待ち受ける絶望
それから数分間、探し回ったがベロニカは見つからない。もう観客のほとんどは避難を終えている。人混みはなくなったが、それでもベロニカの姿は見つからない。
しかし、俺はここまでベロニカを探してみて、意外に心配しなくてもよいと感じていた。長期戦になれば精神的にはきついが、戦闘は全く問題ないからだ。
そもそもこのイベント時に300レベルオーバーであることはかなりのアドバンテージだ。普通ならもっと低いレベルで挑戦する設定だ。
俺たちのパーティの強さもドラクロワやユキなども含めて、異常な強さだ。押し切られる可能性は低い。時間さえかければ、いずれベロニカは見つけられるだろう。
それにリンの存在が大きい。ゲームではNPCは当てにならないので、プレイヤーだけでベロニカを捕まえる必要がある。しかし、リンがいるだけで、ある手段を使えるようになる。
俺はベロニカを探しながら、同時にこの後のイベントのことを考え始める。
ベロニカを捕まえれば、一旦、このイベントは終わる。しかし、すぐに次のイベントが始まる。エルザイベントは一度始まってしまったら、全て自動で次々進んでいくため、止めようがない。そして、イベントをいくつかこなすと、強敵との戦いが待っている。
よく話題になるのが裏切りのカーマインと蝿の王ベルゼブブだろう。2人とも頭がおかしい能力で、エルザイベントを代表する敵だ。
カーマインはこのエルザイベントのラスボスと言われている。実際には誰も倒したことがないのでラスボスかどうか分からない。そう、カーマインはミレニアム懸賞イベントの一つだ。
俺はカーマインと戦うイベントまで辿り着くことが出来なかったから、動画やデータだけしか知らない。それでもカーマインの強さは常軌を逸していた。勝てるわけがない。
それより前に戦う蝿の王ベルゼブブも、もはやミレニアム懸賞イベントと言ってもよいレベルだ。一応、倒した人は存在するが、奇跡的な運による。実力で倒したものはおらず、大多数の人間はこいつのせいでエルザイベントを諦めた。俺も漏れずにその1人だ。
天界とは別に奈落という場所も存在する。ミカエルやガブリエルなどの天使と対になるのが奈落に住む悪魔だ。ベルゼブブはその悪魔であり、俺はこのゲームで魔王を越える最強の敵だと思っている。
かつてグランダル王国を滅ぼしかけた悪魔だが、当時の勇者パーティ、つまりアランやソラリス達によって封印されたという歴史がある。
そしてベルゼブブは別名、永久機関バエと呼ばれている。永久機関とは物理分野の言葉で、外からエネルギーを与えずに、活動を永久に続ける理想的な機構のことを指す。
頭がおかしいスキルをいくつも持っている。こいつに俺は何百時間と費やしたので、全て熟知している。1つは『晩餐』だ。自分自身を状態異常、暴食にする。7つの大罪系の状態異常はデメリットも大きいが同時にメリットも大きい。
暴食は常にMPとHPが減り続ける。同時に敵を攻撃すれば一撃で相手が即死し、その相手の攻撃を受ける前のHPとMPを吸収できるというぶっ壊れスキルだ。ドレイン系攻撃の最強互換と言っていい。
暴食状態の攻撃には、即死無効では効果がない。しかし、『根性系』のスキルは有効だ。一撃を受けてもHPで耐えきり、そうなれば、相手のHPも回復しない。
更に『眷属召喚』でレッサーデーモンを無限に大量に召喚できる。レッサーデーモン自体は300レベルあれば、一撃死はしない相手だが、最大HPが高いため、倒して減らすスピードより召喚されるスピードの方が遥かに高い。無限Gよりもタチが悪い。
そして、ベルゼブブの最後のスキル『眷属吸収』がベルゼブブを最強にする。
『眷属吸収』は周辺にいる他のモンスターを吸収し、自身の最大能力値を少し上昇させる。一見すると、大したスキルに見えないが、これは頭がおかしいスキルだ。
問題は最大値ということ。つまり攻撃力や防御力、最大HPや最大MPなどが上限なく上がり、そして効果時間がないので、下がることがない。
そして、周辺にモンスターがいなくなっても、『眷属召喚』で自分で生み出すことができる。無限に生み出し、無限に吸収し、無限に強くなる。
『眷属吸収』はあくまで最大値を上げるだけで、HPやMPは回復しない。例えば、20000/20000の状態で『眷属吸収』をしたら、20000/20100のようになる。しかし、この対策もしっかり取られている。
