからいいよ」
ちょこんと俺の服の端を摘むリン、顔をそらして恥ずかしそうに俯きながら言う。
「だめ、レンが風邪引いたら嫌だから、私は気にしないから、だから……その……」
俺は意図を汲んで、リンの頭を優しく撫でる。
「仕方ないな、じゃあ一緒に寝るか」
「うん!」
リンは顔を真っ赤にしながら、幸せそうに笑う。
まさに完璧。これこそ異世界であるべき王道。俺のシミュレーションは完璧だ。
ポチには申し訳ないが、庭にいてもらおう。
「部屋はいくついる?」
スキンヘッドの宿屋の亭主が受け付けを進めるリンに尋ねる。リンは当たり前のように告げた。
「二つで」