暴食だ。暴食は敵味方関係なく、効果を発揮する。自分で『眷属召喚』し、大量のレッサーデーモンを生み出して、自分で攻撃すればHPやMPを吸収できて、あっけなく全回復する。
これが永久機関バエの異名を持つ理由だ。
蝿の王ベルゼブブは暴食状態で全ての攻撃が一撃死する攻撃をしながら、大量のレッサーデーモンを召喚し続け、レッサーデーモンを自分で攻撃して全回復し、レッサーデーモンを吸収して無限に強くなっていく。
『眷属吸収』を2回やられたら、ステータスが高くなり過ぎて、もはや何も出来なくなる。それなのに、結構な頻度で『眷属吸収』をしてくる。
『眷属吸収』は発動すると、全てのレッサーデーモンがいなくなるまで続く。その時だけレッサーデーモンの攻撃がなくなり、唯一の息継ぎのタイミングとなる。その間に回復を行い、攻撃してこないベルゼブブを叩くのが主な戦い方だ。
そのスキル中に倒すことが出来なければ、パワーアップしたベルゼブブの猛攻が始まる。そして、2回スキルを行使された瞬間に負けが確定する。
奇跡的に勝った人達は、ウォルフガングやアリアテーゼ、ソラリスなどのとにかく火力が高いアタッカーだけを揃え、『眷属吸収』を2回使われる前に倒すということに成功した者達だ。
たまたまベルゼブブが中々『眷属吸収』を使用しなかっただけ、ランダム要素が全てだ。
俺は何百時間もかけたが、その奇跡が起こらなかった。HPを削り取る前に『眷属吸収』が使われてしまう。平均して5分の1も削る前に終わる。宝くじに当たるレベルの運がいるのではないかと思う。
だから、俺はどうしたら戦闘にならないで済むかを考えた。
エルザイベントの全てはエルザが死ぬことを望む者達によって起こされる。今回の件もベロニカに暗殺を依頼した。
ベルゼブブイベントも、エルザを中々殺せないことにいらだった連中が、暴挙に出てベルゼブブの封印を解くことによって発生する。
「レン……見えた」
リンの声で俺は一気に現実に戻る。リンの視線の先を俺も追う。一瞬、空間の歪みが見えた。高速で離れていく。
「行くぞ」
俺とリンは一気に走り出す。周りのシャドウアサシンを置き去りにする。300レベルオーバーの俺たちの素早さは素早さ特化のベロニカより速い。
もはや一度目視してしまえば、『透明化』による効果などないに等しい。
空間の歪みはある位置まで離れると今度は進行方向を変えて、右に移動を始めた。
「レン……今の動き」
「ああ、割り出せる」
俺は既にリンが気づいていることに内心驚いていた。やはり、リンの思考は既にNPCをはるかに超え、英雄の領域にいる。
なぜベロニカが方向転換したのか。それを事前知識から、リンは即座に予想した。
そう『脱却』だ。
この逃亡スキルは、一瞬で予め決めておいた位置に瞬間移動出来るという能力だ。しかし、効果範囲に制限がある。
だから、ベロニカは『脱却』をセットした位置から離れることを嫌った。いざという時の切り札になるからだ。
だからこそ、セットした位置を中心とした円状しか移動しない。ベロニカの動きからその中心点、セットした位置を割り出すことが可能だ。
「リン、行けるか? 俺はセット位置に先回りする」
「大丈夫、あの速さなら行ける」
リンが頼もしすぎる。俺は追跡をリンに任せて、想定した『脱却』のセット位置に向かう。これがリンがいることで追跡が楽になる理由だ。
リンがベロニカを追い詰め、『脱却』を使わせられれば、俺たちの勝ちだ。
俺は想定されたセット位置で、シャドウアサシン達を相手にしながら、待機する。まもなくリンがベロニカを追い詰めるだろう。
俺は生き残れるのだろうか。
ふと、そう思った。いくつもの不可能を乗り越えてきた。その自負はある。しかし、今回はあまりに壁が高い。
エルザイベントだけは起こしてはいけなかった。この俺が、ゲームでも諦めてしまったイベントだ。
それでも俺は生き残るために、抗い続けるのだろう。
黒い影と共にベロニカが現れる。俺達の勝ちは決まった。リンが上手く追いついたようだ。俺はベロニカに手を伸ばす。捕まえれば、このイベントは終わる。
待て。
俺の中の何かが、俺に訴えかける。一気に集中力が極限まで跳ね上がり、周りの時が止まる。こんなにも急に深く潜ったのは初めてだった。
これは違う。
俺の中の英雄の思考がある異常な答えを導き出した。
無数にあった光の道は全てが途中で途絶えている。
しかし、一本だけ栄光への道が続いていた。
俺はその道を進むことに決めた。